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宗教と哲学のみなもと

たいていの人は思春期のころに「自我」に目覚めます。
日常生活に紛れていると、
自分と他人の区別を意識せず同列に並べてみていますが、
或る日突然、この世界の中で体の内側から見ている人間は、
自分だけであることに気づきます。

世界の中心自分があり、
自分はこの世界の中で一人であることに気づきます。
そしてここに存在することの意味を問い、
この世界が何であるかを問いはじめます。

自分が生まれたとき、
自分には何の「力」もありませんでした、
すべては母親の手の中にありました。

生まれたときは感覚器官で感じられる範囲が世界のすべてで、
「時間」の感覚はなく、只今現在があるのみでした。
それが成長するにつれて、自分に「力」ができてきて、
その「力」で何かができるようになります。
そしてその「力」で欲望を満たすことができることを知ります。
「明日はあれをしよう」と希望が生まれ、
「時間」の感覚が生まれてきます。

「時間」の感覚が生まれたことによって、
自分には未来があることを知り、
その未来に希望を抱き、夢を描きますが、
同時にやがて死に至ることも知るのです。
希望や夢、そしてそれを可能にしている身体が、
死によって失われることへの恐怖と不安が、
自分の目の前に現れてきます。

自分が成長することによって得た
「力」「時間」「自我」が、哲学的疑問の起源です。
哲学はあくまでも自分の「力」でその疑問を解こうとしますが、
宗教は、その疑問の起源・原因になっている
「力」や「自我」を取り除くことにより、
疑問自体を解消しようとします。

みなさんは哲学・宗教どちらに救いを求められますか。

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世界の構造 Ⅳ

「世界の構造Ⅱ」で世界を「自分」とそれ以外の「外界」に分け、
「世界の構造Ⅲ」で「自分」をさらに六つの部分に分けた。

「世界の構造Ⅳ」では「世界の構造Ⅱ」で分けたもう一方
「自分」以外の「外界」をさらに分ける。
つまり、自分を取り巻いている外界を分けるのだ。


外界はよく、自然と社会に分けたりしますが、
よくよく自分の周りを見てみると
あるのは自然や社会だけではない。

都会にはビルもあるし住宅もある。
高速道路もあるしその上には車も走っている。
電車も走っているし、飛行機も飛んでいる。

我が家には本箱もあるし、その中には本も入っている。
テレビもあるし、パソコンもある。
その他、ありとあらゆる日用品もあるのだ。

これらは人間の感覚器官や行動器官、
記憶機能や演算機能の限界を補うものとして人間が作った「道具」なのである。

車は足の限界を補うものだし、
ティッシュペーパーもタオルも茶碗もコップも手の限界を補うものである。
パソコンは記憶機能や演算機能を補うものである。

自分以外の外界をこの「自然」と「社会」と「道具」に分ける。
「自然」はさらに「生物」と「物(無生物)」に分けたいところだが、
とりあえず、ここでは「自然」として一つにして処理する。


この三つは比較的簡単に位置づけできる。


人間以外のものは自然として位置づけできる。
人間が作った道具も含めて、残りが社会である。
しかし、この社会というものの位置づけはそう簡単ではないのである。
人間が作っている社会ですが、人間そのものではないのである。

例えば、「国」これも一つの社会であるが、
国には領土があり、憲法もある。
道路があり、鉄道もあり列車も走っている。

いろいろの会社があり、人だけではなく車も出入りする。
郵便も出入りし、電話や電波も出入りする。
まだまだあるが、すべてを挙げる必要はないと思う。
一口で表現するなら「文明」という言葉が適切かもしれない。

今挙げた、例えば「領土」、これはまさしく地球上の土地を表すものであるが、
自然科学的な意味合いはなく、
そこに住む人間がその力の及ぶ範囲を宣言したものである。

道具は社会に含めて説明してしまったが、
それは果たそうとする人間の目的が道具にもあり、その目的が問題なのである。
道具は人間の社会的活動の現れなのである。

ただ、構造としては人間と道具を分けた方が、
人間行動を理解するには便利なのである。



世界の構造Ⅴ↓ へつづく、

https://shachihoko7.blog.fc2.com/blog-entry-1374.html

「信じる」とは

ジェットコースターに乗るのは非常に勇気がいります。
一般的に男は女より勇気があるように思われていますが、
ジェットコースターに乗ってキャーキャー騒いでいるのは、
女性が多いのはどうしてでしょうか。

私もジェットコースターに乗ったことがありますが、
恐くないわけがありません。必死で足を踏ん張り
腕で体勢を立て直そうとするのですが、どうにもなりません。
ジェットコースターは自分で何とかできるものではありません。
ジェットコースターを信じて身を任せるしかないのです。

女性はジェットコースターの性能を信じて身を任すことができるから
ジェットコースターを楽しむことができるのです。
性能を信ずることができるということは、
ジェットコースターを設計した人、製作した人、
また運転する人を信じているということです。

同じことが車の運転などでも言えます。
他人の運転する車に乗せてもらって恐くて足を踏ん張り、
手に汗を握ったという経験のある人も多いと思いますが
自分の運転に多少なりとも自信があると、
その運転に身を任すことができなくなります。
その点、運転免許のない人はそういう経験は少ないと思います。
特に子供などは運転してくれる人を信じて、
全く不安を感ずることなく身を任せています。

自分に自信があればあるほど他人が信じられなくなります。
自分に自信があると自分の力で何とかしようとします。
そしてそれが上手くいかなくなったとき、
何とかしようと苦しまなければならないのも自分です。
そんなとき、ジェットコースターを信じるときのように、
成り行きに身を任せてみると苦しみはきっと軽くなると思います。

            この記事は2005/8/8に投稿したものを
            若干訂正して再投稿したものです。

Neoton Familia - EGY KIS NYUGALMAT

ニュートン・ファミリーは、
ハンガリーで1965年から活動していたロック・バンド、NEOTONと、
女の子3人組のコーラス・グループが一つになり、
何度かのメンバー・チェンジを行った後、1974年に出来たグループ。
らしいですが、詳しいことは知りません。

日本では80年代3~4枚のアルバムが出ましたが、
それ以降は出なくなりました。
CD時代になってCDを探した思い出があります。
親しみやすいメロディーとサウンド、
私の好きなアーチストの一つです。


Neoton Familia - EGY KIS NYUGALMAT
80年代の作品で日本では出ていないと思います。

五感には限界がある

人間の五感には限界があります。
例えば視覚ですが、見える距離にも限界がありますし、
見える小ささにも限界があります。
見える光の波長も限られています。

視覚に限らず聴覚にしても触角にしても
その他の感覚もみんな限界があります。

日常、経験することの大部分は、この限られた感覚の世界ですが、
この感覚の世界のことなら、誰でも容易に理解ができます。
そして、多くのことをこの限られた世界の基準で判断します。


しかし、この感覚の世界から一歩抜け出すと
非常に興味深い世界が広がっています。
例えば、アインシュタインの相対性理論では
時間についての感覚の世界とは異なる結果が知られていますが、
これも感覚の世界に限界があるからです。

アインシュタインの理論は
日常ではあり得ないような高速度の世界で経験できることなのです。
正確には日常の世界でも生じていることなのですが、
日常生じているのは極わずかであるため、、
それを感じる感覚の限界を超えているのです。

だからこれらの現象は特殊な世界だけの現象ではなく、
日常でも生じているが
それを感じる感覚を持っていないだけなのです。

私の科学への興味の一つは、
こうした感覚の世界を超えたところでの現象です。
そしてそれは日常は感じないために無視していることですが、
実際は生じていることであることを知ることです。



                           私の考えの基礎第六弾です。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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