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薬にも使用期限がある

胃の調子が悪くて胃薬を飲んでいるのですが、
あまり効き目がないので、薬を変えました。

「「飲み過ぎ」「食べ過ぎ」のための胃薬ではありません」
と注意書きがある薬で、「神経性胃炎に効きます」
と書いてあるのですが、半信半疑で飲んでみました。

何となく効いたように思うのですが、
ただ、この薬はかなり以前に買ったもので、
効き目が落ちていたのでしょうか。

そう言えば薬には消費期限というのはないのかなと
使用説明書を読んでみたが、どこにも書いてないのです。
それはないだろうと、箱を調べたところ、
ロットナンバーとともに使用期限というのが刻印されていました。

ちなみに、私が飲んだ薬は使用期限が、2013.03と刻印があり
2013年の3月で使用期限が切れていました。

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体調最悪

とりあえず、食欲がない。そして下痢続き。
食欲がない理由としてストレスが溜まっていること、
一人住まいで、作る料理がマンネリで不味いこと、

一人分だけ料理を作るのはなかなか難しい。
材料を買ってきても一人分だけ作ると余るので、
ついでに、晩ごはんの分も作ってしまう。

作った料理が不味くても、もう一度食べなくてはならない。
それは食欲がわかないはずです。

ストレスはこれまでからズーッとあるが、
私にはそのはけ口がない。
現在まで、とりあえず死なずにいるのは、
幸い楽観主義だからだと思う。

でも、楽観主義だからと言って下痢はとまらない。
とりあえず、お尻が痛い。

格差は収入だけではない

テレビでスマホを使った
新しい生活スタイルの紹介をしていました。
そして、「未来の生活スタイルはこうなる」と。

最近の通信機器の進歩は著しくて、
私などは追いつかず携帯電話の段階で止まったままです。
現実、私の場合は必要がないというのもありますが。

はたして、未来の生活が言うようになるか疑問に思いました。
確かに通信機器の発達で、徳島県でも
消費者庁の移転誘致ができる状態にはなりましたが、
その一方で、未だに携帯電話すら持っていない人もあります。

もちろん、収入が少ないために持てないという人もありますが
必ずしも、収入と関係があるとは限りません。
私は以前にコンピュータの仕事もしたことがありますが、
パソコンのウインドウズを操作するのは苦手です。

私の時代のコンピュータは自分で思うように動かせましたが、
今のはウインドウズという他人が作ったプログラムを操作しなければならず,
どう作られているか分からない者には、その仕組みが分からないのです。

性格的にとか年齢的に覚えるのが苦手なものには、
最近のパソコンやスマホやタブレットは面倒で、使おうとは思わないのです。
第一説明書がなかったり、あっても役に立たなかったり、
最後はヤフーの「知恵袋」で聴くなんて、
そんなキマリがいつの間にできたのでしょう。

テレビが言うような未来は、部分的にはできたとしても、
日本中がいろいろの面で揃わないと、実現はしないと思います。
格差は収入だけではないのです。

廃棄という方法が問題

ココイチの廃棄品が食料として出回っていたことが
今、テレビなどで話題になっていますが、
「廃棄するものを廃棄せずに販売している」のは問題
という方向に向いています。

テレビを見ている私は「食べられるのにモッタイナイ」
という気持ちがまず湧いてきます。
捨てずに困っている人に配布すればいいのにと思います。
そう思っている人も沢山いると思うのですが、
そういうご意見は表には出てきません。

こういうことを言うと「廃棄するものを貧乏人に配布とは
人権無視も甚だしい」というご意見が必ず出てきます。
本当はそうなのでしようが、私は廃棄するよりはいいと思います。

例えば、賞味期限が切れていても食べられるのですから、
それを食べるものもまともに買えない人に配布するのは悪いこととは思いません。
「国家のするようなことではない」というご意見はあるでしょうね。
それなら国家がしなければいいのです。民間のボランティアででもやればいい。


わが家の食品の捨てる基準は、カビが生えているとか、
腐った匂いがするとか、その他食品の見た目などですが、
賞味期限などは一切気にしていませんね。

賞味期限で捨てる判断をするのは問題のように思います。
もう少し工夫があってもいいのではないでしょうか。
廃棄される食品が多いということで、以前にも問題になりましたが
それはどういう解決策が考えられているのでしようね。

道具の位置づけ Ⅵ

道具の位置づけⅤまでに
道具でカバーされている人間の諸器官はほぼ出揃った。

しかし、道具はまだまだ新しいものが出てきており、
中にはどこに分類していいか分からないものがある。

道具の位置づけⅢでも述べたが、
薬などは道具らしい形はしていないが
体の維持機能のカバーをしていると考えられる。

人工臓器なども同じように道具として位置づけできるが、
それでは臓器移植の他人の臓器は道具なのだろうか。
これは難しい問題で直ちには結論は出せないが、
iPS細胞で作った臓器は道具にできそうに思う。

人間にはない感覚器官をもっている動物の感覚器官を真似て、
道具を作って人間の役に立てるというのも、
今は現実の話になっており、人間にはない感覚器官を
人間が使えるようになってきている。

宇宙ステーションなんてものもあるが、
やはり、巨大な道具である。


凡人の私が日常ニュースなどで接している情報だけでも
まだまだあるが、道具の開発に携わっている現場では
もっと、さまざまな道具があると思う。

道具を対象とする科学は工学だと先に書いたが、
工学だけでなく医学とか農学とかの自然科学系の応用科学が
道具をその対象としている。
そこから生まれてくる道具も沢山あるはずである。

忘れるから余裕が生まれる

人間の記憶能力の悪いところは
忘れてしまうことですね。
その点、コンピュータは忘れません。

人間の記憶能力の良いところも
忘れられることですね。
その点、コンピュータは忘れることができないのです。

「忘れる」ということは私のような年になると
あまり良いイメージとしては受け取れませんが、
時には忘れてしまいたいこともありますよね。
「忘れる」ということは必ずしも悪いことではありません。

コンピュータですら忘れてしまいたいことがあるそうです。
忘れたいのに忘れられないのですね。
その点、人間は忘れられるので先に進むことができます。

先の記事でブロ友さんからこんなコメントを頂きました。
「忘れるから考える余裕がある」
余分なことは忘れて、考える余裕を確保する。
それが人間にはできるのです。

その昔、私がコンピュータの仕事をしていたとき、
今と違って昔のコンピュータは記憶容量が少なく、
どうして記憶スペースを確保するか、プログラミングを苦労しました。
コンピュータにも「忘れる」という機能があるといいのですがね。

道具の位置づけ Ⅴ

道具の位置づけⅤでは、人間の脳の機能の内、
演算機能と記憶機能をカバーしている道具についてである。

それに相当する道具の代表はコンピュータであるが、
これこそ演算機能と記憶機能そのものである。
それ以外にもたくさんの道具がある。

例えば、本とかメモとか文字を書いたもの、
まだまだある。役所に行けば書類の山である。
こんなものを頭に詰め込んでいたら大変である。

これらは人間の記憶力を補うものであるが、
これらは行動器官としての「口」を補うものでもある。
そのことは看板などをみると分かる。

それからもっと重要な貨幣という道具がある。
この貨幣の位置づけはちょっと難しいが、
単に金額を忘れないためという位置づけでは物足らない。

貨幣は経済学の対象で、専門家がいらっしゃいますが、
国家とか時の為政者がその価値を保証して、
その額面に相当する価値が備わったものである。

この貨幣と似たものが他にもあるが、
例えば株券は国家ではなく企業が保証しているもので、
国家ほど確かな保証ではないので、株価が大きく変動する。


ここまでで、一通り人間の諸機能に対応する道具を上げてきたが、
それほど細かくはそこに含まれる道具を上げなかった。

実はここに挙げなかった道具の中に、
どこに入れていいか分からない道具が増えてきているのだ。
次の「道具の位置づけⅥ」ではそれらを位置づけをする。



「道具の位置づけ Ⅵ」↓へ

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-987.html

私の記憶力

ウチのカミさんが入院していて、
娘と見舞いに行くときの話です。

娘は結婚して独立しているので、
京都駅で待ち合わせをしたのですが、
それをすっかり忘れて娘の仕事先に行って待ってました。

そこへ電話がかかってきて
「どうなってるの。京都駅で待ってるけど」という。
この時点ではまだ私がつい30分前の約束を忘れていることには気づいてないのです。

「さっきお父さんが車運転中に京都駅に決めたやん」という説明で
やっと思い出したのです。待ち合わせ場所が二転三転したことも。
それにしても、つい先ほど約束したことを忘れ、
さらにそれを指摘されてもすぐには思い出せなかったことはショックでした。


私は小学校のときから記憶力は全くダメでした。
さらに最近はボケが加わってガタ落ちです。
その上に先のショックが上乗せされて、そろそろメモを取らなければと思っています。

ところが、自分にとって大事なこと、というか自分の関心事は、
しっかり記憶しているのです。それも昔から変わらないのです。
いかに自分勝手な人間かということの証明です。(笑)

哲学の出発点 Ⅱ

また、デカルトさんに登場してもらいます。
デカルトが「疑えないのは自分だけ」という結論にたどり着くために
これは疑わしい、あれも疑わしいといろいろ疑わしいと思えるものを確認してきたはずです。
ということは、疑わしいと確認できる対象があったわけです。

人間には生まれたときすでに与えられているものがあります。
デカルトはそこから信じられるものと疑わしいものを分けて行ったのです。
それも生まれたときに自分に与えられていた頭脳を使ってです。
つまり、分ける基準は「疑わしい」か「信じられる」かの二種類でした。

しかし、現実の世界は疑わしいものも信じられるものも、
すべてを含めて構成されていて私に与えられており、
もっといろいろの側面から分けることができます。
その分けられたものが出発点です。すでに与えられているものです。



厳密さが要求される科学などでは、そこで使用する言葉を定義して統一します。
そしてその定義は証明する必要のない明らかに自明な法則であることが理想です。
そしてその定義された言葉を出発点として科学を進めて行きます。

物理学の出発点は、そこで使用される基本概念を無定義としていますが
それはそれ以上定義することが不可能だからです。
例えば、ニュートン力学では「時間」「空間」「質量」の三つが無定義概念で、
この三つの概念で構成する式に、ニュートン力学は還元できるのです。

ユークリッド幾何学は、
 2つの点が与えられたとき、その2点を通るような直線を引くことができる。
 a=b なら、a+c = b+cである。
などの自明な前提を公理として、そこから定理を導いています。

数学でも(詳しいことは分かりませんが)
 どんな自然数に対しても、その数の「次の」自然数が存在する(ペアノの公理)。
などの自明な前提を公理として、そこから定理を導いています。


凡人の私がこのような難しい話ができる訳がありませんが、
ここで言いたいのは公理などの説明ではなく、
必ずしも、公理系を作り上げる必要はないと思いますが、
哲学の出発点は自明な分かり切ったことであるべきだということです。

まずは信じること

有名は哲学者デカルトは「まず疑い」ました。
そして信じられるのは自分だけと結論しました。

もし、この考えをデカルト自身が実行したとしたら
大変窮屈な生活になっていたでしょう。

現実にデカルトがどういう生活をしていたか知りませんが、
おそらく、自分だけを信じるなんてことはしていなかったと思います。

哲学というものは現実の生活とは違って厳密に考える学問だ
と哲学者は思っているのだと思いますが、
現実の生活を厳密に考えたらいいのではないかと私は思います。


前置きが長くなりました。現在の私の生活ですが、
まずは信じて生きています。

最初から疑っていたら、心が持たないでしょうね。
現在の世の中は信じていても心を病む人が生まれます。

本当の信じると言うことは「「信じる」とは」
http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/65436962.htmlを読んでみてください。

でも、「振り込め詐欺」には気をつけましょうね。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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