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出発点をそろえよう

物事を評価・批判するときは出発点をそろえることですね。
よく結果を見てから批判する人がありますが、(私もその傾向がありますが)、
それは出発点が違いますね。

人間は「少しでも良くしたい」という気持ちで未来を見て生きています。
悪い点を見つけてそれを改善しようとします。

ある人(Aさん)が何か悪い点を見つけて改善したとします。
それを見てある人(Bさん)が、まだ悪い点があると、
「これこれが足りないね」と批判しました。

この二人は出発点が違いますね。
最初のAさんは「悪い点」を見つけたときと、
後のBさんが「悪い点」を発見したときとは、時間的にズレがあります。

先にも言いましたように、人間は「悪い点を見つけてそれを改善しようとします」から
当然ながら悪い点を探します。
ですからBさんはAさんの改善した「良い点」は見ないで「悪い点」を探します。


これでは物事の正確な評価にはなりませんね。
評価するときは「良い点」も「悪い点」も見なければなりません。
そのためには出発点をそろえる必要があります。
そうしたら「良い点」も見えてきます。

「悪い点」を見つけるのは改善する目標をみつけられます。
一方「良い点」を見つけることは励みになり、また頑張る原動力になります。

「良い点」も見つけるように心がけたいですね。

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人権という壁

「人権」特にその中の「生存権」というのは、
資本主義の矛盾が生み出したものと言っていいでしょう。

資本主義は貧富の差を生み出します。
生活が苦しい人を増す傾向があり、このような状況で、
いかにすべての国民に人間らしい生活を保障するかという問題意識から、
貧困者を救う手立ての一つとして唱えられたものです。

日本国憲法にも「すべての国民は、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(25条1項)とあります。

ですから、この人権というのは「生まれながらに人間に与えられているもの」ではなくて、
貧しくて苦しんでいる人を救おうという人情から生まれたものです。


現代はこの人権思想も浸透して、世界の目を気にしなければならない状態ですが、
そのお陰でしょうか。貧しい国もだんだん少なくなり、
人口も爆発的に増えてきています。

「月に人間が行ける時代」と科学技術の進歩を表現したりしますが、
どんな病気・障害も治せる時代が来るのも、そう遠くないと思います。

そうなったとき、
もし人権というのが「生まれながらに人間に与えられているもの」であるなら、
爆発的に増えた人間を、どんな高価な技術を使っても病気や障害から救わなくてはなりません。

しかし、人権というものが人情から生まれたものならどうでしょうか。
いくら人情があっても、経済力がなければ治してあげられないのです。


現在、すでにそういう問題がでてきています。
健康保険の赤字もそうですし、お金がないために必要な治療が受けられない人もいます。
それは国の政策が悪いわけではないのです。

自然界の生きものは弱いものは淘汰されることによって種を保存しています。
人間だけは特別なのでしょうか。

いずれにしても、その前に超えなければならない壁があります。
それが「人権」という壁です。

文明は悪か

文明は人間が長い歴史の中で築き上げた知恵の塊ようなもので、
人間を幸福にしてくれるはずのものですね。

現実にも、人間は危険なことはできるだけしなくても済むようになったし、
大抵の病気も治せるようになって、寿命も格段に延びました。
それらはすべて文明のお陰です。

しかし、人間はまだまだ満足はしていません。
人間の欲には切がないのです。

だから、遺伝子を操作して病気を治すことを考えたり、
原子核を操作して電力を得ようと考えたりするのです。

人によっては、それは神への冒涜だといいます。
自然に囲まれて、昔ながらの生活をするのが神から与えられたものだといいます。
つまり、文明は悪だというわけです。


もし、文明が悪だというなら、その元の欲を悪としなければなりません。
しかし、欲というのは生まれたときに神から与えられたものです。
これがなければ人間は死んでしまいますね。
これでは文明を悪とすると矛盾してしまいます。

宗教的には欲は悪いものとして扱われますが、
それはより大切なものを知るための手段としてであって、
本当に悪いわけではないと思います。

私は文明も決して悪いものではないと思っています。
その使い方は注意しなければなりませんがね。

懸けで生きている

東電の社長が原発事故による被害者に土下座をしたそうですね。
私はテレビを見てなかったので知らないのですが、

土下座をさせるというのは、被害者側としては賢明な策ではないですね。
あれでは被害者に同情するどころか、反発を感じます。

「絶対」という言葉を簡単に使った東電も東電ですが、
その「絶対」を信じた住民も住民ですよ。

この世の中に絶対なんてものはありませんよ。
どんな場合も予期せぬことというのはあるものです。
それが今回の地震と津波です。

ゆわば「多分来ないだろう」という懸けで生きて来たわけですよ。
今回はその懸けに負けたに過ぎません。

自然の力の大きさを見せ付けられたのです。



(この記事は、あるブログでコメントしたものに加筆したものです。)

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極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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