FC2ブログ

インフルエンザすら我が家には来ない

二三年前にインフルエンザではないかと
医者に行ったことがあります。

私は風邪くらいで医者に行くなんてことは、
これまではなかったのですが、
「熱があったらインフルかも分からんので行け」
と言われて行ったのですが、確定診断には至りませんでした。

だいたい私は注射が嫌いで、ワクチンなどは打ったことはないし、
それでもインフルエンザには罹ったことがない??のです。
??を入れたのは、
軽くインフルに罹って気づかない人もあるらしいからです。

一方で、熱がなければインフルではないとも聞きますが、
それなら、軽くインフルに罹るというのは
軽く熱が出るということでしょうか。
平熱をよく知っておかないと分からないし、
それが分かってても、バラツキの範囲かどうか判断が必要ですね。


余談はさておき、幸い我々夫婦はインフルエンザに罹らないのです。
インフルエンザにも、選ぶ権利があるのでしょうね。(笑)
我が家にはインフルエンザすら来てくれません。

ついでなから、インフルに限らずかなりの薬には
「食欲不振」という副作用があり、食べられなくなって
体力が回復しないこともありますので、(経験者です)
薬に頼るのはよくよく考えた方がいいと思います。

スポンサーサイト

人間の位置づけ

人間は原子より大きく星よりは小さい存在です。
人間は原子と星の間で生きています。
だから、人間の体はその間で生きられるように創られています。

「五感には限界がある」という記事でも書きましたが、
その限界というのが原子より小さいものや星より大きいものを
感覚では正確には受け止められないということです。
感覚器官に限らず行動器官にも限界があります。

ですから、電子の存在を確定できないという
ハイゼンベルクの不確定性原理がどうであれ、
日常生活には何ら関係はないのです。

アインシュタインの相対性理論で互いに動いている物体は、
時間の経過が異なっていても、感覚器官では捉えられないので
やはり、日常生活には何ら関係はないのです。

もっと身近な話をすれば、
地球が丸いなんて感覚器官では感じられないので、
昔は(今でも日常は)地球は平と思って生活しています。

ここが人間に与えられた位置で、すべての出発点なのですが、
多くの哲学者は、人間の認識能力には限界があるのでと、
ここを出発点にはしないのです。
人間にはその限界を超える論理能力があるため、
その論理能力を最初に据えて、そこから哲学を始めるのです。

それが哲学の混乱の元です。






世界の構造 Ⅶ(移動)

下の図は、自分一人の行動を説明するにはいいのであるが、
社会全体というか世界全体の動きを捉えるには不十分である。
世界全体を平面的に表現するのは難しく、
「社会」の中に「自分」を沢山書くくらいがせいぜいだった。

世界の構造Ⅵでも他人が登場していた。
図Ⅲで説明を済ませているが、本来なら「目的」が他人に移った時点で
図も「他人の図Ⅲ」に移動しなければならないのだ。
島宇宙という天文学用語を流用はしているが、それは「他人の図Ⅲ」のことである。

誰か他人に「目的」を依頼して引き継いでもらう行為は、
図Ⅲの「社会」に働きかけるわけだが、
正確には「社会」の中の小さな「自分」に働きかけているのである。
そして「目的」を受けた小さな「自分」の「世界の構造」が回転し始めるのである。
そのようにして「目的」が人から人へ移動してゆくのである。


世界は単純に線形で捉えるのは困難である。
複雑な全体を非線形な構造体として、図Ⅲのような捉え方が必要である。
すなわち、システムとして捉える必要がある。

図Ⅲ


世界にはいろいろの人がいる。子供もいるし老人もいる。
学校の先生、漁師さん、運転手さん、国会議員に公務員、
漫才師もいれば、ピアニストもいる、それに浪速のおばちゃんも、
いろいろの価値観の人が集まってこの世界を構成している。

誰も例外はなく、下図が出発点でそこから歩み出すが、
それぞれの価値観や環境でそれぞれの方向に進んで行って現在があるのである。
この世界には哲学者だけが生活しているのではなく、
みんなが関連し合ってそれぞれの思いで生きている。

ある哲学者は自分の価値観で世界観(人生観)を作る。
世界はそれでなくてはならないと決め付けて、すべてをその枠にはめ込もうとする。
それでは「世界」と言えないように思うのだがどうだろうか。

上に挙げたいろいろの価値観の人、
そういう人たちも立ち位置がある世界観、
世界のすべてを包み込むことができる世界観が必要と思う。


世界の構造Ⅷ↓ へつづく、

恥をかく

  「恥をかいていいんだよ」

あるブログで上のようなタイトルの記事を見たので、コメントしようとしたところ、
これは 斎藤一人 さんの文章と分かって、いただいてきました。


私は年のせいか恥を恥と思わなくなりました。
「恥をかいていい」ではなく「恥ではない」と思っています。
人間てセあれば、失敗したり間違ったりするのは当たり前で、
その方が人間らしいと思ってます。


ブログでも、漢字の変換ミスに気付いても訂正するのも面倒で、
そのままアップすることもありますし、内容の間違いでもそれを訂正するのではなく、
「それは間違いでした」と追加で書き込んだりします。

基本的にブログは「遊び」と認識していますので、
面白い話や不細工な話は記事には欠かさずしていますし、
とりあえず、恥とは思わず記事のネタにしています。


大体哲学なんてものはカターイ話ですので、
砕けた内容にしないとお客様が来ていただけませんし、
今はありませんが、最初のころはわざと間違えて記事にしたり、
記事を書ききらずに中途半端にかいたり、
コメントがし易いように工夫をしていました。
間違って書くことを恥とは思っていませんでした。

これからもせいぜい恥をかいて行きたいと思います。

世界の構造 番外編

「世界の構造Ⅶ」でいただいたコメントで、
私の記事は、フッサールとかハイデガーの考えに似ているという事でしたが、
もちろん、私はこの二人が偉大な哲学者であることは知っています。

でも、どう考えても似ているとは思えないのですが、
私の知っている範囲のお二人とは似ていないだけなのかもしれません。
このお二人、私の好きでない哲学者に入る人で、よく知らないことも確かです。

しかし、哲学は「この世界」について研究する学問ですから、
同じ対象の「この世界」を研究している限りは似ていて当然とも言えます。
例えば物理学、同じ対象を研究しておれば、
私とフッサールくらい以上に似た内容になると思います。


むしろ、同じ対象を研究しているなら同じでなくてはならないと思います。

同じだからこそ話が通じるのです。理解ができるのです。

意見は異なっていても、同じだから議論もできるのです。


哲学に限らず、学問は誰にでも理解できる前提から出発し、
できるだけ単純に説明ができるものが望ましいです。
しかし、現実の哲学は一般的には「難しい」対象になってます。

なぜあんなに、こね回して分からなくするのでしょうか。
私の頭の問題なのでしょうか。それは認めるとしても、
「哲学なんて」と思っている一般人にはそれは失礼でしょう。

確かに、部分的には素晴らしい感動的な言葉を残されていますが、
全体として通してみたとき、哲学全体をみたとき、
「哲学なんて」なんですよ。



世界の構造 Ⅳ

医療、介護、保育にもっと予算を

医療、介護、保育など、国が何らかの形で関与している施設では、
そこに働く人の待遇がかなり悪いと言われているし実際そう思う。

しかし、医療、介護、保育などは、
いろいろの意味で日本の将来を担う重要な施設です。

政府は財政的に困難という理由で予算を削りますが、
その重要度を考えると「削る」という発想はないでしょう。

必要なものにまず予算を回し、残ったお金を他の政策に回す。
そのくらいのつもりでやらないとダメと思います。


上のようなコメントをあるところでしたところ、
下のようなお返しのコメントをいただきました。
こういう視点も必要なことですね。

高齢者を施設や病院に追いやるのではなく、
自立的な生活を保障することによって、彼らの健康を取り戻し、
医療・福祉コストを削減することも考えられます。

眠られぬ夜

久しぶりに神から時間をいただいた。
眠れない夜は神様が時間を与えてくださったのだと、
寝るのをやめて、その時間を有効に使うことにしている。

何をしようかと考えた結果、それを記事にすることにしました。
それから、もう少しで完成する小説も書いてしまうことにした。
いつもなら、そうこうしている内に眠気がしてくるはずだ。

あくびも出てきたし、う~ん。

世界の構造 Ⅸ(移動)


下の図Ⅲを見て「脳がない」「人間が物事を認識できるのは脳があるからだ」
「脳が無かったら人間の行動を描けない」と言う人があると思う。

「世界の構造Ⅰ」でも述べたが、
この図は世界の物質的な部分を指示しているのではない。
人間(世界)が持っている「機能」を分けて関係づけしたものである。
だから、「脳」の機能は他の自分の部分に分かれて入っているのである。

図Ⅲ



考えてみてほしい。
幼いとき自分の脳のことを考えたことがあるだろうか。
誰も教えられるまでは脳で考え脳で認識しているなんて知らないのだ。
「胸に手を当てて考えてみろ」とはいうが「頭に手を当てて~」とは言わない。
昔は大人でも「胸で考えている」と思っていたようである。

脳で認識していることは研究して初めて分かったことなので、
そしてその研究の出発点はやはりこの「世界の構造」なのである。
研究するというのはこの世界の構造で「目的」を回転させることなのだ。
全てのことはここが出発点なのである。
誰も例外はない。今も昔も世界中どこでもである。

これは生まれた時に誰にでも与えられているものである。
ただし、人間は成長するのに時間がかかるので、
おおむね、思春期のころに諸機能が整う。
この成長過程を「なぜ生きる」という記事にも書いている。
これは哲学的疑問が生まれる過程でもある。
すべてはこの時が出発点なのである。


この「世界の構造」では「生物」は分けなかったが、
生物にも「目的」があって人間と同じように動いている。
生物学や各種社会科学は「目的」を主題に置いて考えて行く方が
話が単純にできて分かりやすいことには変わりがないと思う。

そういう点では「生物」は「自然」に分類するより
「社会」に分類する方がよいかもしれない。
システム論もオートポイエーシスなどは生物の組織が研究の対象で、
一般システム論を提唱したベルタランフィも当初は生物の細胞を対象としていた。


他に、この「世界の構造」の分割方法に疑問を差し挟むとすれば、
「心」はもっと分割が可能ではないかとも思う。
8種の「心」の状態を挙げたが、それを半分にするとかそういう話ではなく、
フロイトの言う深層心理を取り入れて、心の内部の構造を探ることである。



世界の構造Ⅹ↓へつづく、

Chi - Lites . Homely Girl.

シャイ・ライツは黒人4人組で、70年代に活躍したボーカル・グループです。
私はソウルはあまり好きではないのですが、
このシャイ・ライツは例外で良い曲がたくさんあります。
その中の一つ ホームリー・ガール はバックのベースが刻むリズムが心地よく、
フルートのピーヒャラを気にしなければ最高ですね。


Chi - Lites . Homely Girl. 1973
プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ