FC2ブログ

今こそ無利子の国債を

今、円高で輸出が主体の企業は輸出が難しくなっています。
だから景気は悪くなるという判断で株も安くなります。
輸出企業は安い労働力を求めて海外へ工場を移します。
だから益々失業者が増えて来ます。

これは今の円高からくる将来の予測のように聞こえるかもしれませんが、
これまでの積み重ねから来ている今現在の日本の状況です。
そして、この話は円がドルに対して高くなったことによる話なのですが、
実は、先進国対発展途上国という構図でもあるのです。

先進国の貨幣の価値が発展途上国の貨幣の価値より高いために起きている現象で、
実力相応の価値になれば解決するものです。


今、日本の国は財政難で苦しんでいます。
今こそ無利子の国債を発行して、財源にしましょう。
そうしたら円の価値は下がって、輸出もし易くなります。

円の価値が下がれば国内で生産しても製品の価格は相対的に安くできます。
失業者も少なくなって問題の一つは解決します。

一番困るのはインフレです。
貨幣価値が下がるのですから当然ですが、
幸い今はデフレですので少しはインフレでもよいのではないでしょうか。


私はもっと大胆に無利子の国債を発行すべきと思っています。
かつて、ブラジルがインフレで困っていたようですが、
今は、立派に立ち直っていると聴いています。
それは相応の貨幣価値になったお陰ではないでしょうか。

もっとも、極端なインフレは社会の混乱を招きますので、
十分管理して計画的に無利子の国債を発行すべきですがね。


この記事にはかなりの飛躍がありますが、
私にはこの程度の知識しかありませんので、ご批判は覚悟してます。
ご遠慮なく、ご批判ください。

スポンサーサイト

感じ方いろいろ

次の文章は私が記事として書いたものです。
タイトルは「とっても心が疲れている人に」というものでした。


  もういいのです。
  あなたは自由です。
  何をしてもいいのです。

  あなたの心を縛っていたものは、もうなくなりました。
  何もかも放り出して、芝生の上に転がってみてください。
  青い空に小鳥が鳴きながら飛んでいます。

  自分の力で何とかしようとするのは止めましょう。
  人の力も借りてみましょう。
  成り行きに任せてみましょう。

  それで上手く行かなくても、あなたの責任ではありません。
  たまたま運が悪かったのです。
  もう、開き直っちゃいましょう。

  プライドは捨てましょう。
  それで誰かが死ぬわけでもなく、世界が引っくり返るわけでもないのです。
  未練は捨てましょう。
  今あるもの、持っているもの、そんなものはいずれは壊れるものです。

  もう、あなたを縛っているものはないのです。
  自由に羽ばたいてください。


お寄せいただいたコメントは好意的なものが多かったのですが、
よく読んでみてください。なんとも無責任な文章ですね。

「もういいのです」なんて言ってますが、明日までに借金を返さなければならないのです。
そんなお金はないのです。どこがもういいのか説明してみろ、と言いたくなります。

「あなたの心を縛っていたものは、もうなくなりました」ってどこがやね。
明日借金取りが来るというのに、心はガンジガラメに縛られてますよ。


実は、こういう文章はたくさんあるのです。
というより、文学というのはこういう危険性があるのです。

何の根拠もなく感情に訴えて人の心を引き、
自分の思っている結論に導くわけですが、
よくよく考えてみると何の根拠もないというのが多いのです。
ですから私はこういう文章を書くのが嫌いなんです。

でも、それでは文学というのは全く無駄なものかというとそうではないのです。
だって、人間は感情の動物で、どんなに非合理であっても、感情に動かされるものだからです。
感情に訴えて悪い理由はありません。
その言葉がその人の糧になるのであればそれも良いのではないでしょうか。

感じ方は人それぞれです。

悟る必要はあるのか

人間は生まれるとき欲望を持って生まれてきます。
お腹いっぱいに食べたいし、楽しいことをしていたい。
苦しいことはできるだけ避けたいと思っています。
少なくとも生まれてから若いと言われるころまではね。

それから後は人それぞれで、進む方向は変わってきますが、
それでも多くの人は、生まれた時とそれほど差はなく生きているように思います。
つまり、欲望を持って生きていると思います。

ところが、悟るには欲望は良くないものとされていますから、
生きるということと悟ることは矛盾しないか、という疑問が沸いてきます。


私はこう思っています。
未来に希望を持って、夢を持って前向きに生きている人は、
とりあえず、悟る必要はないと思います。
ただし、正常な倫理観は持っていることが条件ですがね。
もちろん、悟っても悪くはありませんよ。

しかし、希望を失って未来に夢を抱けなくなったときは、
欲望を追うことの虚しさを知り、悟ることは意味があると思います。

人生の一番最後、つまり死が近づいてすべての欲望を捨てなければならなくなったとき、
欲望を捨てた先にあるものを知る(つまり悟る)ことは必要です。
なぜなら、その先はすばらしい世界だからです。

悟り方いろいろ

宗教でいう「悟り」とは自我を取り去ることです。
つまり、自分の心を神仏に預けることです。
あるいは、それができたときの心の状態と言ってもいいです。

しかし、自我と言っても人それぞれで、我の強い人もあれば弱い人もあります。
自分で納得しないと信じない人もあれば、
人に奨められるとすぐに従ってしまう人もいます。

つまり、いろいろの個性の人があるわけですから、
個性があるだけ、悟り方もいろいろあると言ってもいいと思います。

要は自我を取り去る(心を神仏に預ける)ことができればいいのですから、
どんな方法でもいいのですよ。
その人その人に合った方法があっていいのですよ。


私なんかは理屈で考える人間ですので、
理屈で納得できなければ受け入れることは有り得ませんが、
娘なんかはその人が優しいイイヒトかどうかで判断します。

だから私には仏教的な説き方が合っていますが、
娘にはキリスト教的説き方の方があっているようです。

人によっては座禅がいいかもしれないし、
修行をするのも悪くはないと思います。
禁欲生活が向いている人もあるかもしれません。

あるいは、物理的にでも精神的にでも自分を追い込んで、
あるいは、自分が追い込まれる状況になったとき、
悟りが訪れることもあるかもしれません。

人それぞれの悟り方があっていいと思います。

分からんことは分からんままでいい

それを知ろうとすると厄介なことが起きる

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ