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新「言葉」について Ⅰ

哲学をするでも、人とのコミュニケーションでも言葉を使う。
言葉はコミュニケーションの「道具」であり、思考の「道具」でもある。

コミュニケーションは何かを伝えることが目的であり、伝わればいいとも言える。
分からないときは、相手の気持ちを翻訳して受け取ることもあるし、
最近流行の言葉を使えば、相手の気持ちを忖度するということもある。

この言葉というものをどう位置づけするかは非常に重要である。
言葉を構成している単語は、一つ一つ物や事や心と対応しており、
その「物や事や心」についてと、
それを伝える手段としての「言葉」との区別が必要である。

「言葉にできないものは、存在すると思うか」という質問を、何度か受けたことがある。
その都度どんな返答をしていたか記憶がはっきりしないが、
「言葉を作ればいい」と答えたことがあったのは覚えている。

「言葉にできない」と言っているその裏には「何かがある」ことが隠れている。
何もないのであれば「言葉にできないもの」という表現は出てこないと思う。
したがって、その存在を問うことは意味がない。

言葉はコミュニケーションの「道具」であると言ったが、
「言葉」が付いていないものが話題にしたいなら、新しい名前を付ければ
コミュニケーションは可能になる。

名前のないものに新しい名前を付ける、すなわち命名なんて行為は、
日常でもよくあることである。
必要があれば命名すればいいのである。

要するに、ものがあるかないかと、言葉があるかないかは、別の問題であり、
それを一緒にして「言葉にできないものは、存在すると思いますか」と
思ってしまうところは如何にも哲学者らしい。


新「言葉」についてⅡ につづく、
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