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竹が枯れてますね

車で走っていると最近竹林が枯れているのが目につきます。
竹は花が咲くと枯れるという話しを聞いたことがあります。

最近「竹が花を咲かせた」というニュースを聞いたので、
「枯れるのかな」と思っていましたが、
竹ってあちこちで一斉に花が咲くようですね。あちこちで枯れています。

話しは変わりますが、
「地震のときは竹藪に逃げるといい」なんて言いませんでしたか。
「地震で竹林が地スベリ」なんてこともあるようですので、あれはウソですね。

誰がそんなことを言い出したのか知りませんが、
結構立派な知識人の話しでも、間違っていることがあるようです。

どんなに立派な、例えばノーベル賞をもらったような方でも、
重箱の隅を突くように間違いを探すと、沢山間違いが見つかるそうです。
まして私のような凡人なら当然と言えますね。
全国の凡人の皆様、自信を持ちましょう。

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カーナビ

だいたい私はカーナビが好きではないのですが、
娘が買ってくれてポータブルですが常に車に積んでいます。

一昨日、三重県の「菰野(こもの)」というところに行ってきたのですが、
前に行ったコースとは違ったコースで行くので
カーナビに案内してもらおうとセットしました。

ところが私が思っていたコースと異なるコースを
カーナビは案内しようとするのです。

一年ほど前にトンネルができて、そのトンネルを通りたくて、
私はそちらのルートを走りたかったのです。


カーナビは、自分が計算したルートから外れて走行すると、
その計算のルートへ戻そうと、ターンするように指示します。
それを執拗に繰り返すのです。

我が家にはしゃべる目覚まし時計があるのですが、
設定した時刻に起きないと、「遅刻してもしらないよ」と脅したり、
「設定を変更するかい?」などいろいろと話してきます。

カーナビもこの時計を見習って、
「おいらの話し聞いてる?」とか、「コースの設定変えようか?」とか
「君の頑固さには負けたよ。もう一度計算やり直すよ」とか、
ちょつとした冗談を交えてカーナビも話してくれると
ドライブも楽しくなるのになぁ、と思いながらドライブしてきました。

「信じている」とは

昨日、ウチのカミさんと車で買い物に出たとき、
何の話からか、カミさんが
「私のことが信じられないの?」と言うのです。

私はとっさに「信じてるよ」と答えましたが、
自分でも何か矛盾していると感じました。

そこで私は
「例えば一昔前の医師なら
患者にがんを告知するのをためらったはず、

患者はその医師を信頼していても
「胃潰瘍です」と言われて「ホンマやろか」とやっぱり疑うと思う。
しかし、その患者はその医師を信じていると思う。

ワシが今あんたを疑ったとしても、
信じていることには間違いない」と理屈をこねました。

こういう気持ちで人を見たら、
本当に信じられない人はそんなにいないものですね。


もっとも、だからと言ってカミさんの言う事をそのまま聞いていたら
軽く見られてしまいますので、
ときどきは抵抗することにしています。(笑)

カマリケトカミ

「カマリケトカミ」「ヤマカンラリテ」その他なんでもいいのですが、
とっさに言葉が浮かばないときに、適当に発する言葉?です。

最近は特に記憶力が落ちてきて、言葉が浮かんでこないことがよくあり、
「カマリケトカミ」の登場する頻度が多くなっています。
これでも結構通じるのですよ。

イントネーションを変えてみたり、いろいろ表情を付けることで、
どういう状況なのか、何を言いたいのかなどが伝わります。

それから、意外なところで役に立ちます。
人混みで家族などを呼びたい時「カマリケトカミ」と叫べば、
何の苦もなくこちらを振り向いてくれます。

一度試してみてはどうですか。

はばかる決意

車でドライブに出たときの話しです。
後部座席にはカミさんが乗っていて、
話しをしながら走っていました。

「今、幸せやけどね、一つだけ心配なことがあるねん」
「憎まれ者世にはばかる、と言うやろ」
「どうもワシははばかりそうな気がしてなあ」と言うと

カミさんは「はばかったらええやん」と言うのです。
それではばかる決意をした次第です。


こういう冗談を私はショッチュウするのですが、
ときどき、冗談に取ってもらえなくて困っています。
このときは冗談と受け取ってもらったのでしょうかね。
これまた悩みが一つ増えました。

プライバシーについて パートⅡ

先の「プライバシーについて」で述べたことは、
現在の私の個人的な思いで、
要するに「私は隠すものがない」ということなんです。
あるいは「いまさら隠してみても仕方がない」ということなんです。

しかし、頂いたコメントにもありました通り、
個人が「隠したい」「そっとしておいてほしい」と思うようないわゆるプライバシーを
法的に保護しようとするときなどは、私の個人的な気持ちで決めるのは問題です。


どういうものなら保護しなければならないか。
個人的な思いではなく、社会(国)として法律で保護するのは何かです。

「そっとしておいてほしい」と言っても、例えば犯罪を見て見ぬふりはできないですし、
だからこれは保護はできませんが、
何か恥をかかされたようなことなど自慢はできないようなことは内緒にしたい
という人はあると思います。これなどは保護してもいいですね。

先の記事は「プライバシー」と言えば何でも「守らなくては」という考え(風潮)は
私には馴染まないというつもりだったのですが、ちょっと言い過ぎでした。

プライバシーについて

大分前に「隠すことはないのでプライバシーなど必要がない」
というような意味の記事を書いたことがありますが、今もそれは変わっていません。

例えば家の中で家族に話したことで、人には直接は言わないようなことでも、
それが漏れてしまって相手に伝わっても私は困りませんね。

家で家族に話すことはかなり愚痴に近いものがあったりで、聞かれると困るものですが、
でも、自分は家で家族に話したのですから、そういう状況も含めて相手は理解するでしょう。

例え、その相手が放送局でもかまいませんね。
もちろん、どこにでもいらっしゃる「放送局」と言われるおしゃべりなオバサンのことですけどね。
その放送局が他にしゃべったとしても、聞かされた相手は「放送局」として聞きますからね。

もちろん、ホンマもんの放送局でもかまいませんよ。
世界中に伝わってもかまいませんよ。(笑)
私は知られて困ることはありませんので、まったく問題ありません。


その逆の場合でもまったく問題ありませんね。
これは実際の話しですが、私が仕事をしていたときのことです。
ある同僚が「自分と凡人さんのボーナスは同じくらいのはずなのに、
実際は凡人さんの方が多い」と言ってたと、ある先輩から聞いたのです。

私は、自分のボーナスが少なければそう思うのは当たり前と思いますので、
それを聞いた時なんとも思いませんでした。
思うとすれば、それをわざわざ告げ口した先輩の行為の不思議です。

プライバシーが必要な時は、隠さなければならないことがある時だと思うのですが、
みなさんはどう思われますか。

「あたりまえ」に感謝か不満か

今月(五月)の我が家のトイレのカレンダーの標語は、

「あたりまえ」をみんななぜ喜ばないのでしょう。

なんですが、確かに欲目でみると現実は不満だらけで喜べないですね。
標語は欲目を捨ててそのままの現実をみると喜びが見えてくるということなのでしょう。

これは当に宗教的な考え方で、それはまた真実なのですが、
この考え方で行くと、科学や技術の仕事というのは成り立たなくなります。

ここが不便と思う(これは不満ですね)から改善しようとする訳ですが、
これは喜びを遠ざけることかというと、そうではなくて、
改善されれば嬉しいのですから喜びを導いています。
また、そういうことを考えることが喜びという人もあります。


現実を不満ととらえて、それを改善しようと前に進む。
これが普通の考え方ですが、切りのない欲に振り回されることへの疑問もありますし、
単なる疑問から深刻な苦悩へ発展してくることもあります。
そういうときは「あたりまえ」の良さに気付く時かもしれません。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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