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価値観いろいろ (私の哲学 Ⅵ)

事実判断というのは、それが正しいか間違っているか確かめることができます。
科学における判断は事実判断ですので、この正しさを確かめることで科学が成り立っています。
しかし、価値判断というのは、正しいか間違っているか確かめる方法がありません。

例えば、誰かが「私はピカソが好きだ」と言っても、私も好きとは限りません。
しかし、それはどちらが正しいというものではないのです。
その人が「好きだ」というのですから、それを認めるしかないですね。

そんなことはないと仰る方もあるかもしれません。
例えば、骨董品の壷を見て「これは十万円の価値がある」という判断は、
その壷を骨董品店に売りに行けば確かめられる、と仰るでしょう。

でも、これは経済学(科学)の対象で事実判断ですね。
ここで価値判断と言っているのは、その壷をどれだけ好きかということなんです。
我が家の塩壷と同じと思うか、床の間に飾るかの違いです。
これはどちらが正しいというものではないのです。


「良い」とか「悪い」とか、「好き」とか「嫌い」とかいう判断は、
優劣をつけられるものではなくて、だからどの価値観もありうるものです。
私はとの価値観も否定されるものではないと思っています。

この世界には、いろいろの価値観の人がいて、共同生活をしています。
違った価値観同士がぶつかることもあります。
どの価値観も認めるとしたら、社会は混乱するでしょうね。

だから、どんな価値観も認めるとしても、
この社会の混乱を防ぐための工夫が必要です。
この社会の秩序を維持するための工夫です。

その工夫は既にあります。
それは「最低限これだけは守ろう」という約束事を作ることです。
国には法律がありますし、会社には就業規則があります。
その他、その団体を維持するための規則(ルール)があります。
その約束事を守らなければ罰せられるし、時には追放されます。

ということは、ある価値観のある部分は排除されることですので、不公平になります。
そういう人たちには社会として工夫が必要になりますね。

私も最低限法律は守りたいですね。
これが私の哲学なんて言うつもりはありませんが、
案外、一般の多くの人たちは、このアタリのところで生きているのではないでしょうか。

私の哲学、まだ続きがあります。
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心 (私の哲学 Ⅴ)

私たち人間は「心」で判断して行動の仕方を決めています。
その心での判断にはいくつかの種類があります。
それについては以前に心の働きという記事を書いていますので、
詳しいことはそちらで確認して欲しいですが、

四種類に分類して書き出しました。
①、事実判断、
②、価値判断、信疑、賭け(懸け)、
③、感情、欲望、自我、
④、宗教的判断、

①は特殊な場合を除いて、誰が判断しても結果は同じもので、
その判断が正しいかどうか決められるものです。
学問としては、科学と呼ばれているものの多くはそうです。

②は人によって判断が異なり、どれが正しいかではなく、
好みの問題ですので客観的に「良い」などとは言えないものです。
学問としては、倫理学・芸術などがあります。

③は人間には本能的に備わっているもので、
生きるために必要な欲求です。
最終的に行動に直接結びついているのは、この③です。

④は、後ほど詳しく述べることにしますが、
神や仏への敬虔な気持ちです。
これに基づき行動することもあります。


この世界でどのように生きるかを考えるには、
③と④が重要なポイントになりますが、
人によっては②が重要という人もあるでしょうし、
①を重要と言う人もあるかもしれません。
これらについては稿が進むにつれて分かってくると思います。

世界はもっと大きく回っている (私の哲学 Ⅳ)

この世界、自分の感覚器官ですべてを確認することは不可能です。
自分で確認したこの世界は、ごく一部です。
でも、自分はこの世界のほとんどのことは知っています。

私はフランスという国には行ったことがありませんが、
フランスのことはよく知っています。
学校でも教えられたし、テレビや映画でも見たことがあります。
その他、いろいろの機会にフランスの情報は入ってきます。
そして私はそれらを信じて、フランスという国の存在も知っているわけです。

私たちは他の人とともに助け合って生きています。
生まれてしばらくは親が育ててくれます。
親からいろいろのことを教えられます。
そして学校に行っても沢山のことを先生から教わります。

このように教えられて知っていることはかなりありますし、
自分で本やネットなどで調べて知っていることも多いです。
これらは自分ではない誰かが確認をしたもので、自分で確認したものではありません。

時間的に、経済的に、能力的に自分ではできないときは、
私たちは他人の力を借ります。本で調べるのも誰かの力が本を作ったのです。
コンビニで冷たいものを買ってきて、と子供に頼んだり、
スーツのボタン付けを妻に頼んだり、
宅配便に贈り物を届けてもらったり、いろいろです。

このようにして、言葉を使って他人と協力することで、
自分で確認できなくても、ほとんどのことは知ることができますし、
また、自分から誰かに知らしめることもできます。

誰かが書いたコラムが話題になって、日本中を駆け巡ることもあれば、
誰かのネットへの書き込みが、世界を駆け巡ることもあります。
世界は自分の中だけで回っているのではなく、
自分の発した言葉が自分を離れて、他人の間を駆け巡り、また、自分にも戻ってくるのです。


哲学者は、自分の前にあるコーヒーカップは、
自分が後ろを向いたときもあり続けているかと、腕を組んで考え悩みます。
そんなにコーヒーカップが気になるのなら、後ろを振り向けば済むことです。
または、自分の前にいる誰がに「コーヒーカップ、まだあるか?」と聞けばいいのです。

実際、私たちはそのようにして毎日生活しているし、
誰も腕を組んで悩んでなんかいませんね。
当の哲学者ですら悩まずに生活しているのです。
だからこそ、人間は社会を作って共同生活ができると言ってもいいでしょう。

この世界でどのように生きるかを考えるのに、
現実のこの世界を離れて考えてみても仕方のないことです。
まあ、考えるのは勝手ですがね。

世界は回っている (私の哲学 Ⅲ)

例えば、目(視覚)で赤い花を見つけ、
心で「欲しい」と思い、この場所は個人のものではないことを記憶で確認し、
「持って帰って花瓶に挿そう」と再び心で思って、手でその花を折る。

つまり、感覚器官で外界を捉え、その情報を心で判断して、
時には計算したり、時には記憶をたどったりして、
自分にとっていい情報か悪い情報か、あるいは中立的な情報かを判断して、
行動器官で外界に行動します。
そしてまた、感覚器官で外界の情報を得る。
この繰り返しで回りながら前に進んで行くわけです。

上の例は外界は自然ですが、外界が社会(人間)でも同じです。
多少心の中の動きは複雑になるかもしれませんが、回りながら前に進みます。


それから人間の感覚器官や行動器官、記憶能力や計算能力には限界があります。
そこで人間は道具を作ってその限界を超えてきました。
視覚の限界は顕微鏡や望遠鏡などで超えてきましたし、
足の限界は自動車や飛行機などで超えてきました。
記憶や計算能力の限界はコンピューターなどで超えてきました。

それから人間は、外界に新しい欲望の対象も作ります。
より美しいと感じられるもの、より楽しいと感じられるもの、
つまり、芸術や娯楽などがそれです。
これらも道具と同じ位置づけをしておきます。
スポーツも娯楽の一種としてここへ位置づけが出来ると思います。

この世界には人間が作ったこれらの道具があふれています。
世界を回すときにも間にこれらの道具が沢山登場してきます。


世界を一元論・二元論など、どう解釈しようと、
世界がこのように回っていることには違いはないのです。
私たちはこの世界でどのように生きるかを考えればいいのです。

その前に、もう一つ重要なことがありますので、
それを先に書くことにします。

この世界を分ける (私の哲学 Ⅱ)

まず、自分がいますね。自分あってのこの世界かもしれません。
この自分には「感覚器官」があります。この感覚器官で自分の外の世界を感じることができます。
いわゆる五感というもので、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚などがそれです。

それから「行動器官」もあります。この器官で自分の外の世界に働きかけます。
足・手・口・目、体全体と言ってもいいかもしれません。
他にも、自分には「計算」できる能力もあり、「記憶」する能力もあります。

それからもう一つ自分には、欲望があります。
これは「心」と言ってもいいかもしれません。
希望や夢も欲望の一つでしょうし、これらは行動の源です。


自分の外の世界には、「自然」があります。
自然と言ってもいろいろですが、山もあれば海もあるし、それらには様々な生きものもいます。
それから星などの天体もあります。

自分以外の人間も沢山いますね。
そしてその人間は、国とか会社とかその他集団となって「社会」を作っています。

この他にもこの世界には人間が作ったものが沢山あります。
橋や道路、ビルや家、飛行機や自動車、テレビにパソコン・冷蔵庫、机にノートにコーヒーカップ、
身の回りを見てみると、人間の作ったいわゆる「道具」というものがあふれていますね。


こういう話をすると独我論者はこういうでしょうね。
「すべては感じられて心の中にあるのだから、あるのは心だけだ」とね。
確かにそうなのですが、分析するためには分ける必要があります。
そうなんです。心の中を分けたらいいのです。
結果は、私と同じになると思いますよ。

どう分けるか、どう分類するかは、目的によって異なりますし自由ですが、
ここでは哲学という目的に合わせて、世界全体を満遍なく分けました。
もちろん、ブログという限定された中ですので、挙げられなかったものもあります

人間にできること (私の哲学 Ⅰ)

この世界、この世の中、不思議ですね。
どういう仕組みになっているのか知りたいですね。
そのために人間は科学や哲学をしてきました。

人間に出来ることは何なのかを考えることは
哲学をする上では大変重要なことと思います。
てきないことをしても無駄ですからね。


まず言えることは、人間が考える以前から、
すでに与えられているものがあるということです。
その与えられているものを分けて整理することならできます。

自分を取り巻いている自然もありましたし、
自分自身の体も心もすでにありました。
そして自分以外の人間も沢山いて、社会というものも造っています。
それから人間が造ったものも沢山あふれています。

人間に出来ることは、それらを整理しそれらの間にある関係を調べることで、
すでに科学はそれらの個々の対象について科学してきましたし、
科学しなくても、それらと接しているだけでも思うことはあるものです。

しかし、哲学は「物」と「心」くらいは分けても、それ以上に分析することなく、
どちらが本質的存在かなどと議論をし続けているのです。
二元論とか一元論とか独我論とかその他そういう類の無駄な議論です。
何を基準にどれが本質的かを決めるのでしょうね。
ギリシャの時代から考えてきて、まだ結論が出ていないのです。
そろそろ止めてもいいのではないでしょうかね。

二元論か一元論かなんてどうでもいいことです。
与えられているものを与えられた人間の能力で、
より細かく分類し、それらの間にある関係を知れば、
自然と自分はどのように行動したらよいか、
自分の行動の指針(これを哲学というなら「哲学」でもいい)が得られます。


これから、幾つかの記事に分けて、
与えられているものは何で、それらがどう関係しあっているかを書きたいと思います。

原発はなぜ怖いのか

原発、怖いですね。放射能、怖いですね。
放射能は見えないところが怖いですね。
そして、いつの間にか体に入り込んで、ガンを作ります。
怖いですね。

人間というのは分からないと「不安」なんですね。
将来どんな悪さをするか分からないので「不安」なんですね。
この「不安」というのが人間は大嫌いなんです。

人間は未来を夢見て生きています。
未来に希望を抱いて生きています。
将来は学校の先生になりたいとか、
海の見えるところに小さな喫茶店を開いて生活したいとか、
いろいろ夢や希望があり、それに向かって進みます。

ところが原発(放射能)はその未来に「不安」を投げかけるのです。
もし、ガンになったら、そんな夢などおしまいですからね。
だから原発(放射能)が怖いのですね。


今、福島の原発事故で不安が渦巻いていますね。
これも分からないから不安なんですね。
いったい原発(放射能)はどの程度怖いのでしょうね。
これを知った上で判断すると不安は薄らくと思いませんか。

原発事故と言えばチェルノブイリが有名ですね。
このチェルノブイリの原発事故で死亡したと分かっている人数は
原発作業員や消防士・清掃作業員など200人前後のようですね。
(子供が甲状腺ガンで死亡したのは15人だそうです。)
(ネットなどで死者を100万人などと書いてあるものもありますが、根拠のない数字で
被災地域の人口(650万人)から判断してちょっと考えにくい数字ですね。)
それから放射能の影響で将来死亡すると見込まれている人数が4000人くらいだそうです。
正確に言えばこの4000人は原発事故で寿命が短くなると見込まれている人ですね。

福島原発の事故では現在のところでは死亡した人はいませんし、
チェルノブイリの教訓も活かされているし、汚染の程度もかなり差がありますので、
今後死者が出たとしても、もっと少ないでしょう。
おそらく、一桁の数字でおさまるでしょう。


死者の数だけが問題ではない、と仰る方もあると思いますが、
まあ、この世の中、生きていくにはいろいろの不安が付きものです。
例えば、日本の狭い道路、対向車が飛び出してきたら、おそらく命はないでしょうね。
だからと言って、車で外出するのは止めるという訳にもいきません。
確か、毎年交通事故で死亡する人は1万人を超えている時期もあったと聴いています。
原発だけを特別扱いする理由が見つかりにくいですね。

みなさんはどう思われますか。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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