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人工知能の本当の恐さ

人工知能が進化してくると人間の仕事が奪われる
ということが大きく問題になっていますが、
そういう問題は、仕事を再配分すればいいことで、
過渡期にはリストラなどで被害を受ける人が出てきたり、
逆にそれを利用して大儲けする人はあると思います。

しかし、それらは一つ一つ再分配の方向に導けばいいと思います。
本当に人工知能が怖いのは、人間との区別というか、
発せられた言葉を人間のものと感じてしまうことです。

ちょっと前に、ゲームなどでの仮想空間や、SF映画などの仮想ストーリーを
現実のことと混同してしまうような子供が出て来たことがありました。
そういう事が人工知能についても起こる可能性はあると思います。

人工知能というからにはゲームなどとは比較にならないほどに
人間に近づいてくるでしょうから、人間も騙されやすいでしょうね。
子供だけではなく大人でも、特にお年寄りなどは
振り込め詐欺ではありませんが、騙されやいでしょう。


騙されるかどうかまでは至らなくても、
人工知能の言葉が人間の言葉と受け取っていいかどうかというのも問題で
人間のように振る舞っているいるからどうというのではなく、
発せられた言葉が人間の言葉と同等に扱わなくてはならないのか、
それは時に大問題になると思います。

具体的なケースは、また別に書きたいと思います。

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凡人から見たアドラー心理学 Ⅱ

アドラーのいう「嫌われる勇気」というのは、
いつでも誰からも好かれようとすると、心が疲れますが、
そうならない方法として示された言葉だと思います。

実は私も「悪者になれ」という記事を、もう10年くらい前に書いています。
似たような記事は他にも書いていますが、
アドラーはこれを100年も前に書かれていたのですね。

どなたかから頂いたコメントに
「それは誰それの影響で出て来た言葉です」というのがありましたが、
似たような言葉を書くと誰かの影響というのもどうかと思います。


それはさておき、アドラーは精神疾患の臨床で治療をするのに
「嫌われる勇気」などその他、基準として用いたようで、
私は「嫌われる勇気」はそういう人向きの言葉だと思います。

しかし、世の中には「嫌われる勇気」を持ちすぎて嫌われてばかりの人もいます。
「嫌われる勇気」を一般化すると、ますます我がままになる人が出てきます。
つまり、一般化するにはすべての人に通用する必要があります。

私は、人間の価値観というのは人それぞれで、
それぞれの個性は尊重されなければならないと思ってますので、
「嫌われる勇気」は精神的に弱い人向きの言葉と限定すべきです。

私は我がままな人向きに「自分に正直に生きるな」↓という記事も書いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/36612848.html

耳が聞こえなくなる

二三日前の話です。
朝起き上がったとき、左耳が水が入ったようにジブジブ音がして、
音がぼやけて鬱陶しい状態でした。

「そういえば最近耳掃除したないな」と思って耳掃除をしたのですが、
どうも聞こえがよくないのです。
そして、右にあるはずのテレビの音が左から聞こえているのです。

耳を片方ずつ閉じて確認したところ、
左はぼやけているけど聞こえていることが分かりましたが、
右はまったく聞こえてないのです。


早速、診てもらいに耳鼻科に行ってきました、
診察までの待ち時間に、カミさんに電話をしたのですが、
そのとき聞こえないはずの右耳で聞いていたのです。

少し音は小さいがしっかり聞こえているのです。
携帯電話を耳に付けているので、骨伝導で聴こえているのだと思いましたが、
骨伝導というのは、使えますね。

医師に耳の中を診てもらって、計器で聴こえ具合を検査、
結果は耳垢が貯まって、右は完全にふさがって鼓膜が見えない状態、
計器での検査でも全く鼓膜は振動していないとのこと。

治療方法は、耳垢を吸引するというもので、
右は取り切るまでに10分くらいはかかったように感じました。
聴力は完全に回復しました。


医師の話では耳垢取りは二三年に一回でいいとのことですが、
私は記録の残っている五年の間通院はないとのことでした。

凡人から見たアドラー心理学 Ⅰ

最近、アドラー心理学が人気だそうですね。
「嫌われる勇気」という本が出ているようですが、
フロイトとユングとこのアドラーの三人が心理学の三巨頭と言われているそうです。

アドラーさんの理論というのをウィキペディアなどで調べてみましたが
私のような凡人にはなかなか理解ができません。
というか、その理論からどうしたら「嫌われる勇気」が出てくるのか、
そのあたりが分からないのです。

「嫌われる勇気」というのは臨床で患者さんを診るときの一つの指導の基準のようですが、
他にも幾つかの基準があって、「共同体感覚」とやらで治療するようです。
この治療方法がアドラー心理学の特徴なのでしょうかね。


一方で、世間には人生経験の豊富な方で人生の相談に乗ってくださる方があるものです。
「少しくらい嫌われてもいいではないか」とか「良い子でいるのは辛いね」とか
「もう少しいい加減に生きた方がいいよ」とか、アドバイスしてくれる人です。

そういう人に「その考え方の理論はどこにあるのですか」と質問しても
答えてはくださらないでしょう。
おそらく、それは経験に基づくもので理論なんてないと思います。



つづく、

「信じる」という言葉の使われ方

以前に「信じるとは」という記事を書いたことがあります。↓
これはどちらかと言えば宗教的な意味合いの強い「信じる」でした。

しかし、他にも「信じる」と言う言葉の使われ方はいろいろあって、
金品を貸して「必ず返してくれると信じている」というような言い方をします。
これは「信じている」というより「返してくれると期待している」と言った方が正確です。

それを「信じる」と表現しているわけですが、
この例のように他の言葉で表現した方が適切で分かりやすいものでも
「信じる」という言葉が使われたりしています。

それは「信じる」という言葉の持つ魔力でしょうか。
「信じる」とは、人なり物なり自然なりに自分の心をゆだねることですので、
「信じる」と言えば、自分を控えて他を立てていると受け取ってもらえます。

ときには「信じる」は「賭け」と同じような意味に使われます。
「そっちに賭けるわ」というよりは「もう、信じとくは」という方が
感じよく受け取られます。

「信じる」という言葉は必ずしもいい意味で使われているとは限らず、
「賭け」のような良くない意味合いが隠れていることもあるのです。


Windows10に自動的になってしまった

5月17日に自動的にWindows10にアップグレードされた。
そのとき私は自分の覚え書きを入力中でしたが、
突然、アップグレードが始まり、続けることができず、
覚え書きが途中で止めざるを得なかった。

アップグレードにどのくらい時間が掛かったのか分からないが、
朝起きたらアップグレードは終わっていた。
まだ、完全にはチェックが終わっていないのだが、

今のところ、これまで使っていた機能は普通に使えるようだが、
画面のデザインや配置が変わって、
どこに目的のボタンがあるのか覚えるのが大変だ。
もっと、年寄向けの親切さがほしいですね。


やりかけていた覚え書きは、途中から再開できるようになっている。
これはありがたいですね。

宗教の位置づけ Ⅹ

人間行動の位置づけⅨで「力」で欲望を満たすことができることを知りました。
「明日はあれをしよう」と希望が生まれ、「時間」の感覚が生まれてきます。

「時間」の感覚が生まれたことによって、自分には未来があることを知り、
その未来に希望を抱き、夢を描きますが、
同時にやがて死に至ることも知るのです。

希望や夢、そしてそれを可能にしている身体が、
死によって失われることへの恐怖と不安が、自分の目の前に現れてきます。

世界の中心は自分があり、
自分はこの世界の中で一人であることに気づきます。
そしてここに存在することの意味を問い、
この世界が何であるかを問いはじめます。


自分が成長することによって得た「力」がいろいろの可能性を生み出し、
同時に不安や疑問が湧いてきて、
この世界について、人生について考え始めます。
それが哲学となり、いろいろの科学となって現在大きな遺産となっています。

どちらかと言えば哲学は、
どんどん科学に移行して疑問の多くを解き明かして来ました。
しかし、なぜ生きているのか、なぜこの世界があるのか、などという疑問、
そこから来る不安を取り去るための理由づけは哲学のままで残っています。

一方で、そうした不安を取り去るための方法として、宗教があります。
宗教は、その疑問の起源・原因になっている「力」や
「自我」を取り除くことにより、
疑問自体を解消しようとします。

宗教の位置づけ Ⅸ

自分が生まれたとき、自分には何の「力」もありませんでした。
すべては母親の手の中にありました。
自分にあるのは、自分の不愉快な気持ちを泣いて知らせることだけです。
このとき心の機能↓の内の「欲望」と「感情」がすでにあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/42050657.html

たいていの人は思春期のころに心の機能の内の「自我」も目覚めます。
日常生活に紛れていると、
自分と他人の区別を意識せず同列に並べてみていますが、
或る日突然、この世界の中で体の内側から見ている人間は、
自分だけであることに気づきます。

生まれたときは感覚器官で感じられる範囲が世界のすべてで、
「時間」の感覚はなく、只今現在があるのみでした。
それが成長するにつれて、自分に「力」ができてきて、
その「力」で何かができるようになります。

そしてその「力」で欲望を満たすことができることを知ります。
「明日はあれをしよう」と希望が生まれ、
自分なりの価値判断も生まれてきます。

これまで書いて来た「人間行動の位置づけⅠ~Ⅷ」の内、
「食料を得るための行動」「生命を維持するための行動」は、
この時点ですでに備わっていて、
生きるための最低限のことができるようになっています。

そして、道具を用いることで一層の発展をします。



http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/65727930.htmlへ続きます。

Sheena-Easton - Morning-Train

シーナ・イーストンのモーニング・トレインは
以前住んでいたところの隣の家からキーボードの演奏が聴こえていて
良く知っていた曲なんですが、
今日、車で80年代のCDを聴いていてこの曲が鳴り、懐かしくなってアップしました。
2000年代にコマーシャルで使われて、より日本でも知られるようになりました。
2005年にサントリーチューハイ『カロリ』
,2008年ソフトバンクモバイルのCMソングとして使われました。


sheena-easton-morning-train

戦争の原因

戦争は悪でしょうし、平和は善でしょう。
その論法で行けば、戦争をする人は悪人で、平和を訴える人は善人です。

フセインが指導者だったころのイラクは一応国内は平和でした。善でした。
そこへアメリカが「化学兵器を隠している」と言って戦争を始めました。
国内は悪に変わりました。

結果的には化学兵器は見つかりませんでしたが、
フセインの政治は対立する民族の片方に偏ったもので、
相手方からは歓迎されてなかったようです。その意味では悪でした。

イラク戦争が終わって後、アラブ諸国で「アラブの春」と呼ばれた政変が起こり、
これまでの指導者が沢山追放されましたが、
これまで平和だった国が指導者を失って混乱状態(戦争状態)になりました。


戦争は悪で、平和を守ろうとすることは善であっても、
その平和が悪政による別の意味で悪だったりするのです。
そしてその悪政を崩すために戦争を仕掛けることもあります。

だから、この場合の戦争は悪を倒すものであり善になります。
何んか矛盾していませんかね。

よく「戦争反対」というスローガンのもとに
大きな力を結集して圧力をかける行動を見かけますが、
あれでは「戦争反対」にはならないと思う事があります。


ここで例にした「戦争」とか「政策」とかは一つの価値観で
その時代、その地域、その民族、その宗教その他で異なるものですが、
この記事では仮に善悪を決め付けて進めてきました。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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