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個性の対立

このテーマはこれまでにも形を変えて何度も記事にしていますが、
この対立は深くてなかなか溶けないようですね。

あの子は「欲しい」とはっきり言ってたからあげた。
あの子は「欲しい」と言わないから「いらない」と判断した。

単純明快な判断のように見えますが、
私は先に「良いことには三種類ある」という記事を書ているのですが、
それを思いだして(読んでみて)ください。

上の判断はその内の一種類の「良い」の基準しか使ってないですね。
つまり、自分が欲しいかどうかという基準だけです。

しかし、社会生活をするときは、
その帰属する社会が望んでいるかどうかという基準も必要です。

上の例で言えば、五人の子供がいたとして、
自分が貰って皆に行き渡るのか、という思いがあって
その子ははっきりとは言えなかったのかもしれません。


子供にとっては、はっきり「欲しい」と言うまでもなく
お菓子などの食べ物やおもちゃは欲しいのが当たり前でしょう。
欲しいと思いながらもその子はその先を読んでいたのですね。

与える側も同じようにその先を読んで、
公平に分配することをまず考えるというのも必要と思います。


自分が「欲しい」と思うなら喧嘩をしてでも取ればいい、という考え方と、
争いは避けて公平に分配するという考え方の違いです。

「喧嘩」を取る考え方の基礎には「自分に正直」がありますが、
「公平」を取る考え方の基礎には「民主主義」があります。

みなさんはどちらを取りますか。
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我が家のオキテ三カ条

我が家のオキテ三カ条、正確に言うとこれは「私の要望三カ条」です。

①、遊び(ブログ)はほどほどにして、あまり熱中しない。
せめてブログの優先順位は三番目くらいにして、他に影響が出ないようにすること。

②、意地を張って両極端に走らない。素直に普通に収める。
何かを注意すると「もう止めた」などと極端に振れて意地を張ってしまわず、
丁度いいところに落ち着いてほしい。

③、遠回しな言い方はしない。はっきり具体的に言う。
たとえば「庭の水やりはしてなかったわ」と独り言を聞こえるように言う。
これを知らん顔していると、
「さっきから庭に水やりしてほしいと言ってるのに」と言いだすのです。

まだ、これはある程度推測はできますが、
何か言いたいらしいということまでは分かっても
何が言いたいのか分からないのがしばしばあるのです。


やれやれ疲れます。

指紋が消えた

このところ、春らしい日和が続いて、晴れる日も続いてくれたので、
何年も前から気になっていた、玄関周りの剥がれたタイルを修理しました。
ついでに、玄関から庭へのアプローチも大改造しました。

久しぶりに力仕事をしましたので、体は疲労しきって、
お陰で夜はぐっすり眠れてはいるのですが、
腕がだるくてパソコンに向かう気にはなれませんでした。

そして、仕事の最終日に、さらにパソコンができなくなる事態が発生しました。
セメントを使い始めて三日目でしたが、
何か手がヒリヒリするなあと思っていたところ、
手を洗ったら三本の指に穴が開いていました。
さらによくよく見ると、右手の指の指紋が消えてなくなっていたのです。

とりあえず、腕のだるいのに加えて、
指が痛くてパソコンは、仕事が終わってから四日目の
今日やっと出来るようになりました。


セメントは素手で触ると手が荒れるとは聞いていましたが、
これほどひどいとは思いませんでした。
手全体も荒れる(溶ける)のですが、少しでも傷があったり、
荒れ(溶け)が進んで皮膚を通過すると、今度は穴が開いて奥に侵入してきます。

まだ、少しセメントを使う仕事が残っているのですが、
今度はゴム手袋をしてすることにしました。

怪しい人

私はよく犬に吠えられます。
余程怪しいのでしょうね。

目付が悪いのか、恰好が悪いのか分かりませんが、
とりあえず、よく吠えられます。

吠えられると、こちらも驚いて構えてしまって、
余計にオドオドして、怖がるので、
犬はさらに吠えかかります。

犬というのは相手を見て、弱いと思うと勢いづくのでしょうか。
それとも、怪しいから吠えるのでしょうかね。


私はあまり目立つのが好きではないので、
静かに行動するタイプの人間ですが、
そう言えば怪しい人は、忍び足で近づいてきます。
やっぱり私は怪しいのですね。

娘は自分は犬が嫌いなのでよく吠えられると言います。
犬もそれが分かっていて吠えるのだと言うのですが、
私は犬は嫌いではありません。

7~8割が交通違反

違反者講習で講師から出された話です。
交通事故を起こした人と起こしていない人で、
交通違反の比率が違うかどうかという話しです。

交通事故を起こしていない人の交通違反は7割で、
交通事故を起こした人の交通違反は8割ということでした。

どういう方法でデーターを取られたのか、
端数をどう処理されたのか、そのあたりは全く分かりませんが、
7割と8割の差1割は有意差と言えるかどうか疑問に思います。

どちらにしても、7~8割の人が交通違反をしているという現実は、
違反せずに運転するのは難しいということでしょうか。

もし、運転者すべてが違反しないように運転したとしたら、
日本国中道路は渋滞するでしょうね。
日本経済に与える影響も大きいでしょう。


私は決して違反してもいいとは言うつもりはないのですが、
このままでいいのかなと思ってしまいますね。

速度が遅ければ安全か?

先日の交通違反で累積点数が6点となり、違反者講習を受けてきました。
講習のコースが三つあるのですが、
私はAコースを選択しさらに「まち美化活動」を選びました。

その「まち美化活動」は自動車安全運転学校のバスで清掃する駅前に行くのですが、
交通量のかなり多い片側二車線の国道を通りました。
ほとんど走行車線を走行されていました。

運転者は自動車安全運転学校の方なのですが、かなり慎重な運転でした。
えらく遅く感じたのでスピードメーターを見ると、
50k制限のところを40kで走行されていました。
後ろを見ると、しびれを切らしてか
後続の車が追い越し車線へ割りこんで次々と移ってました。


確かに、この運転なら事故は少なくなるでしょうし、
交通違反もせずに運転できます。

しかし、自分は事故を起こさなくても、
後ろの車が事故を起こす可能性が高くなります。

安全運転という立場から言えば、
この運転は安全とは言えないと思いますね。
自分は安全でも、他の車の障害になっては安全運転とは言えませんね。

交通の秩序を乱さないように、流れに乗って運転するように、
とどこかで聞いたように思いますが、
その通りだと思います。

善意の貸し借り

ウチのカミさんもブログをしているのですが、
頂いたコメントへのお返しをするとともに、
頂いた先を訪問してコメントをしてくるというのが当たり前と考えているようです。
(これは最初に私が教えたことなんですがね。)

ですから、訪問してのコメントが済んでないと、「借りている」と言うのです。
そこで私が「そんなこと気にしなくてもええやん」というと、
「そんなこと言ってるから頂くコメントが少ないのや」と言います。

「コメントできるかできないか、いろいろ事情があるわけで、
貸したとか借りたとか言うのはおかしい」「風邪引いてコメントできないかもしれないし、
仕事が忙しいからかもしれないし、記事に賛成できないからかもしれないし、
うっかり忘れているからかもしれないし、貸し借りという言い方はおかしい」
と言うのですが、納得はしないのです。


上の例は「善意」とは少し違いますが、
お土産をプレゼントしたり引っ越しのお手伝いをしたり、日常よくあることですが、
これは善意を施したときにすでに貸し借りは終わっています。

善意を受けた人はこれが嬉しいでしょうし、
善意をした人は相手が喜んでくれることでそれが嬉しいのです。
これで貸し借りはなくなります。
この上にお礼を求めたら、もうそれは「善意」でもなんでもなくなります。

よく、寄付をしたことやボランティアをした人が、
それを自慢げに話す人がありますが、これで売 名とか優越感の「報酬」を受けています。
善意でもなんでもなく、計算ずくのビジネスですね。


とは言え、お礼をしたりされたりするのが常識のようになっていて、
それが礼儀で社会的規範のようになっているのですから厄介です。

私は、善意を受けたら嬉しいし感謝しますが、
特に「お礼」というのはほとんどしたことがありません。
また、私がなにかお手伝いなりなんなりをしても、お礼など欲しいとは思いません。
むしろ、それをいつまでも気にされている方が困りますね。

借りがあるからお返しをするのではなくて、必要な人に善意を施す、
貸した借りたではなくて、助け合うという気持ちがあれば、
善意はみんなの間を回って行くのではないでしょうか。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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