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楽しいこの世界

心の修行に出ているところです。

以前にも記事に書きましたが、「良い」には三種類あります。
この三つはそれぞれ別の基準があって、ある基準では「良い」ことも
別の基準では「悪い」ことだったりします。
「悲しい」ことが「楽しい」ことだったりします。

多くの人は自分の希望や欲望を満たしてくれるものが「良い」で
先の記事でもそういう「良い」を書いています。

それを悪いとは思わないし、私も毎日それを求めているようなものです。
でも、宗教的にというか客観的にというか、
禅で「心頭滅却すれば火もまた涼し」というように、
欲を通さずに物事をみると、悪いことも良いことも楽しいものです。

まあ、一番楽しいのは自分のバカさ加減で、
次に楽しいのはウチのカミさんのバカさ加減です。
次に楽しいのは世の中でしょうか。
まあ、人生とはこれほど楽しいものかとおもいます。

そんなことを言いながらも、
もう人生はコレッキリでいいとも思っているのですからね。
そのあたりが、また楽しいところですね。

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心の修行に出かけています

心の修行に出かけています。

人間というのは自分の気持ちでこの世界を見ているもので、
その自分の気持ちによって世界も違って見えているようです。
ちょっと、違った角度(気持ち)から見て見ようと思って修行に出ました。

そういう気持ちで人を見ると、本当に悪い人というのはいないですね。
悪い振りはしていても、実は弱い気持ちを隠すためだったりして、
見えているものと、本当の心が同じではないことはよくあります。

また、頭隠して尻隠さずではありませんが、
悪い振りをして、「気まずそうな姿」が見えていたり、
もう、逃げ出して目を合わさない人もありますね。


本当の姿を出さない(出せない)出していない
というのが分かる何かが見えています。
それに気付く訓練も修行になりそうですね。

人は懸けで生きている

生きている限りは進むべき方向を何時も選択していなければなりません。
そんなことを言った哲学者もいましたが、例えば買いものに行くにも、
歩いて行くか電車で行くか車で行くかその他、決めなければなりません。

しかし、どの方法が安全かを考えたとしても、
どれを取っても「絶対安全」は有り得ません。

歩いて行っても車が飛び込んでくる可能性はありますし、
電車で行ってもその電車が事故する可能性はあります。
車で行くのも上の二つより更に事故になる可能性がありますね。

その可能性の度合いには差はあるとしても、
それより、便利さから車を選んでみたり、
健康のために歩くことを選んだりするのが普通です。

どれを選んでも危険はあるわけですが、その可能性がかなり低い時には、
「めったに起きることではない」と事故は起きない方に懸けて毎日過ごしています。
もし「事故は起きる」に懸けたとしたら、買い物はもうできませんね。
宅配にでもしましょうかね。

この世界、どんな選択をしても「絶対安全」はありません。
だからというわけでもないと思いますが、
「めったに起きない」に懸けて生活しています。

原発だってそうでした。
めったに千年に一度の津波が来るなんて思ってなかったのです。
東日本の大震災は、そのめったに起きないことが起きたのですよ。


議論を聞いていると「絶対に起きないという保証がないとだめ」という人がいますが、
「絶対」などというものはこの世界にはありません。
どこで妥協するかであり、どれよりましかなんです。

どれと比べて、それを選んぶかですね。
そしてそれは「絶対」ではないのですから懸けるしかないのです。
ですから「負けることもある」ことは頭に入れておいていいのです。

偶然と必然の間

「偶然」辞書には「原因が分からないで起ること」とあります。
「必然」は「それ以外のあり方ではあり得ないこと」とあります。
しかし、現実に起こる事柄はそのどちらでもないことが沢山あります。

それら偶然と必然の間にある事柄は、その都度推理して判断する訳ですが、
例えばサスペンスドラマなどで刑事が判断するときの基準は、
普通か普通でないかという有りふれた判断です。
つまり「ちょっとおかしい」かどうかです。

警察は犯人を見つける(捕まえる)のが仕事ですから、
推理の段階で収めることはなく、徹底的に確認作業を続けますが、
一般人は、いちいち確認していたら肝心のことができなくなりますので、
確認するのは偶然と必然の間の事柄でも、どうしても必要なもので
危険がなく時間的経済的に可能なものに限り確認します。


私の場合なら、まずそのことが自分にとってどれだけ重要かというのが問題です。
多少バカにされても相手にはしませんし、身に危険が及ばなければ何もしないことが多いです。
その身に危険が及ぶかどうかと同時に、自分のことかどうかの判断も重要ですね。

そしてそれが自分の話しでなくても、自分に向けられたものかどうか、
また、自分に向けられたものでも、何を伝えたいのか判断しなければなりませんね。

自分に向けられたものかどうかは、偶然とは言えない頻度で起きているかどうかで判断します。
何を伝えたいのかその判断は、非常に難しいですね。
そのときの自分の体調にもよりますし、その状況に至った経緯にもよりますし、
とりあえず、この判断は確認作業をすることによる損得も考える必要がありますね。


カミさんは「そんなこと有り得ないやん」と言いますが、
その有り得ないことが度重なると「あり得ること」になるのです。
「有り得ない」のなら偶然と判断しますが、
それが度重なるとその度合いに応じてだんだん必然に近づいてきます。
特に自分の発言や行動に合わせるように生じる頻度が高くなると
もう必然に限りなく近づいて、からかい半分の「自分のこと」になりますね。

景気を早く良くしたいなら

今の政府のやり方では、株を買う人は増えても
物を買う人はそれほど増えません。
物を沢山買ってもらってこそ、その物を作る企業が元気になります。

金持ちや企業だけにお金が回っても、必ずしも物を買うとは限りません。
しかし、貧乏人は多分物を買います。
食べるのに困っている人は食べ物を買うでしょうし、
家が狭ければ、広い所に引っ越しますね。
そうすれば、付帯の家具や日用品も新しくしたいでしょう。


まずは、最低賃金は引き上げるべきですね。
賃金が上がっては経営が成り立たないという中小の企業もあるでしょうが、
そういう企業が賃金が上がった分、製品の価格に転嫁できるように、
最低賃金と合わせて政策としてやるべきです。
最低賃金以外にも、低所得者への配慮は忘れずにね。

とりあえず、物を買おうという心理を生み出すことが大切です。
今のやり方でも、少しはそういう心理が沸いてきますが、
いかに、そういう心理が沸いても
お金を持たない者はどうしようもないのです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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