FC2ブログ

新私の哲学の方法(自律分散システム)

対象(部品)をどう積み上げるか、あるいはどう積み下げるか、というのは、
その対象を構造体として捉え、システムとして分析するために必要な過程である。
全ての個を拾い上げる、それでもいい。全体をくまなく振り分ける、それでもいい。
とりあえず、切り捨てるものはなく、世界をシステムとして構築することである。

世界をシステムとして捉えることの必要性・重要性について
よく例に出されるアリやハチなどの社会性昆虫の話で説明するなら、
それぞれが自身の意思で勝手に行動しているように見えながら、
全体としてある秩序や均衡が生み出されているのである。

これはアリやハチなどの昆虫に限ったことではなく、例えばロボットのような全く意思を持たない機械でも
複数のロボットを集団で行動させると、その行動に秩序が自然に生まれてくるのである。
もちろん個々のロボットには判断機能は付いているのであるが、
どこかに制御するところがあって、それによって全てが制御されているのではないのである。

このように自律的に意思決定する複数の主体が、互いに影響を及ぼしながら、
全体としてある目的を達成する、これが「自律分散システム」と呼ばれているものである。
人間社会も自律分散的なシステムとして構成することができる。

人間社会は一つのシステムとして捉えることもできるが、その社会は個人の集まりで、
その個人はさらに細胞の集まりでもあり、それもシステムなのである。
社会から見れば個人はサブシステムと呼ばれ、個人から見れば細胞はサブシステムになる。
このサブシステムが自律的に個々に動作していても、
社会としての統合体としての役割も果たすことはできるのである。

世界をシステムとして捉えると、そのシステムの内部の有り様が見えてくる。
この際、物か心か、つまり唯物論か唯心論かなんてどうでもいいのである。

ここまで「目的」とか「意識」という言葉を使ってきているが、
一方で「決定論」という見方がある。
その個体が抱いている「目的」や「意識」は自分の意思で「自由」に出てきたものか、
あるいは物理法則にしたがって動いているだけなのか、それらへの答えが見え隠れしている。
私の関心はそこにある。


新私の哲学の方法(構造体として捉える)へつづく、

上記記事の内「自律分散システム」の記述については
一部ウィキペディアなどから借用した文が含まれている。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(0)
コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ブロとも一覧

月別アーカイブ