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凡人から見た哲学Ⅴ

「凡人から見た哲学」をⅠ~Ⅳまで書いてきましたが、
過去にも同じような内容の文書を書いています。
大体、批判的なご意見は、私の「哲学がない」というものです。

ここで言われている「哲学」というのは「生き方」のようですが、
偉い人の伝記や献身的な人生など、読む者を感動させて
同じような人生にあこがれる。それが「哲学」と言われるなら
これまでの「凡人から見た哲学」にはそれは書かれていません。

これまで書いて来たのは哲学の土台になるものの基本的な考え方です。
「生き方」などを書くまでには
まだまだ書かなければならないことがありますが、
この「生き方」については結論を書きますと「人それぞれ」です。

詳しいことは別に書くとして、
実は、「人それぞれ」とは言えないものがありますので、
それをここで書くことにします。

それは自分の所属する社会の規則は守らなくてはならないことです。
これらは「人それぞれ」では秩序が維持できなくなり、
いずれその社会は崩壊するからです。


一番代表的な社会は国家です。
国家が定める法律は秩序を維持するための規則です。
それを守らないと法律で罰せられます。

どこかの会社に勤めるにしても、
その会社の規則は守らなければならないのです。
その他いろいろの規則があります。
それを守らないときの罰則も法律のようには厳格ではなく、
その社会集団によって異なりますが、
それらの規則も「人それぞれ」を規制するものです。

もし、その規則が気に入らなければ、
その社会から脱退するしかありません。
その社会に留まりその規則を守りながら、
その規則の改革に努めることは可能です。
ここで「如何に改革するか」は哲学になるかもしれません。

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Mireille Mathieu - Der Zer und das madchen

Mireille Mathieuのテレビ・デビューは1965年11月21日で、
それ以来フランスを代表する歌姫として、
特に60年代と70年代には絶大な人気を博した。
来日公演も幾度か行っている。
16歳の時パリに上り、
テレビの歌番組でエディット・ピアフの「愛の賛歌」を歌って
チャンピオンとなった。
そのとき、「ピアフの再来」と呼ばれ、フランス歌謡界に衝撃を与えた。
ポール・モーリア作曲の「愛の信条」で颯爽とデビュー。
ヨーロッパではエリザベス女王に次いで人気のある女性
と呼ばれた時期もあった。
これまでのディスク売り上げ数は1億5千万枚、
歌った歌は11カ国語で1200に及んでいる。

Wikipediaより



Mireille Mathieu - Der Zer und das madchen

凡人の考え方 Ⅱ

「凡人の考え方Ⅰ」を書いてから大分時間が経ちました。
もう、前の記事を忘れた方もあると思います。
という前に私が忘れてしまってました。

「具体的な内容なら凡人でも日常経験していることであり、
学者先生などとも話はできます。
時には学者先生とも対等に話ができます。」
こんな文章で前回は終わってました。何か偉そうなことを言ってます。

学者先生はその専門分野のことは、
それはそれはよくご存じで、凡人の出る幕はありません。
専門の分野は狭くてもその奥深くまでご存じで、
もう、その方でなければ分からないことが沢山あります。

凡人はと言えば、日常生活の中にあるものを
カジリ見聞きした広い範囲の浅い知識しかありません。
とても学者先生にはかないません。

科学というのはそれぞれの分野でその対象の位置づけがされていて、
しかも、何を科学するかも固定している。
つまり、凡人が日常接しているそれとは違った角度、
というかその捉え方が決まっています。

それはいいとして、
その科学の基準を日常にまで押し付けようとする傾向があり、
ときに日常を「間違い」とまで言ってきます。

科学的な考え方が日常に入り込むのは致し方ないし、
科学的な基準がいい場合もあります。
しかし、いつでも「科学的」が良いとは限らない、
そんな具体例もたくさんありますね。

Michael Buble - Haven't Met You Yet

マイケル・ブーブレMichael Bublé、1975年9月9日 - )は、
本名はマイケル・スティーヴン・ブーブレ(Michael Steven Bublé)。
母方の祖父がイタリア出身のため、イタリアの市民権も持っている。
妹は女優のクリスタル・ブーブレ。

Wikipediaより


Michael Buble - Haven't Met You Yet

わかってたよ 物事には終わりが来るもんだ
これまで何度も経験あるからもう回数もいちいち覚えてないよ
一人で浮かれて、一人で不安になって
どうにか乗り越えて、また落ち込んでの繰り返し
必死になってつなぎとめようとした
あれこれ理由を考えて
何がいけなかったのかと反省もした

だけどいつかきっと何かが変わる
運命の人が現れたら、色んな事が上手くいく
約束するよ その時は精一杯頑張ってみせる
今はまだその人が現れてないだけなんだ

時間がかかっても諦めたりしない
大事なのは半分がタイミングであとの半分が運
今どこにいていつ出会うのかは分からないけど
運命の人はある日突然僕の前に現れる
そしてびっくりするような素晴らしいことが起きるんだ
愛されて僕は変わる
なんでもやれそうな気がするんだ

チャンスはいつかきっとやってくる
運命の人が現れたら、なにもかもが回り始める
今ならできないようなこともきっとやれる
今はまだその人が現れてないだけ

戦争や恋愛じゃ
やったもん勝ちでなんでもありって言うけど
でもそんなことしなくても
運命の人とならすぐに気持ちが通じ合うはず

きっと素晴らしいことが起こる
君と出会って僕も変わるんだ
なんでも出来そうな気がするし
実際きっとやれると思う
いい意味で予想を裏切ってあげる
本当だよ

ずっとこのままじゃないはずだ
君がいれば色んな事が上手くいく
君に会ったら、今ならできないこともきっとやれる
今はまだ君が現れてないだけなんだ
僕に今必要なのは愛なんだ
運命の君にまだ出会ってないから



この訳詩はあるブログからお借りしてきました。


ABBA - The Day Before You Came

   
この曲は、ABBAがABBAとしてレコーディングした、最後の曲である。
ABBAのメンバーのアグネッタ・フォルツコグ
リードヴォーカルを担当した。
この曲は、平凡な女性の恋人と出会うまでの気持ちを歌っている。
"The Day Before You Came"は、日本語に訳すと、
「あなたが現れる前の日」
この曲は主にヨーロッパ各国で大ヒットした。最高位は2位を記録した
トップテン入りを記録した。

Wikipediaより



The Day Before You Came

凡人から見た哲学Ⅳ

生まれたとき、自分には何の力もありませんでした。
自分では何もできず、
親が放置すれば命は保障されなくなります。

だんだん成長して自分の力で何かができるようになります。
そして明日はこれをしよう、それからこれもしてみたいと、
時間の感覚も生まれてきます。

やがて自分には未来があることを知り、
希望が生まれ夢も生まれてきます。


このように「時間」とか「希望」とか「夢」が生まれてきたのは
「美味しいものが欲しい」とか「楽しい遊びをしたい」とかいう
「欲望」がその元にあります。

そして、ある日突然、
体の内側から見ている人間は自分だけであることに気づきます。
自分は一人であり、世界は自分を中心に回っていることに気づきます。

そしてこの世界の不思議さに圧倒され、哲学の世界に入る人もあります。
もう一方の道は宗教ですが、それについてはまた別の機会に譲るとして
ここでは哲学について書くことにします。

この世界を動かしているものは何か。
この世界は何でできているのか。
この世界はどこに向かっているのか。

上の「世界」を「自分」と置き換えてもいいのですが、
こうした疑問を哲学者は自分の力で解明しようとします。
しかし、その前にしなければならないことがあります。

それは自分に与えられている力は何か。
そして、その力で何ができるかを知ることです。
そして、できることで出来る部分だけを取り上げて
発展してきたのは哲学から独立した科学です。

コーヒーカップが後ろを向いたときもあり続けているか。
自分が死んだ後も有り続けているか。
自分が生きていて感覚器官で捉えられていることがすべてで
感覚器官がなくなったら世界は有り続けるのか。
それらを知るだけの能力が備わっているかです。

自分自身の力で解決しようとする立が哲学ですが、
宗教の立場はそれとは全く逆の考え方なのです。

すなわち、生まれた時にはなかった「力」が付くことによって、
哲学的疑問が生まれてくるなら、その「力」を取り去ればいい、
というのが宗教の立場です。

「疑って」自分の「力」で解決するより、
「信じて」自分の心を預けて神仏にお任せするという考え方です。

Thierry Pastor - Coupe de felie

この Thierry Pastor という人は
アルジェリア生まれのフランス人だそうです。
この Coupe de felie という曲は80年代の曲のようですが、
最近発見したものです。

70年代80年代の曲はかなり知っているつもりでしたが、
まったく知らなかったもので、
でも良い曲です。


Thierry Pastor - Coupe de felie




凡人から見た哲学Ⅲ

凡人から見た哲学Ⅰ・Ⅱでは、
ある哲学者とそれを取り巻く世界という関係で捉えてきました。
しかし、現実にはその哲学者のほかに沢山の人が存在しています。

背中の後ろのコーヒーカップが見えなくても、
人に聞いて確かめるという方法もあります。
誰かが作って売ってある鏡を買ってきて、
それで後ろを確認するという方法もあります。
何なら道具を買ってきて自分で鏡を作ってもいいのです。
人の力を借りたら疑問が疑問でなくなることが沢山あります。

この世界は人とのつながりなしにはあり得ません。
人間は社会の中で生活しています。
食料を手に入れるでも、旅行に行くでも、
学校に行くでも、会社に行くでも、その他いろいろ、
毎日どこかで人と接しています。

単に接しているだけでなく、何かを頼んだり、
何かを教えたり、何かを教わったり、何かをたずねたり、
そうすることで、何か目的を果たそうとしています。
自分ができないことでも誰かがしてくれるかもしれないし、
誰かの手助けをして、誰かの目的のために働くこともあります。
このようにして、世界はつながって目的に向かって動いています。
こういう世界を可能にしているのは言葉です。

「この世界は何か?」を考えるとき、この事実を無視はできません。
我がままな哲学者はすべて自分で確認できなければ気が済まないようですが、
人の力を信じてその力に頼ることで社会は成り立っています。
家族の成り立ち、会社の成り立ち、国家の成り立ち、
全ては人と人のつながりでできています。
その根底には疑うことより「信じる」ことが大切な凡人の世界があります。

Poease Don't Let Me Go - Olly Murs

 Olly Murs はイギリスのシンガーでソングライターです。
2010年にリリースされた Poease Don't Let Me Go がヒットし、
その後も順調にヒットを飛ばしているようです。

レゲエのリズムが心地いいですね。


Poease Don't Let Me Go - Olly Murs

凡人から見た哲学 番外編

先の凡人から見た哲学Ⅱで
「「言語化できない世界」というものの「存在」を凡人さんは認めますか」
という質問を受けましたので、番外編で書くことにしました。

「言語化できない世界」というのをもう少し具体的に書いていただくと
書きやすいのですが、私なりの解釈で書いてみたいと思います。

デカルトの「我思う故に我あり」というよく知られた言葉がありますが、
考えている自分の存在は疑えない、という事実をもとに
論理的に答えを導こうとしたのです。

論理学を少しでもカジッタことが有る人であれば、
一つだけの前提では論理は成り立たないということはご存知と思うし
論理的にいくら正しくても前提が間違っていれば答えも間違っています。
そして前提の中にすでに答えが含まれているものです。
つまり、出て来た答えに新しいものは何も加わらないのです。

カントの物自体も実存主義の本質(哲学者によって表現は異なる)も
それを導いた前提を超えることはないのです。

ここまで書いて自分のこれまでの記事を思い起こして、
必ずしも論理的に思考しているとは限らないものだと分かりました。
それでも現実に則した思考をしており、抽象的な論理の展開はないはずです。

多くの哲学者の哲学が私の頭から落ちているのは、
お説に疑問があって記憶力の悪い私としては
もう「記憶したくなかった」のですよ。

 「言語化できない世界」 というのが、
どういう推理で導かれたものなのか、私は知らないので
何とも言いようがありませんが、

それが何らかの形で他と区別ができて、他人に理解されているのであれば、
名前を付けるのは可能だと思うし、言語化も可能だと思います。  



先の記事でお返ししたコメントからは、少しずれてしまいました。                        
プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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