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民主主義

何でも言えて何でもできる。今一番いい時代ですね。
これらは民主主義のおかげです。

少数意見も尊重されて、できるだけ多数の意見を反映するように、
というのが良いこととされています。

でも、その結果、思い切った政策は取れなくなり、
中途半端でどっちつかずのことしかできなくなるという弊害もあります。

どこかの誰かの言葉ではありませんが「中庸」が尊重されるわけですが、
物事、すべてが中庸がいいとは限らないですね。

たとえば、できるだけ税金は少ないほうが良い、という意見と、
税金は多くしてでも、福祉や景気を良くするべき、という意見の真ん中を取って、
税金は上げずに赤字国債を発行する、という政策を取れば最良かというと、そうとは限りませんね。

私は税金の範囲内で政策を考えるのが一番と思っていますので、
税金が上げられないなら、政策も縮小するのが良いと思います。
国債は返済できる見通しがなければ発行は控えるべきです。

なのに、
国の中途半端な政策で、一千兆円もの借金ができてしまいました。


独裁主義はヒットラーを連想して、印象は悪いですが、
しかし、思い切ったことができるので利点もあります。
今の日本の状況は、思い切った改革が必要だと思いませんか。

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神の心は大きい

だから、つまらないことにバチを当てたり、
少しくらいの失敗を責めたりはしません。

仕事が忙しくて心が荒れていたとしても、
それであなたの心を責めたりはしません。

どうしてそんなにむしゃくしゃイライラしているのか、
そしてそれをあなたが悩んでいることも、
すべて神は知っています。

そしてそれらを神は許しています。
神は大きな大きな心の持ち主なんです。
すべてを包んでくれているのです。


信心深い人の典型は、戒律を厳格に守って生活している、
という思い込みがあります。

もちろん、そういう人もありますし、
それもいいことではあるのですが、
問題は何をしたかではなくて、心で何を思っているかです。

できなかったことを平気でいるのではなく、
それを悔やんでいるなら、神はしっかりみていて許してくれます。

あまり、形にこだわらないで心を見てみましょう。

心は「ある」か

私たち一般人が「何かがある」と判断するときはどんな時でしょう。
見たり聞いたり触ったりすることができるものは「ある」と言えますね。
それから何か道具、顕微鏡とか望遠鏡とかその他計測器で確認できるものも「ある」と言えます。

物理学はこうした五感で感じられるものなど計器で捉えられるものを計測し、
そこにある数的規則性を捉えることで成り立っています。

それでは心は何で捉えるのでしょうか。
心は脳の働きですので脳波を測定して捉えられるという考え方もあり、
心は物に還元できるので「ない」という人もあります。

しかし、脳波と心がイコールであるかどうかは分かりません。
少なくとも、例えば今「胃が痛い」という心の状態は脳波では見えないでしょう。
脳波で見えるのは波形だけです。


私たちが心はあると信じているのは、こうした物理学的な捉え方ではなく、
もっと違った方法で心を捉えて信じています。
それは言葉です。

言葉で例えば「胃が痛い」と聞けば、その人は今胃が痛いのだと分かり、
この胃が痛いときの心の状態を理解できます。
これは物理学的に「胃が痛い」という声(音)を捉えているのではなく、
そこに含まれている意味を理解しているのです。
そこには数的規則性などはないのですが、はっきりと心の存在を感じることができます。

何かがあるかないかを物理学的な捉え方ができるかできないかで決めていいのでしょうか。
私は物理学的な捉え方がすべてではないと思いますし、
他の捉え方を否定する理由はどこにもないと思っています。

五感で感じられるものだけが「ある」のではないとすれば、
心も「ある」と言っていいと思います。




この記事は2011/2/28に投稿したものを再投稿したものです。

百聞は一見にしかず??

間接的にいくら聞いても、実際に見ることにはかなわない、ということのようですね。
確かに、風景にしてもどんなに言葉を尽くしても、その美しさは伝わらないものですね。
最後に「まあ、実際に見てみろ」と言いたくなります。

美しさとか心地よさとか、そういう感覚的な事柄というのは中々言葉では表せないものですが、
見ただけでは分からないことも沢山ありますね。

一つ面白い例を話しますと、
昔、手品の現象を精密に記録して、タネを見つけようとした人がいたそうですが、
もちろん、そんな方法で分かるわけがありませんね。
手品のタネなんかは、専門家に聞くとか本で勉強する方が近道ですね。


でも、実際に見て確認するというのは大切なことには違いがないのですが、
自分で確認できる範囲は限られてますね。
毎日の生活を考えてみてください。生まれてこの方でもいいですが、
とりあえず、行動範囲は大したことはありませんね。

それでも、世界のまだ見てないところのことも知っていますし、
まだ、生まれていない昔のことも知っています。
これらはすべて見てなくて知っていることなんです。

「百聞は一見にしかず」は感覚的な事柄には大変重要なことですが、
手品の話ではありませんが、
むしろ感覚に惑わされないために聞くことも重要ではないでしょうか。

そんな昔のことを

今、ラオスで行われているASEMで中国が尖閣諸島は
「中国の領土として明の時代から支配している」と尖閣は中国のものだと主張したいようですが、
そんな昔の話を持ち出してこられても困りますね。

だってそうでしょ。今住んでいるところに誰かが来て
「昔、私の祖先がここを所有していて住んでいたので、ここは私の家だ」
なんて言って来られたらどうですか。
「そんなバカな」とあきれますよね。

今、中国が言っているのはそれと同じですよ。
どういう経緯で日本が尖閣諸島を取得したにしろ、
最近まで日本人が住み、中国も日本の領土であることを認めていたし、
現実に今日本が支配しているのですからね。

600年も支配してきたと言ってもそれだって力で支配していたのですから、
中国の言うには日本が日清戦争で取ったといいますが、
それがダメというなら、今の世界地図は成り立たなくなります。

とりあえず、平和に落ち着いた時点での状況が出発点になると思います。
実質支配だけでなく、そうなっている背景の条約なり何なりが、どうかですね。


本当は、
「領土」なんて考え方がなくてもいい世界になるのがいいのですがね。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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