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因果応報

「因果応報」とは、仏教用語で
「過去における善悪の行為に応じて、
現在における幸不幸の果報が生じ、
現在の行為に応じて未来の果報を生じること」
と広辞苑にあります。

しかし、何が善くて何が悪いか、
何が幸せでなにが不幸かは、
人によって判断が異なります。
人の判断というのは、
その人の欲と結びついています。

いいじゃないですか、今が幸せなら。
済んでしまったことに思い煩うことはありません。
あのことはもう時効ですよ。

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コメント

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No title

「自分のこころに時効はありません」、なるほど仰る通りです。

No title

自分のこころに時効はありませんよ?

No title

三州刈谷さん、おはようございます。
「心のホコリ」ですか。
生きていると「心のホコリ」はどんどん積もるものですね。
常に払うように心がけます。ありがとうございます。

No title

心のホコリ(小悪)も積もり重なってくると大悪となると言う事でしょうか。
チクショウ、ぶっ殺してやると言うことにもなる。
ホコリは常に払うように心掛けることですかね。

No title

「因果応報とは他人を攻める言葉でなく、自分を反省する言葉」
たしかにそうだと思います。
私は、何が良くて、何が悪いのか、そこが問題のような気がしています。

No title

因果応報とは他人を攻める言葉でなく、自分を反省する言葉でしょうね。
何にも悪い事はしていないのにこんな事になってしまったと言う時に。

No title

生きるよりどころさん、同感です。
この記事を書くときには「善悪」「幸不幸」という言葉を取り除いた意味に解釈するのが、本来の仏の教えである、と結論する予定だったのです。

No title

慧さん、「良い事があって悪いことがあって、良い事をして、悪い事をして人間は生きてる様です。或いは・・生かされてる様です」、全くその通りですね。

No title

8 1/2さん、一般的にも仰るような意味に「因果応報」という言葉が使われていますね。
私もこの記事を書こうと思ったときには、そういう意味と考えていたのですが、広辞苑を調べてみると記事のような意味が書かれていたので、急遽記事の内容を変更しました。

No title

確かに辞書にはそうありますね。
この表現から「善悪」「幸不幸」という言葉を取り除くと、本来の仏さまの教えである「縁起観」になるのではと思います。
何を善とし、何を幸せと感じるか…これは難しいですが、仏教者としては「自ら良かれと信じること」をなし、「今生かされていること」を幸せと思いたいものです。

No title

多分、凡人さんと私は、生きてる世界が違うかも知れないかも。。
良い事があって悪いことがあって、良い事をして、悪い事をして人間は生きてる様です。。。
或いは・・生かされてる様です。。。
因果の中にも、良い因果、悪い因果が常に共存してる気はします。。
万人に良い事ってなかなか難しいから、誰かは喜び、誰かは怒ってるでしょうね。。
だから、良い事は伸ばして、悪いことは上手にフォロー。。
人生を終わるお時間まで!って、私は思っています。。。
多分、「神様」は、解ってくれている様ですが。。人間にはなかなか難しい事多そうですね。。

No title

自分の「因果応報」のイメージは、他人や社会に対して、あえて不快にさせる、罵詈造語を浴びせる、エゴを貫き通す、他人を恨む、他人の失敗を喜ぶ・・・といったことをすれば、回りまわって今度は自分の身に振りかかって来る、というものなのです。『天に向かって唾を吐く』に似ています。根拠はないのですが、、、
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Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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