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Stravinsky 「妖精の口づけ」より


「妖精の口づけ」よりディヴェルティメント
この曲は下のチャイコフスキーの曲が原曲なんです。
チャイコフスキーにしては風変わりな曲想ですね。


チャイコフスキーのユーモレスク
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相対的に見る Ⅱ(改訂版)

この世界に存在するものはすべて、
他のものと区別されることで存在しています。
そのことを理解するのに最もよい例が、
比較するものがない状態を考えてみることです。

例えば、この世界がすべて赤い色で出来ていたとすればどうでしょう。
「赤い」ということは認識できるでしょうか。
「これは赤い」ということに意味があるのでしょうか。
おそらく赤い色は認識できないし
「赤い」という言葉も意味をなさないでしょう。

こういう言い方をすると
「赤い色は存在しない」と言っているように
受けとる人があります。しかし、そうではなく、
比較するものが無かったらという仮定のもとで
存在しないと言っているもので、
現実には比較するものがあるので赤い色は存在しています。

この例の色については比較的わかりやいですが、
例えば、真っ白な大きな壁があり、
その前を蝶が飛んでいたとします。
蝶は一匹(一頭)だけで、比較するものはありません。
それでもその蝶は一匹でも認識できます。

もし、蝶が真っ白だったら視覚的には見えないかもしれませんが、
手で触って触覚的には認識できますし、
何か模様や色があれば、後ろの壁と相対的に認識できます。

また、同じ色であっても輪郭があれば区別はできます。
このようにこの世界はすべて相対的に存在しています。
比較するものがあって初めて存在するのです。



相対的に見るⅢ↓につづく、

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1260.html

ショスタコーヴィッチ ポルカ


ショスタコーヴィッチ ポルカ~ダンス

組曲 「黄金時代」作品22a

バレエとして全曲が演奏されることは現在は少ないが、
組曲(作品22a)は現在も演奏会などで取り上げられている。
その中の第3曲「ポルカ」が有名である。
ちなみに初演は、バレエ初演よりも早い1930年の3月19日であった。

楽器編成


組曲の構成は以下の通りである。演奏時間は約18分。
  • 第1曲 序奏(Introduction
  • 第2曲 アダージョ(Adagio
  • 第3曲 ポルカ(Polka
  • 第4曲 踊り(Danse
    以上ウィキペディアより

AI(人工知能)の将来 Ⅴ

「AI(人工知能)の将来Ⅳ」までに
人間の持っている心の機能の中の感情・価値判断は
AIで学習するのは困難であると述べてきた。

しかし、AIが実際にどのような処理をしているか詳しくは知らないまま、
AIの社会実験の失敗などのニュースから推測して判断したものだった。
そこで少しAIについて調べた上で、AIの処理方法と人間の方法を比較し、
どういう方法を取れば、AIが人間の知能をこえられるか、考えてみたいと思う。

AI(人工知能)の一番基礎をなしているのは、ディープラーニングである。
人間の脳の神経細胞を模して造られた回路で、演算し学習するのであるが、
基本的には、人間の脳と同じ方法で変わるところはないのである。

違うところは人間とは比較にならない速度で処理し、
人間が気づかないところまで演算し、
思わぬ結果を導く可能性があることである。

人間の感情・価値判断というのは人から教えられるものではなく、
生まれながらに持っている個性なのである。
だから学習するものではないのであるが、
それをカバーできそうなものとしてAIには「教師」がいる。

AIには二種類あって「教師あり」と「教師なし」があるというのである。
つまり判断に困ったときは教師に聞くこともできるのである。
それなら教師が、ある個性を維持して教えれば問題はないわけであるが、
しかし、もともとその個性を設定しておく方が簡単である。

信疑(信じるか疑うか)も「教師あり」なら問題なく処理できるが、
これは個性とも深い関係がある場合が多く、
好きか嫌いかで処理することも可能である。

場合によっては、これは一種の「懸け」になることもあり、
その場合は試行錯誤で処理することになるだろう。
このあたりの処理はそれこそAIの個性で異なるだろう。

これまでのAIでも事実判断についてはかなりの成果がでてきているが、
一つ気になるのはAIは「思考自体も観察の対象」としているとのことで、
具体的に分からないのでなんとも言えないのであるが、
素人判断で「パラドックスが生じないのだろうか」と思ってしまう。


全くの素人判断で、しかもネットで調べた極一部の知識だけで書いた。
突っ込みどころ満載の記事なので、遠慮ないご意見がほしい。



AI(人工知能)の将来Ⅵ↓につづく、

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1189.html

モーツァルト - フルートとハープのための協奏曲第二楽章


モーツァルト - フルートとハープのための協奏曲第二楽章

なぜ生きる Ⅷ

「なぜ生きるⅦ」で宗教の最終目的は「死からの救済」で
それは、自分の「力」をすべて捨てたときに得られるといった。
しかし、これは「生」への執念を持っている多くの人間には
なかなか、理解できないことである。
というか簡単に踏み切れるものではないのだ。

そこで、ちょっとそれを角度を変えて見てみる。
力を捨てるではなく、心を預けると言い換えてみてほしい。
自分の「力」で「ああしたいこうしたい」と思っていることを
その思いを誰かに預けて、任せてみるのである。
つまり、自分の「力」には頼らないのである。


この方法は、日常でも普通に誰でも使う方法である。
何か困ったことがあるとき、知り合いにお願いして
代わってしてもらうようなときである。
知り合いに心を預けているのである。

また、人によっては占いとか、カウンセラーに聞いて
その考えに心を預けてその指導に従ったりしている。
この場合は「お金」などの自分の力を使って他の力に変えているので
「力を捨てた」とは言えないが、
この方法でも心の負担は軽減できるのである。

このように誰かに頼るという方法は日常使うが、
その誰かが、時に神や仏であってもいいのである。
誰かに心を預けるように、神や仏に心を預けるのである。
それが宗教の本当の意味で、あり方だと思う。

バッハ - ゴールトベルク変奏曲より アリア

AI(人工知能)の将来 Ⅳ

「AIの将来Ⅲ」でも述べたように、
人間はその情報を信じていいかどうかを判断しながら
信じられるものだけの情報の収集をしている。
だからAIのようにすべてを学習の対象にはしていないのである。
つまり、人間は学習する価値があるかを判断することも可能なのである。

また、世界にはいろいろの情報があふれているが、
目的に合った情報や、趣味に関連する情報など、
自分の興味・目的に合ったものを選んで収集し、
人間はその選んだものだけを学習するのである。

その情報源が何かでも、学習する価値の有無を判断する。
その分野の専門家の話なら学習の対象になるが、
私のような凡人の話では学習する前に検討しなければ失敗する。

その他、例えばテレビからの情報か、書籍からの情報か、
書籍でも専門書か雑誌か、この頃であればネットの情報か、
ネットでもブログかフェイスブックか、そうしたSNSからの情報もある。
そして、その情報の出所はどこかも学習する上では重要な判断材料である。

さらに事実を直接確認した情報か、誰からか聞いた話なのか、
その聞いた相手はどういう人なのか、まだまだある。
とりあえず、その情報が学習するに値するか判断する。
こうしたことのすべてを人間は判断しながら学習している。

それは自分の個性とも深い関係がある。
学習する価値があるかどうかは自分の好みと合うか合わないかが
問題になることもしばしばである。

また、そのAIの目的とも深い関係がある。
その目的に合った情報だけを収集すればいいわけである。

学習するかどうかを、もっと人間的な表現をすれば、
信じるか信じないかということになると思う。
人間は信じる人の話は大切に記憶に留めておくが、
信じられない人の話はすぐに疑ってしまう。



AIの将来Ⅴ↓につづく、

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1164.html

なぜ生きる Ⅶ

「なぜ生きるⅥ」までは哲学的に自分の論理能力で
生きることの疑問に答えを出したつもりだった。
そして、 宗教的には「それは間違い」とも言いった。

一体どう違うのか、それは考えることと行動することとの違いである。
これまでは論理的に「考えて」分かった(つもり)なのである。
そしてそれは自分の「力」で考えたことなのである。

これまで、疑問を取り去るために「力」を取り除こうとしていたはずである。
ところがその「力」を取り除く作業を自分の「力」でしていたのである。
例えその結論に基づいて、持っている「力」を取り除いたとしても、
どうしても、それを結論し実行している自分の「力」は残るのである。

これでは完全には「力」は取り切れないのである。
もちろん、完全ではなくても「力」を蓄えるなどを控えることは
欲望に心を奪われないためには必要なことではある。


宗教は最終的には心の完全な救いを実現することにある。
突き詰めれば「死」からの救いである。
哲学的方法では、その一歩手前の論理的に突き詰めはできても、
その先の仏教で言うところの「悟り」には至らないのである。

つまり、自分の「力」では悟れないのである。
つまり、「他力」によって悟らせてもらわないといけないのである。
それが本物の悟りなのである。
よく言われる「他力本願」というのはこのことなのである。

私はまだ悟りの境地には至っていない。
力を抜いて、心を投げ出そうとしてみるが、
心の奥にガンとして動こうとしない塊がある。
これを動かそうとするのは大変なことだな、と思うが、
悟った人の話では「ぴょんと溝を飛び越えるようなもの」だそうである。



なぜ生きるⅧ↓につづく、

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1162.html

AI(人工知能)の将来 Ⅲ

人間には親から引き継いだ遺伝子があり、
その中に本能や自我や感情や価値観という心の機能が備わっている。
それらは人によって判断や基準が異なる。
そこには自分の好みや得意不得意などの個性がある。

ところが、AIにはそれがなく言わば個性がないわけであるが、
それらをすべて学習に頼るというのが今のAIの特徴である。
しかし、考えてみてほしい。
自分の好みを他人から学ぶなんて馬鹿げている。

本能や自我や感情や価値観というような心の働きは
AIにおいても初期値として与えておく必要があると思う。
つまり、AIにも最初から個性を与えておくのである。

その後は人間でも大人になれば大人らしい好みになるし、
環境の影響を受けることはあるが、
一卵性の双生児が別々に育てられても、基本的な部分は変わらなかったように、
AIの学習も本能や自我や感情や価値観などに関わる部分では、
基本は崩さないような学習にとどめるべきである。
よって、AIは将来的には個性を持つことになると思う。


それからこれはAIにとっては非常に重要なことであるが、
人間は学習するだけではなく、学習した方がいいかどうか
つまり、学習する価値があるかを判断することも可能なのである。
それがこれまでのAIにはなかったのである。

人間はそれも親から引き継いだ遺伝子による能力として
そなわっているものと思われる。
それについては稿を改めて書きたいと思う。


AIの将来Ⅳ↓につづく、

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極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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