FC2ブログ

Rod Stewart - Rhythm of my heart

この曲は比較的最近知ったのですが、
知ったときはライブ版でもっと雰囲気があってよかったのです。
今日、探したのですが見つかりませんでした。
 
Rod Stewartは70年代に良い曲がたくさんあって、
80年代とか90年代までは気が回らなかったので、
知る機会が無かったのだと思います。
良い曲です。聴いてみてください。


Rod Stewart - Rhythm of my heart
スポンサーサイト

凡人から見た哲学Ⅱ

「凡人から見た哲学」でいただいてたご要望に応えて
遅くなりましたが「凡人から見た哲学Ⅱ」を書くつもりで
準備はしていたのですが、何やかやと忙しくて遅くなりました。

「存在論」についてご希望でしたが、
実は凡人の私には「存在論」と「認識論」は区別がつかないのです。
というか、区別する必要がないように思います。

「ある」ことの意味を問うのが存在論のようですが、
哲学は存在論も認識論と同じく、存在の本質を問います。
「本質」って何でしょうかね。
人間に与えられている認識能力で知ることができるものでしょうか。


私は、この世界は相対的に存在していると思ってます。
何か比較するものがあって、それとの関係で存在しています。
それが一番理解できる「赤いものしか存在しない世界」考えてみてください。

見えるものすべてが赤い色をしているのです。
そういう状況で「これは赤い」という表現は意味がありますか。
みんな赤なんですからわざわざ「赤」と言うことはないのです。
ですから「赤」という言葉は必要がなく
「赤いもの」というのも存在しないのです。

赤を赤としてその存在を認識されるためには
赤でない色、例えば青とか黄とかが隣にあって
それらと比較できて相対的に存在しているのです。

だから世界は比較できて「ある」のであり、
比較できるものと分けられて「ある」のです。
そして分けられないものは「ない」のです。
それ以上深い意味はないのです。

マダニに股を噛まれる

昨日のことです。
風呂に入っているとオシリというかマタグラに
小さなコブが出来ているのです。

何だろうと思って爪を立てて掻きむしったら
ポロっとはがれて、カサブタのようなものが取れたのです。
色は灰色で三・四ミリくらいの大きさのもので、
ご飯粒でもこびり付いたかと思ったのですが、
よくよく見るとわずかに動いているのです。

慌てて、風呂から上がりルーペでそれを見てみると
足もあり目もあり口もあり、マダニと判明しました。
噛みついたところを確認しようとしましたが、
自分では見えないところで家内に見てもらったところ、
赤い発疹が出来ていました。

昨日は家内のブログの取材に付き合って
草むらを歩いていたのです。
下半身は虫の入り込む余地はなかったはずなのですが、
一つだけ心当たりがありました。

それは途中草むらで小便をしたことです。
マダニは熱を感じるとそちらに飛びつくのだそうです。
マタグラにマダニが入るとしたらそのときしかあり得ない。

とりあえず、今日病院で診察を受けましたが、
傷口にはマダニの残留物はなく、
熱が出なければまず心配はないということでした。
ウイルスに感染すると死亡することもあるというので、
感染の有無だけでも知りたかったのですが、
ます、その心配はほとんどないらしく、
熱が出でからの処置ですむようでした。

まずはひと安心ですが、これからの季節、
草むらでのオシッコは気をつけましょう。

ブリトゥン シンプルシンフォニー第二楽章

この曲は若かりし頃に京響か何かの定期演奏会で
アンコールで演奏されて知った曲です。
弦楽器だけのピチカートの演奏で印象に残っています。
シンフォニーと言う曲名の通り四つの楽章があるのですが、
アンコールではこの第二楽章だけが演奏されました。


アーツ室内オーケストラ 夏期定期演奏会 
2013年6月8日(土)
とかちプラザ・レインボーホール


Lenka - Anything I'm Not

この曲は最初は曲名もアーチストも分からなかったのです。
かわいい曲なのでメモっていたのですが、
皆さんに教えていただこうとブログの記事を書くために
YouTubeを検索して分かりました。

Lenka(レンカ)というシンガーはオーストラリアの人で
歌うのが苦手で女優が本業だったようで、
シンガーになるのが遅かったようです。
現在37才ということですが、
年齢に似合わずかわいい歌い方です。
歌うのが苦手というのがその歌い方で分かりますね。
早速、CDを買うことにしました。


Anything I'm Not

凡人から見た哲学Ⅰ

ちょっと前までの哲学は、
平べったく言えば「こうであれば間違いない」という確固とした基準を探す事でした。
デカルトからマルクスに至るヨーロッパ近代の哲学者は
みんなその確固としたものを求めて哲学したわけですが、
それは「何が本質か」という問いに答えようとするやり方でした。
しかし、この方法だと「それではどうだったら本質と言えるか」という問いが付いてきます。
そしてそうした問いが際限なく生まれてきます。

この世界の不思議に気づいて哲学に関心を持つようになる人が多いと思いますが、
なにから哲学を始めるかは非常に大事なことです。
私はこの世界の不思議に気づいたとき、
すでに私の前に世界があり、与えられていました。
哲学をする前に、まずこの与えられているものは何かを知る必要があります。

こういう言い方をすると
「与えられているものというのも疑わしい」という人もあると思います。
しかし、疑っている対象がもし「ない」のなら世界はもはやないわけで、
「ある」からこそ疑うという行為も有り得るのです。
疑えば疑うことができるが、それが世界なのです。

それはともかく、一番大切なのは
「この世界を知るために、私に何が与えられているか」です。
まず、私には体があり手や足もあって行動できます。
それから感覚器官があって、外界の世界を感じることができます。
脳には記憶する能力もあるし、
そのようにして得た情報を論理的に処理する能力もあります。

私は以前にブログでこんな記事を書きました。
  自分の目の前にコーヒーカップがあります。
  今私が後ろを向いたらそのコーヒーカップは有り続けているか、
    私が死んだ後も有り続けているか、
  それが分からないと哲学者は嘆きます。
  これは一見深遠な疑問のように思えますが、
  単に自分の背中に目がないことを嘆いているのです。

でも背中には目はありませんが、
疑問に思ったら後ろを振り向いて確認する能力は与えられています。
それから人に聞いてそれを「信じる」ということもできます。
哲学者は疑うことは得意ですが、信じることは苦手のようですね。
                            
しかし、現実の日常生活は、このようにして何ら支障なく動いています。
なのになぜ哲学者が嘆くのか凡人には理解ができないのですが、
哲学者のそういう考えの根底には
何でも自分で確かめないと気が済まない「我がまま」があると思います。

 今の哲学は昔のような「世界観を創る」ようなことはしないようですが、
 我がままに疑うという姿勢はつづいているようです。
 疑ってみたくなるのに十分な不思議なこの世界ではありますがね。

When You Were Sweet Sixteen

これまで少しニギヤカな曲が続いたので
アコースティックな静かな曲を選びました。
もちろん、この曲も私の好きな曲です。
歌っているのは The Fureys という人で
アイルランド人だそうです。
バンジョーを弾きながらフォークソングを歌います。

曲は一世紀ほど昔の古い曲ですが、
シャレたフォークソングに仕上がっています。


When You Were Sweet Sixteen

ニュー・ポリティックス

CDの紹介文によれば
デンマーク出身、N.Y.ブルックリンをベースにして活動する3ピースロック・バンド
ニュー・ポリティックス。
デイヴィッド(Vo)、セーン(Gt/Vo/Key)、ポール(Dr/Vo)の3人のメンバーからなるベースレスという「ミニマム」な編成で「マキシマム」なエネルギーを爆発させる、
2010年にセルフ・タイトル・アルバム『New Politics』でデビューした。
リード曲「Harlem」は新しい世界に出会う楽しさを、
図太くポップな感覚で描くロックが溢れている。

薬の用法・用量

もうそろそろ花粉症の時期も終わりのようですが、
家内が花粉症で最近はいい薬があって、
近年はあまり苦しまなくて済むようになったようです。

ところが、花粉症を軽く見るようになって、
薬の飲み方もいい加減になっていたようで、
副作用が出て来たのです。

赤い発疹が体に出てきて、触るかなり痛いというのです。
それからさらに両脚の太腿の筋肉が痛み出し、
だんだん酷くなって歩くのが困難になってきました。

そこで薬の副作用を確認したところ、発疹はもちろんですが、
脚の痛みというのが書かれていたのです。
さらに「それらの症状が出たときは、医師の診察を受けること」とあるのです。
ただちに「医者に診てもらいに行け」い言ったのですが、
家内は頑固に行こうとしないのです。

とりあえず、薬を飲むのを止めて、
少しずつですが症状は回復してきたのですが、
薬の副作用はバカにはできないものですね。
それと家内の頑固さにもあきれました。


実は私も病院でもらったインフル薬の副作用で極度の食欲不振に陥り、
「もうシヌか」と思ったことがあるのですが、
これまではそんな経験がなかったのです。

家内もそうなのですが、
もう年齢的にこれまでと同じようではだめなのだと思いました。

そう言えば薬の用法用量について、
子供と大人の区別は書いてあるのですが、
年齢の高い方の区別は何も書いてないのです。

年齢の高い方もある程度の制限をしてもらって、
はっきり書いてもらった方が安心です。

みなさんはどう思われますか。



国債は借金か

国債という証文を渡してお金を集めるのですから、
どう考えても借金ですよね。
だから、国債を発行して資金集めるという方法はいずれ破たんする、
これ以上の国債の発行を止めるべきと言う考え方もあります。

それは間違いではないと思いますが、
国家が発行する国債という借金は、
民間で言うところの借金とは少し違います。


市中に出ている貨幣の価値を保証しているのも国家であり、
市中に出回る貨幣の量も国家が調整しています。
要するに貨幣の量でその価値を調整できるわけです。

国債でも無利子の国債とか、今日銀がしているように、
市中に出ている国債を買い取るとかいうのも、
いわば市中の貨幣の量を調整することなので、
借金が増えたとは限らないと思います。

国民にたいして、また国際社会に対して
「円」の価値はこのくらいですよと言っているわけで、
借金が増えた減ったで考えるのは適当ではないと思います。

もちろん無制限の国債の発行は困りますが、
状況に応じて「円」の価値を変動してゆくのは
必要なことと思います。


凡人の横好きでした。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ