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インフルエンザと熱

子供のころは体温のコントロールができないので
熱がよく高くなるといわれます。
大人になると確かに高熱を出すことはなくなりました。

しかし、これも個人的に差があるようで、
熱の出やすい体質の人そうでない人といろいろのようです。
私などは大人になってからは38度以上の高熱は出たことはありません。

一方で熱が出るということは、体がウィルスと戦っている証拠で
それは抑える必要はないとも言います。
高齢者の場合は免疫力が落ちているため
熱が出ていなくても、安心はできないとも言われます。

一体どれを信じたらいいのかと思ってしまいます。
私は高齢者なんです。

もう一つ付け加えるとしたら、
最近家族がインフルエンザインフルエンザとうるさいので、
病院に行ったら、体温を測定されて37度いくらかの熱があるのです。

これまではこのくらいのことで病院に行くなんてことはなく、
微熱があるという自覚もなかったようです。
ますます分からなくなってきましたね。(笑い)
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相撲の立ち合いについて

大相撲初場所で栃の心が優勝しました。
平幕力士の優勝は六年ぶりだそうです。

ところで、横綱白鵬の立ち合いでの張り手やカチ上げが
問題視されて、今場所の白鵬の相撲は精彩がなく、
途中休場になりました。

張り手やカチ上げは相撲の手としては違反ではないので
「許すべき」というご意見も聞きます。

相撲の立ち合いというのは
仕切り線を挟んで行司の掛け声で立ち上がり
ぶつかって相撲を始めるものですので、
張り手やカチ上げを立ち合いでも許すと、
相手の力士は目などへの防御態勢を取り、出遅れて不利になります。

その不利にならないためには、
最初にぶつかって立つさいうのはやりにくくなり、
レスリングや柔道のような立ち合いになってしまいます。
それでは相撲らしくなくなってしまいます。

立ち合いの時だけは使ってはいけない手を決めて置けば、
問題はなくなると思いますね。
「横綱の品位」なんて理由付けがされたりしていますが、
あれはちょっと理解できないですね。

推測と妄想の違い

先日、あるブログでコメントしたものを記事にしました。

妄想と推測の違いは中々難しいですね。
分からないことがあるから推測するのですが、
分からないという点では妄想も同じです。
この妄想と推測の違いは、
分からないことが多いか少ないかの違いだと思っています。

今、北朝鮮のことがニュースで報道されることが多いですが、
分かっていることは宇宙から衛星で捉えた地上の変化だったりします。
そこから推測するのですが、
これがそういう宇宙からの情報がなかったらもう妄想になりますね。

推測でも妄想でも、不足している少ない情報を基に
論理的に推測して、分かっていない空白を埋めて行くのですが、
その空白の埋め方が問題のようです。

デジタル大辞泉によれば妄想とは、
「根拠もなくあれこれと想像すること」とあります。
ここで「根拠もなく」というのは、
おそらく、これも空白の埋め方が問題ではないかと思う。

情報が少ない時は、仮定の話を前提にしたり、
それほど確かでない情報でも、
前提にしなければならないこともあります。
そこから出てくる結論も、時には異常なものです。

想像、空想、幻想、夢想などという言葉も、
場合によっては妄想と区別がつかない言葉です。
問題なのはあり得ない妄想が出てきて、
それが日常生活に支障してきたときです。

しかし、これも推測でも妄想でも起きることです。
第三者から「そんなことあり得ないで」と言われて
「そうだろうな」と思えるときは、病気ではないと思います。
私は推測も妄想も程度の差で同じものと思ってます。

ワーグナー ジークフリード牧歌

ワーグナー ジークフリード牧歌

ワーグナーを評して
「朝日と間違えられた夕日」と言った人があるそうですが、
そんな雰囲気の曲ですね。

日常から科学へ Ⅲ

「事実」について語られたことは、それが科学者の口から語られたものであろうと、
私のような凡人の口から語られたものであろうと、
子供の口から語られたものであろうと、それは尊いし
そこに含まれる内容に優劣はないのである。

だからこそ人間社会のコミュニケーションが成り立っているのだと思う。
しかし、同じ事実を受け止めても、この事実をどう位置づけするかは、
その人の関心事によって異なってくる。

例えば、木からリンゴが落ちるという事実を受け止めても、
科学者は「地球には引力があるから落ちた」とニュートンを思い出す。
農家の人は「落ちたリンゴはジュースに加工しよう」とリンゴを拾う。
画家は「あのリンゴで絵を描こう」と拾って持ち帰る。
凡人は「朽ちて行くリンゴの行く末を考える」かもしれない。

科学者はその事実の中に含まれる法則を見つけることに関心があり、
農家の人は収益をどうすれば上げられるかに関心が向く。
画家はどういう対象をどう描けば自分の美を表現できるかに関心がある。
凡人は自分の行く末と重ね合わせて物思いに更けるかもしれない。

一つの事実に向き合う人間の心は一つではなく無数にあると言える。
科学的な知識は今日の文明の基礎に大きく関わっていることは間違いないが、
それがすべてという訳ではないのである。


日常から科学へⅣ↓へつづく、
 

エニグマ

サッドネス(永遠の謎)

Enigma(エニグマ)はドイツを活動拠点とするヨーロッパ音楽プロジェクト。
アラベスクサンドラ・アン・ラウアー (現・サンドラ・クレトゥ〔Sandra Cretu〕、
マイケル・クレトゥの元妻)を中心に結成された。
民族音楽グレゴリオ聖歌(グレゴリアン・チャント)、カンタータなどの古典音楽と
ダンスビートを緻密なサウンド・プロダクションで融合したサウンドで、
世界的にヒットする。
世界的に大きな影響を及ぼし、模倣とも思われる作品も続出した。

ウィキペディアより

自分のワクで考えない

あらゆるもののあり方について、
私なりの考えがあって、そのワクで考え判断していました。

それは誰にとっても当然の事とは思いますが、
最近、そういう見方をせずに、
その人の考え方を先に見るようになってきた。

これまでからも「個性の尊重」などと言っては来たが
でもそれは、自分のワクの中のある場所に
その人を入れて考えていたのです。

そうではなく、その人のワクというのがあるはずだと思えてきました。
その人の価値観があり、
その上に築かれたワクと言うのがあるはずです。

そんなワクというのを他人の私が作ることができるのか
もっと具体的に考えてゆかないと、
やってみなければ分からないと思いますが、
価値観の土台みたいなものがあるような気がしています。

レッド・ガーランド ホワッツ・ニュー


レッド・ガーランド ホワッツ・ニュー

なかり以前にアップしたのですが、
YouTubeの原板がなくなったためブログが消えていました。
今日、たまたま見つけて再度アップしました。
ホワッツ・ニューという曲はリンダ・ロンシュタットで知ってはいたのですが、
こんないい曲とは思ってなかったのです。

私のストレス解消法

毎日、ブログの記事を書いていると、
ストレスが溜まってきます。
私のストレス解消法は同じことをいつまでも続けないことです。

ブログを書いていても、まず時々立って部屋を歩き回ったり、
コーヒーを入れて飲んだり、車でドライブに出たりします。
そのドライブが家内との付き合いのときもあります。

しかし、一番のストレス解消法は、
同じパソコンに向かうでも、違ったことをすることです。
記事を書くでも音楽の記事を書いたり、
ブログではなく小説を書いたり、CDの編集をしたりです。

(このCDの編集が最近上手くできないのです。
パソコンが悪いのか、そのソフトが悪いのか
現在のところ分かりません。)

ずっと、パソコンに向かっていても違ったことをすると、
直前の作業のストレスは半減します。



日常から科学へ Ⅱ

「日常から科学へⅠ」を昨年の九月に書いて
そのままになっていたが、ご要望??(笑)に応えて続きを書くことにした。

これまでに他の記事で何回か書いたことがあるが、
人間の脳についてである。

特に哲学では思索が主にその方法である。
「思索する本体は脳」ということで、どうしても哲学の中心に脳が据えられる。

文章を考えるでも脳で考えるので、
脳が世界の中心に来るのは当然と言えば当然であるが、
問題なのは脳は直接は感じることができないのである。

外界は感覚器官で感じ取る。「心」は心で感じる。この「心」というのは脳にある。
しかし、心は感じられても脳はどうしたら感じられるのだろう。

心=脳 なのだろうか。
ある意味でそれは正解であるが、この二つの違いは
心は日常の対象で、脳は科学の対象なのである。

言い方を変えれば「心」は自分の心で、「脳」は他人の脳なのである。
話が一足飛びに飛んでしまったが、
「心」は日常生活で様々な判断をして、自分自身を形作っている。
自分の個性、自分の「欲しい」の源である。

「脳」は普通の状態では誰も見ることはできないが、
脳波を受信して間接的に脳を感じることはできるし、
頭骸骨を割って脳みそを見ることは、他人にはできる。

しかし、今「欲しい」と思っている心は見えないし、
感じることもできないのである。

自分の心の状態と脳波などの受信結果を関連づけて、
心と脳を対応させることで、心の在りかを探り、
「脳」というものを科学的に理解できる。

それを一般人は科学的に脳を理解したと勘違いする。
そして、日常の心とは別に科学の脳が生まれてくるわけだ。

今、世間では「心」について語ることを止め、「脳」について語り始めた。
「脳」が正しくて「心」は間違っていると。

それは違うでしょ。
「心」は心でその在りかがあるはずである。
なんか自分の文章ではないような気がするが、
今、心に響くドラマを見て戻って来たところなのである。


日常から科学へⅢ↓へつづく、
プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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