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注意されること

先日、娘が仕事先で「いやなやつがいる」というので話を聞くと、
どうも、口うるさく注意されるらしいのです。
そして「自分も同じような失敗をしているくせに人には注意する」といいます。

娘の論理では、自分は失敗しないから人には注意するものと思っているようですが、
私は娘に、それは「自分もその失敗をよくするから」
「あるいはそういう失敗をよくみているから同じ失敗をしないように注意するのだ」
と思いなさい、といいました。

「今日はそういう気持ちでその人を見てみる」と娘は言ってましたが、
その結果はまだ聞いていません。


娘としては、フレンドリーな雰囲気の職場が好きなようで、
「その方が仕事が進む」というのですが、私もそれは分かります。
しかし、世の中にはいろんな人がいますが、
悪気があってそうしている人はそんなにいるものではないと思いますね。


この記事をカミさんに見せたところ「そんなことないよ」
「失敗の経験がなくても注意する」というのです。
「なんたは料理を手伝ってくれても、辛気臭くてついつい怒る」というのです。

は~い。そうなんです。いつも怒られてます。
でも、これは「怒っている」のであって「注意している」のではないですね(笑)。

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信頼

もし、医師が胃ガンであることを隠して「胃潰瘍です」と嘘を言ったとしても、
「裏切られた」と言って医師への信頼はなくなるなんてことはないと思いますが、
それは裏切ったのではなくて、患者の気持ちを考えてのことと分かっているからです。

日常生活でも、嘘を付かれたり、冷たくされたり、意地悪されたりすることはありますが、
それらは必ずしも悪意とは限りませんね。
先の医師がそうだったように、嘘を付くにもそれなりの理由があるものです。

それなりの理由、それはその人との関係である程度推測できます。
医師と患者の関係、親子の関係、単なる近所同士、店員とお客、その他、
それぞれの関係でどの程度まで「信頼できる」という度合があって、
むやみに疑ったりはしないものです。

何か疑わしいことがあっても、それなりの理由があるものとして処理します。
それが「信頼」なのでしょうね。


私達は、この「信頼」で社会とつながっていると言ってもいいと思います。
時には疑えることがあったとしても、それらは例外的で、
まずは信頼することで社会とつながって生きています。
それができなくなったときに、悲劇的な結果が生まれるのでしょうね。

一番楽な生き方

誰も見てないからと言って悪いことはしないようにと、
よく「神様は見ているよ」なんて言われたりしますね。
こういうときの神様というのは、私は自分のことだと思っているのですが、
神様というより仏様と言った方がぴったりかもしれません。

神様でなくても仏様でなくても、もし誰かが自分を監視しているとしたら、
あなたはどんな生活をしますか。
自分の言動はすべて見られていて、嘘を言ってもすぐにばれます。

悪いことは一切しないで、積極的に善行を施しますか。
それができればいいのですが、そんなことは不可能でしょうね。
できたとしても疲れ果ててやがて倒れるでしょう。


私は一番楽な生き方をしますね。
ず~っと監視されていても神経をすり減らして疲れることがない方法です。

まあ、法律は守るとして、
その他は人間なら誰でもすることは自分も認めてもらいます。
何か不都合なことをしてしまっても「人間だから仕方がない」と許してもらいます。

時々嘘を言うことも、時々間違えることも、
時々怒ることも、ちょっとした意地悪も許してもらいます。
これは、何も隠さない(実質隠せない)ことでもあります。
こんな失敗は誰にも言えないと思えるようなことでも、隠さないことです。


実はこれが一番楽な生き方なんですね。
もちろん、プライドも捨てた方が楽ですね。羞恥心も捨てた方が楽です。

これが良いことと言うつもりはありませんが、
しかし、これは見つかるか見つからないかの差ですからね。
たとえ実行に移さなくても、心の中では思っている訳ですから、
まあ、大差はありませんよね。

むしろ、そうすることであらためて本当(裸)の自分が分かってきます。
隠すことができると「自分はしていない」と自分をだませます。


私がこういう一番楽な生き方をするようになってから気づいたことがあります。
「プライバシーの保護」は全く必要はないということです。
何か隠していることがあるから保護されたいのではないでしょうかね。

正常と異常

普通、例えば体の異常を感じて病院へ行きますが、
でも、異常を感じなくても医者に掛かることがありますね。

今は、健康に非常に関心が高くて、
「ああすればいい」「これは悪い」「ここまでが限度」などと、
クスリを飲んだり食事を工夫したり時には治療したりしています。

ウチの娘などは清潔好きなのか手を洗いすぎて、
手が荒れて医者に通っています。

その点、私などは手を洗わない(笑)ので、手は荒れませんね。
山芋も素手でスリ下ろしますし、
風呂洗いのカビ取り洗剤も素手で扱いますが、荒れたりはしません。

娘には手を洗うでも水で洗って石鹸は使わないようにと教えたところ、
手の荒れはほとんどなくなったそうです。

ばい菌などが付いた手が正常とは思いませんが、
果たして、それは異常なのでしょうか。

原始の時代には石鹸などなかったでしょうし、
そのときは水で洗うだけで正常だったのでしょうけど、
今の時代でも水で洗うだけで正常なのかと疑ってしまいますね。

そう思ってくると、何が正常で何か異常なのか分からなくなってきます。


最初思ってたのと違った結論になってしまいました。
最初の予定では「中年以降のお腹の出っ張りは正常」となる予定でした。
あまりの違いに我ながら驚いています。
まあ、ええか。

自分にとって大事なこと

ある方のブログで物忘れの話を記事にされていました。
そこで私が「私はもっと酷いけれども自分にとって大事なことは忘れない」とコメントしたのですが、
この「自分にとって大事なこと」というのが曲者なんですね。

自分にとって大事なことでも、自分で考えた大事なこととは限らないのです。
むしろ、本能的な考える以前のもののように思われます。

例えば、友達との約束などは忘れて約束を破るなんてことになったら大変ですから、
絶対に忘れたくないことですね。
なのに、友達との「お土産を買ってくる」という約束を忘れたりするのです。
自分の信用問題にも関わりますから、絶対に忘れてはならないと思っているはずなのに、
忘れることがありますよね。

土産を忘れても自分自身には何も損害はないのですね。
損害をこうむるのは友達の方で、自分には損害はないのです。
つまり、約束なんて自分にとって大事なことではないのですね。


人間の体というのはつくづく上手くできていると思います。
記憶力が低下しても、生命に関わるようなことは忘れないようにできているのですね。

もちろん、友達との信頼関係も大切なのですが、さしあたり生命には影響はないものです。
忘れても後で修復は可能ですからね。
記憶力が衰えるにしても順序があって、優先順位の低いものから落ちてゆくのでしょうね。

これが人間の本質かもしれません。
いくら表面を装ってみても、心の底は自分本位なんですね。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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