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新何が「事実」か(独我論)

現代の世の中は、あらゆる情報があふれていて、
そんな世の中のどこかに自分を位置づけして生きている。
自分中心に位置づけするのはやむを得ないとしても、
自分が所属している社会とのかかわりや、人間関係、
それに毎日耳に入って来るニュースや話題に振り回されている。

何が本当で何が嘘で何が冗談なのか、それらを選り分けて
自分とのつながりを見つけようとしている。
そして、ふと我に帰り自分の立ち位置が見えるときがある。

それはある日突然にやってくる。
見ると体の内側から見ている人間は自分だけであることに気づく。
そして世界の中心は自分にあることにも気づく。
自分は特別な存在であると感じるのである。

これはどなたも一生のうちには一度や二度は体験することと思う。
これが独我論の世界である。でもこれは「事実」なのである。
世の中に紛れていて気づかなかっただけである。

そして体の内側から見ている人間は自分だけということは、
他人の心は見えていないということにも気づくのである。
これらも「事実」なのである。

これらを「事実」と認めても、同時に独我論を認めることではない。
これらを「事実」とは受け入れられないという人はこれを勘違いしているのである。
独我論には強い支持者があることは事実であるが、
しかし「信じられる確かなものは自分だけ」という考え方には
賛成できないという人も多いのである。
そこまでは「事実」とは認められないということなのだろう。

確かに、信じられるのは自分だけなら、自分からすべての物を遮断してしまって、
果たして「自分」と言うものがあり得るのかと思えてくる。
そうなのである。すべては相対的に存在しているのである。
自分も例外ではなく、何かと相対的に存在しているのである。

「信じられるのは自分だけ」とは言ってみても、
自分の外の世界を無視してはあり得ない存在なのである。
自分以外の例えば他人がいてこそ自分がいるのであり、
自分を取り巻く景色があってこそ、自分があるのである。

「信じられるのは自分だけ」と言っているそれは、自分以外の存在を前提した思いなのだ。
だから世界は分けることから初めて、世界を知るしかないのである。


新何が「事実」か(可能性)へつづく、
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