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「議論」について

親しくしてもらっていたブロ友さんのところで
こんな内容の記事を見ました。

アメリカ人と日本人とでは
議論についての考え方が違うという記事で

アメリカ人は議論というのは
最善の結論を出すプロセスであり、
議論参加者の勝ち負けとは無関係と
割り切るのがほとんどだ、という。

これに対して日本人は
相手の立場を考えてはっきり決着をつけずに
つまり勝ち負けをつけずに議論する、という。


そこで私は「アメリカ人かも」とコメントしたところ、
「凡人さんはアメリカンです」と言っていただきました。
大変うれしかったです。

私はよく「徹底的に相手を追い詰める」と言われますが
それは相手の言い分に疑問があるからで、
その疑問に答えていただければ私も納得できるのですが、
その疑問に答えていただけないといつまでも問い続けることになります。

自分の間違いに気づいたときは意地を張らずに認めること、
これが私の議論するときのルールです。

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表現の自由について

「表現の自由」という時の「自由」は
絶対的なものではないことは当然です。
もちろん、法律は守らなくてはならないのです。

「表現の自由」という言葉をよく耳にするのは
マスコミ関係の方々からで、
マスコミは「表現」することが仕事みたいなものですから
神経質になるのは分かります。

しかし、マスコミだからと特別の「自由」があると思われているとしたら
それは大きな間違いです。
むしろ影響力の大きいマスコミだからこそ
より一層の注意が必要ではないでしょうか。


マスコミごとに法律とは別に、
例えば「放送禁止用語」のような制限はあるようですが、
軽い娯楽番組などではちょっとどうかと思われるような発言がよくあります。

出場者やその番組の関係者に対するものであって、
視聴者全体に向かっての発言でなくても、
その価値観には賛成ができず、不快感をもつ視聴者もいます。

それは発言者個人の価値観であって、
そうではない価値観の人もいるわけですから、
公共の電波に乗せるというのはどうでしょうか。

それを電波に乗せるのであれば、
そうでない価値観も乗せるべきです。
みなさん、どう思われますか。

「許す」から「認める」へ

「どんなに嫌な人と付き合わなければならなくても、
私は許しの心をもって我慢する事で、ことは運べると思う。」

こんな意味の文章をブログ散歩中に見かけました。
この方は自分の気持ちを抑えて
他人と上手く付き合うように努めておられる。

なかなか立派な方で
私には真似ができそうにありません。


この方は自分の気持ちを抑えることで
他人との付き合いを維持されているわけですが、
自分の気持ちを抑えなくてできればなおいいですよね。

この方の文では「許しの心」という表現のところで、
自分の気持ちを抑えていることが現れていますが、
しかし「許す」ということは
やはり相手は「間違っている」という表現ですね。


「許す」ではなく「認める」に置き換えれば
相手も自分と同等であると「認める」ことになりますね。

もちろんこれは表現だけの問題ではなく、
心が伴わないと意味がないわけですが、
なかなか難しいことではあります。

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極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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