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Aramis - Annie Schilder & Piet Veerman

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Gerard Joling - No More Bolero


Gerard Joling ‎– No More Boleros
レーベル:
Mercury ‎– 838 626-2, Phonogram ‎– 838 626-2
フォーマット:
CD, Album
国・地域:
リリース済み:
ジャンル:
スタイル:

実存は人生観ではない

「実存主義(思想Ⅵ)」という記事にいただいたコメントに
お返しのコメントで「実存は人生観だ」と書きました。
記事の中でも「人生観(実存)」と書いています。
それに対して「実存は人生観とは違う」というご意見を頂いてました。

最近、また「実存」とか「実存主義」についての文章を読む機会があり、
上のご意見を思い出したのですが、
今回「悩める」からこそ「実存」なのだと気づいたのです。
私は「悩める実存」もあれば「希望の実存」もあるとコメントしていたのです。


かなり以前に初めて実存主義について読んだとき、
ここに存在する意味というか、そうした根本的な状況が
まさに「悩み」となって現れる、それが「実存」なのだと感じて、
宗教的なものを感じたことも思い出しました。

こうした思いというのは誰にでも思春期から大人に至る過程で経験するものですが、
その先は「どう生きるか」という基本に戻るのが普通です。
しかし、中にはいつまでもそこに留まって、哲学や宗教に落ちる人もあります。
私は実存主義というのは、そうしたいつまでもそこに留まって
追求するとき生まれる思想だと思います。

ですから、「実存」=「人生観」とするのは誤りですので、
先の記事は訂正します。

ソクラテスの名言(一般庶民の言葉Ⅳ)

ソクラテスの名言

   良い本を読まない人は、
   字の読めない人と等しい。

一般庶民の言葉

   耳が痛いですね。
   何が良い本か知らなければならないし、
   そしてその本を買わなければならないし、
   買うお金を工面しなければならないし、
   やっと本が手に入ったらそれを読まなければならないし、
   そして、それを読んだら記憶しなければなりません。
   それが面倒なんです。

過去の哲学Ⅺ(フーコー)

フーコーという人は沢山の著作があるようであるが、
ここでは「知の考古学」を中心に書くことにする。
精神病院に勤務していたときに親しくなった患者さんが、
ロボトミー手術を執行されてしまい、ショックを受ける。

ロボトミー手術というのは
「カッコウの巣の上で」という映画で知ったが、
前頭葉に通じる神経回路を切断するもので、回復不能な脳への打撃を与える。

当時のヨーロッパでは、人間についての価値観
すなわち「理性」が幅を利かせていて、
そこからはみ出した人間は「狂気」とされて、
その結果がロボトミーだったのである。

私はよく「個性」という言葉を使うが、
「人間」にはいろいろの「個性」の人がいて、
「理性」も「狂気」も一つの個性だとフーコーは言いたかったのだと思う。


フーコーは精神病院という場で人間の尊厳について考えたが、
現代では他にも臓器移植の問題や遺伝子操作の問題、
社会という場にも倫理観の問題やその教育の問題、
自然という場でも動物や植物との共生の問題もある。

これらの問題は個人の価値観ではなく、
社会としての価値観として倫理学の問題だと思う。

倫理学は現在もなお哲学の一部として処理されているが、
私はこの社会としての価値観は科学になり得ると思っている。

Emotion


Emotion

 フランシス・レイの“Emotion”
 30年ほど前に、ホンダのアコードのCMのために作曲され、
「映像クロード・ルルーシュ、音楽フランシス・レイ」と
クレジットされていたか、映像は取得できなかった。
(アメーバ・ブログより)

このyoutubeは上のものとは映像も編曲も異なります。

過去の哲学Ⅹ(プラグマティズム)

プラグマティズムは日本語では実用主義などと訳されているが、
ウィリアム・ジェームズによって広く知られるようになり、
すべて結果を重視し評価されるアメリカの哲学である。

つまり、役に立つか立たないかでその事の価値を判断するもので、
結果がすべてであるため、そこに至る過程も結果で評価されるのである。

  「心理学者の唱える「行動主義 behaviorism」、
  記号論研究者の「科学的経験主義 scientific empiricism」、
  物理学者の「操作主義 operationalism」など及んだ影響は広く、
  現代科学では統計学工学においてこのプラグマティズム思想は顕著である」
    (ウィキペディアより)

これらの科学はそれぞれに目的があり、その目的に従って研究されて
その目的を達成したか、その結果で評価されるわけであるが、
考えてみればこれまでの哲学は出発点が重視されて、
それがもたらした結果については、あまり評価はされてないように思う。

まあ、このプラグマティズムの思想が「結果重視」であって、
その思想のもたらす結果について言っているのではないのであるが。

いずれにしても、私たちは何か目的をもって行動する。
そして結果にたどり着くわけであるが、
プラグマティズムがその結果に注目しようとしまいと、
人間はそこまで行動することには何ら変化はないのである。

つまり、確かなことは
プラグマティズムは「結果重視」という思想であるということのみのようである。


過去の哲学Ⅺへつづく、

好きなようにさせて

とりあえず、暑いです。
家の中でテレビを見ていても、この暑いニュースです。
熱中症にならない方法、専門家の方が出てきて、
その熱中症のことが話題になっています。

子供やお年寄りの熱中症による死亡が
ニュースで毎日のように伝えられ、
熱中症にならない、そして熱中症で死なないための方法は
いろいろ教えてくださっていて嬉しいです。

より親切にという事なのでしょうが、
微に入り細に入り状況に応じた対処法など教えてくださいます。
そうした状況に対応できるように、予め用意しておければいいのですが、
なかなかそうはできないのが現実です。

そこで記事のタイトル「好きなようにさせて」となったのです。
汗を拭くタオルが乾いているか濡れているかなんてどうでもいいのです。
とりあえず暑いのです。汗を拭きたいのです。


ああ言えばこう言う(一般庶民の言葉Ⅲ)

ことわざ、

  ああ言えばこう言う、

一般庶民の言葉、

  どう言うたら分かるねん、

過去の哲学Ⅸ(精神分析学)

この精神分析学は心理学との区別がなかなか難しい。
例えば、フロイトの自由連想法での治療などは全く臨床心理学である。
フロイトの業績として挙げられる無意識の発見も、
自由連想法の治療の中から発見されたものである。

ユングの集合無意識という発想は、
患者と古代ローマのミトラ教の一致だけから発展されたもので、
社会心理学などとのつながりはあると思うが、
もっと多くの検証に耐えなければ、科学の中には入らないだろう。

ラカンは幼児の発達過程の話で
言葉を介したコミュニケーションの世界を構造的に捉えようとしているが、
発達心理学や児童心理学なとと重なるところがある。

アドラー心理学では、個人を、例えば、心と身体のような諸要素の集合としてではなく、
それ以上分割できない個人としてとらえる。
したがって、アドラー心理学では、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に
矛盾や葛藤、対立を認めない。
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。
(ウィキペディアより)

アドラー心理学は「個人をそれ以上分割できない」という前提から出発しますが、
個々の問題に対しては、心理学的なアプローチがなされている。
下の言葉はアドラーのものである。

あなたは自分の人生を、
自分の責任だけで選択しなければいけません。
そうすればすべてがシンプルになります。
そうできず人生を複雑にしているのは、ほかならぬあなたなのだ、と認識してください。

以上の通り精神分析学は多くの部分が心理学と重なっており、
いずれ「心理学」として扱われると思うが、
「思想」とは言い難く「科学」と言った方がいいと思う。

ただ、フロイトの無意識などは、
宗教での悟りの過程で体験する自己の本体と同じものであるし、
夢判断などは仏教の瞑想にも通じるものである。
「思想」にも近接しているところはある。


過去の哲学Ⅹへつづく、
プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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