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ああ言えばこう言う

「本当の「話し合い」は聞き合うこと」
我が家のトイレに懸かっているカレンダーの二月の標語なんですが、
私はこれを読んで「聞き合うためにはまず話し合わなければならない」と思うのです。
いかにも「ああ言えばこう言う」タイプの人間ですね。

この標語の作者は、「自分のことばかり言うてんと、相手の話もよう聞かなあかんで」
くらいのつもりで書かれたのでしょうし、普通はそのように受け取るところですが、
私は根性がひねくれてますね。

でもね、こういう言ってみれば雰囲気で人に訴える標語というのは、
間違って受け取られる可能性があります。
この標語はそんな危険はすくないですがね。


例えば、その標語が「本当の「話し合い」は認め合うこと」だったらどうなるでしょう。
普通の人はやはり「争わずに認め合うのはいいこと」と思うでしょう。
しかし、「ああ言えばこう言う」タイプの私は
「認め合うのであれば話し合う意味がない」と思います。

この標語は先の標語よりより限定的な場合の判断になっています。
「認め合う」ということはお互いの意見が食い違っている場合に言う表現です。
その食い違いを認め合うのであれば、話し合う必要があるのでしょうか。

両意見が両立する場合もないではないですが、
多くの場合は考え方の何らかの訂正が求められます。
ですから、ここは「ああ言えばこう言う」タイプの出番なんですね。

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生きている実感

何不自由なく与えられて、生きていても
自分の意思を尊重されたものでなければ、
生きる意味がないと思いませんか。

良いことも悪いことも、自分が選んだ結果であることが、
生きているという実感につながると思います。

そして自分の言ったことが、
そのまま素直に返ってきて初めて伝わったと実感できます。
でなければ、自分が発言する意味がなくなります。


年を取って体も頭も衰えてくると、
傍から注意されたり、やり方を指示されたり、あてにされなくなったりで、
つまりだんだん役に立たない人間として扱われてきます。

こうなって来ると本人も生き甲斐を失い、
だんだんボケてくるでしょうね。


何不自由なく与えられて、生きるということは、
結果として老人と同じ扱いを受けているわけで、
ボケてしまう可能性があると思いますが、いかがでしょうか。

原則は自由競争ですが、

日本は自由主義の国で、法律さえ守っておれば、何をしても自由です。
その代わり、その結果については責任を持たなければなりません。
何の商売をどんなやり方でしても自由ですが、
失敗をしても自分で責任を持たなければなりません。

しかし、上手く行かなかったら何時でも本人の責任かというと
そうではないことも沢山あります。
例えばリストラ、会社の業績が悪いからと首を切られても、
これを自分の責任と考えられる人はいないでしょうね。

例えば就職、今の時代、大学を卒業しても就職ができないとか、
派遣でしか就職ができないなんてことがありますが、
不景気でなかったらあり得なかったことでしょう。
単に本人の努力が足りないからとは言えないと思います。
基本的に仕事量が少ない訳ですから、本人の責任ではありません。

自由競争に負けたのだと仰る方もありますが、
それはちょっと無責任すぎますね。
どうあがいても仕事量が少なければはみ出る人は絶対に出る訳です。

こうした自分の責任で生じたことでないものは、
自由主義であっても国なりなんなりが援助しなければならないし、
不公平を作りださない仕組みも必要と思います。
そうすることが国の責任です。

これは犯 罪を増やさないためにも絶対に必要です。
戦後日本の最初の(これは間違い)首相だった吉田茂が「犯 罪の原因は貧困にある」
という意味のことを言ってたと聞いたことがあります。
原則は自由競争ですが、犯 罪は歓迎できませんね。


その時のために生活保護がある、と仰る方もあると思いますが、
生活保護に辿りつくには幾つもの関をを通らないといけません。
まずは自分のプライドに勝たなければなりません。
こうした心の準備に加えて、いろいろの条件をクリアして得られるものです。

生活保護に甘えるな、ということなのかもしれませんが、
「生活保護」という名前も悪いですね。
もっといろいろの援助の仕方があってもいいですね。
単に箱ものの仕事を作るのではなくて、
将来を見通した可能性への援助も必要と思います。

:警察とケンカ

本日只今、警察官とケンカしてきました。
私が信号無視をしたというのです。
車には、私の他に娘とカミさんが乗っていました。

突然なんですが警察官が旗を持って出てきて、車を停止させられました。
私は「飲酒運転の取り締まりか」とくらい思って窓を開けたところ、
「先程信号無視をされましたね。交差点で担当官が確認しました」と言うのです。
思わず「えっ!」と声が出ました。

同乗していた娘(助手席)もカミさん(後部座席)も同様の反応で、
私が「信号の境目を通過したか」と聞いても誰も首を捻っている状態です。
話をしながら走っていたので、正直いいますと信号がどうだったか記憶がないのですが、
信号が黄色や赤色で通過したのなら「思いきって通過した」という気持ちが有って、
記憶には残っていると思いますが、そういう記憶が全くないのです。

「とりあえず降りて免許証の確認を」というので、
降りて机の前に座りましたが、すでに違反切符を書きかけており、
私は「信号無視は認めへんで」というと、
別の担当官が「停止線を通過するとき(赤)だったから無視だ」というのです。

そこで私は「しゃくし定規なことを言うな」
「教習所だって「急で止まれないときは通過する」と教えてる」というと、
「そのために黄色信号がある」という。

さらに担当官は「赤信号で停止線を通過したのを現認しているのだから」認めろという。
私は「見てたのなら赤だったのだろうが、それで違反をしたというつもりはない」と言い返した。
さらに「そんな取り締まりのしかたをしているから、誰も悪いことをしたとは思わないのだ」
「みんな「運が悪かった」と言っている」と続けた。とても法律を犯したという気持ちにもならない。

その内に違反切符が出来上がり、説明を受けた後に渡された。
それを持って帰ろうとしたところ、人差し指の指紋押印を求められたので拒否をして、
立ちあがって帰ろうとしたところ、前に立ちはだかって「指紋か印鑑かどちらかになる」
というので「どちらも拒否する」と言ったが帰れず、二人を待たせたままだったので、
やむを得ず指紋押印した。

まだまだ書きたいことはあるのですが、この辺で。
うっぷん晴らしの記事でした。

大臣の失言

自民党の衆議院議員小泉進次郎氏の愛読書は広辞苑だそうです。
その理由は「失言をしないため」というようなことを聞いたのですが、
確かに、これまでに「失言」でどれだけの大臣がお辞めになったでしょう。
ちょっと前にも、問題にされかけた大臣がいましたね。

大臣というのは大変窮屈な仕事のようですね。
私達凡人なら多少間違ったことを言っても、たいてい笑い話で終わります。
ところが大臣となると、まずマスコミが許しませんね。
それに続いて野党が騒ぎ立てます。
鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てます。大臣を辞めるまでね。

私はあれは全く無駄なことと思ってます。
失言が「失言」と分かればそれでいいではないかと思いますね。
そんな無駄なことをするより、もっとしなければならないことがあるでしょ。

小泉進次郎氏は将来が期待される若手のホープだそうですが、
広辞苑なんてものは分からないことがあったときに読めばいいもので、
それをあらかじめ頭に入れておく必要はないと思いますね。
他に勉強することがあるのではないでしょうか。

もっとお父さんを見習って
「それくらいのことは大したことではない」と言い放ってほしいですね。
重箱の隅を突っつくようなことに、いちいち相手になっていては、
余計にみっともないですね。

凡人のたわごとでした。

無利子でないと景気はよくならない

景気を良くするには、
物を買ってもらってお金が動かなければなりません。
そのためにはお金の価値より
物の価値の方が高くならなければならないのです。

発行する国債は無利子でないと景気はよくならないわけは、
有利子の国債では政府が使うか民間が使うかの差で、
お金を使う総量は変わらず、よってお金の価値も変わらないからです。
無利子ならお金の総量が増えて、お金の価値が下ります。

有利子の国債は、市中に発行されます。
民間の資金で国債を買うわけですから、
本来なら、銀行に預金したお金は銀行から企業に貸し付けられて、
その資金で企業が事業拡大するなどするわけです。
また、個人が国債を買う代わりに事業を起こしたりします。

ですから、国が有利子の国債を発行して、それで公共事業に使うか、
民間で事業を起こしてお金を使うかの差であって、
景気そのものにはそれほど変化はないのです。
まあ、政府が強制的に使いますので
民間にありがちな資金が動かないということは避けられますがね。

その点、無利子の国債は、民間の事業はそのまま生きて、
さらに、新しい事業を追加されるのですから、景気は上向きます。

無利子と有利子の違い

国債の話ですが、
無利子と有利子とでは経済に与える影響は全く違います。
ところが、現実にはこれらがごっちゃに論じられているため
議論がかみ合わず混乱しています。

無利子の国債は、実質的には日銀が引き取るもので、
いわば日銀が紙幣を増刷して、それを政府が使うものです。
これに対して有利子の国債は、
市中の資金を回収して市中に代わって政府が使うものです。

よって無利子の場合は
市中に資金が、国債の額面分だけ多く出回りますが、
有利子は市中から回収した資金ですので、
市中に出回る資金は変わりません。

つまり、無利子は資金が増えた分、
円の価値は下りますが、
有利子では資金は増えないのですから、
円の価値には変化はありません。
もっとも、有利子でも眠っている資金を動かすという効果はありますがね。


国債をこれ以上発行することには反対という人がありますが、
それは有利子の国債のことで、未来に負債を残さないためです。
しかし、無利子の国債は、実質的に
返済の必要がないものですので、未来には負債は残りません。
これは大きな違いです。

円の価値は他の要素でも変化しますが、
それらについてはここでは触れませんでした。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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