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落ちこぼれを作らない Ⅱ

先の「落ちこぼれを作らない」で
もっと、教育の思い切った改革が必要と書きました。

今の教育は一律に「これだけは必要」と決めて、
みんなその方針に乗せようとします。

例えば、現代のように国際化した社会では
外国語の能力の向上が必要であるという判断で
英語の教育に力を入れるのはいいとしても、
それをすべての生徒に強制するのはどうかと思います。

英語なんて一生使わなくても生活できる人もありますし、
それでも立派な仕事をしている人も沢山います。

私は頭ごなしに覚えるしかないような英語とか歴史が大嫌いで、
大学を卒業するまで、英語はカンニングで通ってきました。

全ての人が英語を学ばないといけないのでしょうか。
全ての人が数学を学ばないといけないのでしょうか。
英語ができない人がいても国が傾くことはないと思いますし、
数学はできなくても算数が出来れば十分という場合も多いです。


その生徒のいいところを伸ばすことを第一に
教育することを主眼にし、できない科目があっても、
他の科目でそれを補うことができるようなシステムにして
卒業するときには自分に自信を持てる、
そんな生徒にすることを目標にすることが
犯罪を減らすことにつながると思います。

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イスラム国は結果だ

今、イスラム国は恐怖の対象になっている。
このイスラム国をつぶす事ばかりを考えられているが、
しかし、イスラム国は結果であり
その原因をなくすことをもっと真剣に考えてほしい。

イスラム国の主導者などの出身地が報道されることがあるが、
どこも貧しいスラムで、その貧しさが
イスラム国に駆り立てているのは容易に想像できる。
もっと本気でこの貧困を救うことがイスラム国を衰退させる道と思う。

パレスチナとイスラエルの争い(遡ればユダヤ人差別)
にしてもイスラム国の遠因になっているが、単に領土問題ではなく、
領土は狭くても裕福になれば争いは少なくなると思う。

もう一つ、イスラム国を衰退させるための方法として、
イスラム教の指導者がもっとイスラム国にたいして発言すべきと思う。
それからイスラム教の教義が厳し過ぎるのも、
イスラム教への理解を遠ざけており、融和を拒んでいる。

落ちこぼれを作らない

もう随分前になりますが、ブログでこんなお客さんがいました。
教育のあり方に関する記事でしたが、
今の教育のあり方に疑問を感じると書いたものにです。

私はその疑問は、落ちこぼれを作ってしまうためと書いたのですが、
それに対して「私は落ちこぼれることなく
上手く行っているので今の教育でいい」というご意見でした。

この人の考え方は「自分がいいからそれでいい」です。
落ちこぼれる人が増えると犯罪も増えてきますが、
そうなると自分の生活空間も住み心地が悪くなることが
考えには入っていませんね。

教育を考えるお役人も似たようなお考えのようで、
落ちこぼれるのは自分の努力が足りないからで、
それによる社会の不安定は別問題と言いたいようです。


私はいつも言っていますが、人間はいろいろの個性の人があって、
今の教育が合わない個性の人もあるのです。
それを考慮せずに一律に同じことを教えようとするから
落ちこぼれる生徒が出てきます。

選択科目などもありますが、そんな小さなことではなく、
思い切った改革が必要と思います。
もっといろいろの進路があっていいと思います。


「落ちこぼれを作らないⅡ」も読んでみてください。

ロボットは物理学で説明できるか

ロボットと言っても何も人間の形をしている必要はありませんが、
もっと簡単に言うなら機械と言っても良いかもしれません。

そのロボットはほぼすべて物で出来ています。
だから物理学で説明できそうに思います。

人間のように歩行し、会話もできるロボットなど、
最近は「ロボット」の話題をよく聞くようになりました。


例えば、歩行のできるロボットの脚の構造など、
図面を見れば骨格になる部分、関節になる部分、動力になる部分、
電気配線など、どこを取っても一つ一つは物理学で説明できます。

しかし、脚全体の動きは、それら一つ一つの物理現象の
単なる合計ではないのです。ロボット全体でもそれは同じです。

人型ロボットの歩行は瞬間的に片足立ちになり
転ばないようにするのが難しいと聞きましたが、
例えば、この切れ込みの角度はもう少し広い方がいいとか、
ここはもう少しゆっくり動かした方がいいとか、
そのように微調整して歩行をスムースにして出来上がってゆきます。

こうして出来上がったロボットを物理学で説明するのは簡単でしょう。
試作過程のロボットでも物理学で説明は可能でしょう。
しかし、どうだったら完成と言えるかは物理学では分からないのです。
転ばないように作るという目的も物理学では分からないものです。
それはロボットを作ろうとしている人間が決めることです。

自然界にも人間をはじめ生物と言われているものはロボットと同じく
部品で組立てられていると言っていいと思いますが、
こうした構造体は物理学では説明ができない部分があるのです。

未来は決まっているか(決定論)

物体は物理学の法則にしたがって運動しており、
一時点での世界の状態が与えられれば、それ以降の状態は一意的に決まってしまう。
人間の身体も物体であり、物理法則にしたがって運動しており、
やはり未来は決定している、というのが決定論です。

もし決定論の言う通り、未来が決定しているとすれば、価値観は一変してしまいます。
犯罪を犯しても、物理法則にしたがって行動したものであり、
罪を犯した人間には責任がありません。そうなれば大問題です。

この決定論の根拠は、物体はすべて物理法則にしたがって運動している、
ということろにあります。はたしてそうでしょうか。
私たちは確かに物体で出来ていますが、自分の意思で自由に判断して行動しているように思っています。
私たちの社会もそれを前提にして成り立っています。

もし私たちが物理法則にしたがっていないとすれば、どうしてなのでしょうか。
自動車を例に考えてみましょう。

自動車は沢山の部品からできています。
そしてその組み立てられた部品は物理法則にしたがって運動します。
しかし、自動車は右にも左にも自由に動きます。
(正確には運転者が運転して始めて動くのですが、この件は後述します。)

つまり、自動車は個々の部品の動きの総計ではなく、
一つのシステム(構造体)として運動しており、
個々の部品の動きの総計に、何かがプラスされたとみてよいと思います。
このプラスされた何かというのは、いったい何なのでしょうか。

自動車は速く楽に目的地に行くための道具です。
しかし、個々の部品にはこの自動車としての役割は含まれていません。
自動車として出来上がったときに付け加わるものです。
これがプラスされた何かです。

それでは誰がそれをブラスしたのでしょうか。
それはその自動車を設計した人です。そしてそれを運転する人です。

人間も構造体として目的がプラスされて生きており、
自由に行動でき、未来は決まっていません。
人間の運転者は自分自身ですが、それでは設計した人は誰でしょう。
みなさん一緒に考えてみてください。

Westlife - Beautiful Tonight

ウエストライフ(Westlife)は、1998年に結成され1999年から2012年まで活動していた男性5人組のアイルランド出身のバンド、アイリッシュ・ボーカルグループである。
以上5人がメンバーである。ウエストライフのファンは国際的で、アイルランドイギリスヨーロッパカナダオーストラリアアジアアフリカラテンアメリカで絶大な人気を誇る。また、イラクでも市場を展開している。
1999年から2007年の間に14曲ものUKナンバー1シングルをリリースしており、これはエルヴィス・プレスリービートルズにつぐ3番目の記録である。UK音楽史上7曲連続で1位を獲得したのはウエストライフだけで、UKでレコード・オブ・ザ・イヤーに4度輝き、またイギリスで唯一「レコード・オブ・ザ・イヤー」に4度輝いている。イギリスの有名なコンサート会場、ウェンブリー・アリーナで2006年に23回目のライブをしたのも新記録である。

                                                          ウィキペディアより


Westlife - Beautiful Tonight

個性を尊重するとは

他人の「個性を尊重する」とは、
自分の個性の欠陥を知ることです。

自分には理解ができないような個性の人を
無理に尊重しようとしても、なかなかできないものです。
最後には「仕方がないか」と、尊重というよりは
アキラメになっていることが多いですね。

よくある例ですが、自分の気持ちを
正直に出すか出さないかという個性の違いです。
この自分の気持ちが相手の気持ちと衝突するとき、
それでもはっきりと自分の気持ちを言うべきか、
それとも相手の気持ちに配慮して自分の気持ちを抑えるか、
その個性の違いです。

はっきりと自分の気持ちを言うべきという個性の人は、
自分の気持ちを抑える人に、「何を考えているか分からない」
自分の本心ではないことをしている「偽善者だ」といいます。

こういう考えは、自分の個性で他人を判断しているもので、
他人の個性を尊重しているとは言えないのです。
他人の個性を尊重するなら、自分を抑えて他人を思いやる心を
認めなければならないと思います。
そして、それを認めることができた心で自分を見てみると、
自分にはそういう心が欠けていることに気づきます。

これは相手の気持ちに配慮して
自分の気持ちを抑える人にも言えることで、
自分の気持ちを他人に伝えることの大切さが分かってないのです。

哲学が必要なものであるために

私は凡人の立場で哲学しています。
もっと正確に言えば、過去の哲学にはこだわらず、
凡人の生きざまから道理を見つけようとしています。

過去の哲学をムダなものと言うつもりはありませんが、
あまり過去の哲学に深入りすると、
本来の哲学がおろそかになります。

過去には沢山の優れた哲学者がいましたが、
それぞれがそれぞれに対象を位置づけし、
用語を定義し、その上に哲学を築いています。

それぞれがバラバラで異なった世界が出来上がっているのに
それを一緒にして議論されているので、
いちいちその前提になっているものを引き出して、
説明して行かないと前に進めないのです。

私はだれそれの哲学が好きで、自分に合っているとか、
だれそれの哲学はこういうところが現実的でないとか
とりあえず、どの哲学者をとるかの議論が目立ちます。

しかし、実際に必要なのは
現実のこの世界についてのことであり、
どの哲学者が良いかではないのです。


物理学では誰が考えた理論かはどちらでもいいのです。
大切なのはその理論が指示している現実なんです。

哲学も現実について議論することが大切です。
具体的にその指し示す現実を議論すべきです。
哲学者の名前を使った方がいちいち説明しなくて簡単だ
という意見もあるかもしれませんが、

物理学のような体系を作ることも考えて見てはどうでしょうか。
哲学が必要なものであるために。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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