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哲学の出発点

最近、テレビの娯楽番組などでも難しい科学の話などが出てきて、
その解説など聞いていると、大変勉強になります。
例えば、腰痛でも痛みは脳で感じるもので腰ではないというのです。

しかし、こうした解説は科学で哲学ではありませんね。
「痛みは脳で感じるもの」という結論は、
いろんな観測機器で脳などを観測した結果出てきたもので、
最初から分かっていたことではないですよね。

テレビの番組の制作者は、どのようにして「痛みは脳で感じる」にたどり着いたのでしょう。
例えば、腰痛について詳しい研究者を探して、
その人を手掛かりに腰痛の名医を知り、治療の現場を確認、
そしてテレビで放映された、のかもしれません。

さらにその放送を私が見て、大変勉強になったと思ったのですが、
考えてみると、その判断には大変危険があります。
例えば、この種の番組は「ヤラセ」の可能性もありますし、
もっと優れた研究があって、「痛みは脳」は時代遅れかもしれません。
使った観測機器の精度の問題もありますし、その他・・・・
それより何より、それらは自分で確認したことではなく、
放送内容を信じているに過ぎないのです。


人間は生まれたときはこうした知識はなく、
最初から分かっているのは与えられた感覚器官でとらえる世界のみです。
哲学の出発点はここにあります。
そこから結論に至るそれぞれの通過点がどれだけ確かなものかで、
全体としての確かさが決まります。

出発点が間違っていたら、そこから出てくる結論も間違っています。
出発点は誰でもが受け入れられる当たり前の分かり切ったことであるべきで、
物理学でいう無定義概念とか、数学でいう公理のようなものです。
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クリスマスケーキ

ブロ友さんのところで、
美味しそうなクリスマス料理をみて、
こんなコメントをしてきました。

 我が家はといえば、カミさんと買い物に出て
カミさんが「ケーキ買ってきて」というので
ロールケーキを買って来たら機嫌が悪いのです。

 家に帰ってテレビを点けたらイブの話ばかり、
そこでハッと気づきました。

カミさんが「ケーキ」と言ったのは
クリスマスケーキのことだったのだと気づいたのです。

それまで私は「クリスマス」という意識がまったくなく
クリスマスケーキなんてのも頭にはありませんでした。

もう、クリスマスケーキという年でもないし、
静かに過ごす年の瀬もいいものです。

お役所仕事

最近、ウチのカミさんの母親が亡くなったり、
カミさんの脚の手術で障害者の手続きなどで、
役所に行くことが多かった。

ちょっとした相談事などには親切に対応はしてくださり、
ちょっと前とは「変わったな」とは思ったのですが、
まあ、処理時間の長いこと、

障害者用のイスの購入費用の補助10000円を頂くのに
七月に手術を受けてイスはすぐに届いたのですが、
補助金は来年の一月に出るそうです。
「何でそんなに掛かるのか」と聞くと「何人もでチェックするから」というのです。

民間の保険会社などは少額の請求には
書類だけで処理するようですが、さすが役所ですね。
正確にするのはいいのですが、
そのために掛かっている労力(費用)のことは考えないのでしょうかね。

Feliz Navidad

Feliz Navidadは、ラテンの国では有名なクリスマスソングだそうです。
いろんな人が歌ってますが、フロリダあたりのラジオでは
、頻繁にかかっていて、“Feliz Navidad”を繰り返すのが耳に残って
とても楽しい気分で口ずさんでしまいます。
(Amazonのホセ・フェリシアーノのレビューより)

ホセ・フェリシアーノがオリジナルのようですが、
このYouTubeは Boney M  のものです。
Feliz Navidad とはスペイン語でメリークリスマスという意味だそうです。

乙武洋匡さん、最高

「障害者ってなにしても許されるし得だよね、
あたしも障害者に生まれたかったなー」
とのツイートに対して、

乙武さんは、
「障害者となるには、何も先天性である必要はありません。
いまからでも遅くはありませんよ? 」と

ブラック・ユーモアというのでしょうか。
最高ですね。こういうユーモア。

「わかる」とは「分けられる」こと

「わかる」は漢字では
「分かる」「判る」「解かる」などと書きますが
私はいつも「分かる」と書きます。

なぜそうしているかその理由は
「わかる」とは「分けられる」ことだと思っているからです。

過去形の言い方をすれば
「わかった」は「分けられた」ということになり、
こちらの方が理解しやすいかもしれません。

「わからない」という状態は
いろいろのものが混沌としていて特定ができない状態で、
それを「かき分けて」探して「分かる」のです。

「あれは違う」「これも違う」と分けていって、
たどり着くところが「分かる」です。

規則を破ることの意味

万引きを防ぐには「それは悪いこと」と
しっかり教えることだと
コメントを以前に頂いたことがあります。

その時、万引きする人のほとんどは
「それは悪いこと」と知っている。
そういう人の多くは学校や勤務先や家庭やその他、
社会に対して不満を持っている人で、
その社会の規則を破ることに意味があるのでは、
と私は答えました。

万引きに限りませんが、
ちょっと常識では通用しないようなことをする人があります。
「ゴミ屋敷」もそうですし「暴走族」もそうです。
「放火をする」のもそうでしょうね。

社会に不満ある人、いろいろあるでしょうけど、
孤独な人が多いように思います。
社会から一人前に扱われない、
だから卑屈になり、そのイライラを「規則を破る」ことで
発散しているように思うのです。

どう思われますか。

目で確認しなければⅡ

有料の琵琶湖大橋を渡るときの話である。
普通車は通行料が 200円 なのだが、
運転中に小銭を出すのが面倒なので、
いつもウチのカミさんが小銭を用意してくれる。

料金所に近づくと平手を後ろに回して、小銭を受け取り、
それをそのまま料金所のオジサンに渡すのだが、
当日は、料金を渡して車を発進させたところで、
「コラ!!マテ!!」と大声が聞こえたのだ。

私は慌てて、車を停止しバックしたが、
オジサンが言うには「10円玉やんか」という。
確かに返された硬貨は10円二枚だった。


100円玉二枚を渡して、無事橋は渡れたが、
私も渡すとき100円玉かどうか確認はしてなかった。

手に渡されたとき、丸い硬貨が二枚、
手の感覚で確認できたのだから、疑わずに100円玉と思った。

それ以来、手の平の硬貨は確認するようになったが、
それにしても、昼間の明るい時間に
100円玉と10円玉を
どうして間違えたのか未だに謎なのである。

みんな非正規にしたら

正規雇用の人と非正規雇用の人の格差が大きくて
いろいろ問題が出てきています。

非正規雇用の人を正規雇用にするように
誘導する動きもあるようですが、なかなか進まないようです。
なら、いっそうのこと全部非正規雇用にすればいいのでは。


二つの制度をそのままに、中身をそろえるのは難しい。
呼称の問題ではなく、同じ土台の上なら、
一緒にはできなくても少しは差は詰めやすいと思います。


こんなこと言ったら正規雇用の人から叱られそうですね。
それは覚悟の上です。

目で確認しなければ

もう、だいぶ前になりましたが、
家族で買い物に出かけたときの話です。

ウチのカミさんがペットボトルのお茶を買うため、
私はコンビニの前で車を止めました。

後部座席に乗っていたカミさんは
ドアを開けて車から降りて、コンビニに入っていきました。

そしてコンビニから戻って来て、車のドアを開け、
ドーンと車のドアを閉めたのです。

そして車を発進して、次の目的地に向かったのですが、
助手席に乗っていた娘が「お母さんが乗ってない!?」と言うのです。

後ろを見てみると、確かにカミさんがいないのです。
娘も「確かお母さん乗ったよな」といいます。


後でカミさんに聞いて分かったのですが、
財布を忘れたので車に取りに戻ったらしいのです。

私も娘もドアの開け閉めの音で確認していたので、
カミさんは車に乗ったものと思ったのです。

耳でではなく、目でしっかり確認しないと、
大変なことになることもあると気づいた一件でした。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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