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大人になるってどういうこと Ⅰ

人間は生まれたときは誰でも子供ですね。
当たり前のことですが、何故子供かと言えば一人では生きられないからです。
それではどうなったら一人でも生きられると判断できるのでしょうか。
それは、自分で判断して行動できるようになることではないでしょうか。

子供は大人の判断、特に親の判断に従って行動します。
学校へ行きなさい。夕食までに帰りなさい。歯を磨きなさい。
すべて親などの大人が判断して子供に行動させているものです。

それが自分で判断して行動できるようになるのですが、
その過程の象徴的な出来事が反抗期です。
親に反抗して言うことを聞かない、当り散らす、などです。
これは反抗することに意味があるようで、理に合わなくてもいいようです。

この反抗期は2~3歳のときと15歳前後の二回ありますが、
そのときに劇的に変わるというのではなく、
むしろ心の持ちようが変わったと見たほうがよさそうです。
徐々に自分で判断できるようになり自立してゆきます。


私はこの二回以外にも反抗期はあると思っています。
その一つは女性が突然父親を嫌いになる現象です。
誰にでもある現象ではないようですが、第二反抗期よりさらに後にあるようです。
父親に反抗するというより、父親に異性を感じ始めたのでしょうか。
まあ、私は男ですのでよくは分かりませんがね。

もう一つ、親に対する反抗ではなく、社会に対する反抗もあります。
その典型的な形が学生運動でしょうか。
既成の規則に対する反抗や、今のやり方に対する反抗です。
これも反抗することに意味があるようで、その考え方が良いとは限らないものです。


このように親からも社会からも自立して、
新しい世界を築けるようになれば、それはもう大人ですよね。

しかし、これには個人差があって、自立の度合いは個性の差でもあると思います。
それに人間は本来完全に自立することは不可能と思われ、
今ある世界からの影響は大なり小なり受けているものです。

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近ければ近いほど喧嘩する

とりあえず、ウチの家族はよく喧嘩する家族です。

どこかで聞いたことがあるのですが、小学校の子供でも、
同じ学年の同じグループの同じ趣味の子供がよく喧嘩するそうです。
それは単に近くにいるからという理由ではなく、
同じ学年だから、同じグループだから、同じ趣味だから、
欲がぶつかり競争心も生まれて喧嘩になるようです。

明らかに上にいる人とか、明らかに下にいる人とは喧嘩になりにくいです。
自分とは意見が合わなくても、上の人なら勉強させてもらうし、
下の人なら教えてやるという形になって、争う気持ちは沸きませんね。

それでふと思ったのですが、喧嘩をするということは、
自分も相手と同等であると認めているようなものだということです。


自慢をする訳ではありませんが、
最近私はウチのカミさんのわがままにも怒らなくなりました。
怒るのがバカらしくなってきたのです。

わがままを聞いても、あきれるというか笑えてくるのです。
最近は喧嘩をしているところを見たり、
誰かの悪口を聞いたりしていると、
「それは自分も相手と同じレベルだ」と認めていることだよ、と諭すことにしています。

医学の進歩と人の命

医学の進歩でいろいろの難しい病気も助かるようになってきました。
将来は人間が死ぬのは老衰だけになる、なんて話も聞いたことがあります。
しかし、そうでしょうかね。

「死ぬのは老衰だけ」と言った人は、
そういう科学技術が確立されるという意味で言ったのだと思いますが、
いくら科学技術があってもそれをすべての人が使えるようにするためにはお金がかかります。
現実にもお金がないので医者にはかからないという人がいます。
つまり技術はあっても多くの人はその恩恵には与れないのです。

昔は寿命として諦めていた病気も助かるとなれば何とかしたくなるのが人情です。
先進医療は健康保険が使えないことが多いようですが、
そんなときは国の政策が悪いと思ってしまいます。

しかし、考えてみるとこれまでは治らなかった病気を、
治せる技術にまで育てたのですから非難するだけでいいとは思えなくなります。
こと人の命が関わるようなときは、人は人命を重視しがちですが、
残されるものも命があり生きなければならないという事も忘れてはなりません。


どこかの新興宗教が輸血を禁止して問題になったことがあります。
その人たちの考え方は「寿命なんだから輸血は必要ない」ということのようですが、
それも分からなくはない考え方だと思います。
別に私はその宗教の信者でもないし、肩も持つつもりもないのですが、
個人の意思というのも尊重していいのではと思いますね。

「人の命は地球より思い」なんてよく言いますが、
そういう考え方からすれば、治せるものなら金はかかっても治すべきとなるのでしょう。
しかし、先進医療というのは概して大掛かりな設備と高度の技術が必要で、
したがって、治療にはお金もかかるものです。

お金というのは人が働いた代価です。
国も税金という形でそれを集めているのですから、人が働いた以上のお金はありません。
お金はないが技術はある、という矛盾に陥ります。

これからどんどん先進医療が発達してくるとそういう事態が増えてきます。
医学の進歩と人の命、難しい場面が増えてくるでしょうね。

生きるのが不器用な人 Ⅴ

生きるのが不器用な人は頭に「生」がつくほど真面目ですね。

曲がったこと(と本人は思い込んでいる)が嫌いで、
そういう曲がったことにはついて行けません。
学校で学んだことや、公に言われていることなどから、
少しでもずれる事を嫌います。

普通は和を重んじて、少しくらいずれていても大勢に従いますが、
生きるのが不器用な人はそれができないのです。
だから、孤立してしまいます。

場合によっては、疎まれる存在になり、
自然と関係が希薄になってきます。


これは真面目というのではないでしょうが、
日常の習慣などでも、あまり意味がなくなっていたり、
本来の意味からずれたりしていると、
生きるのが不器用な人は、気になるのですね。

「そんな意味のないことには従えない」と拘ったり、
習慣をぶち壊したりします。
例えば、朝の挨拶ですが「お早ようございます」と言います。
生きるのが不器用な人に言わせると「なんで早いか遅いかが問題なのか」となるのです。

挨拶をしない人は「親の躾が悪い」といいますが、
そんな簡単なものでもないように思います。

生きるのが不器用な人 Ⅳ

生きるのが不器用な人は概して無口ですね。

無口の原因はいろいろあると思いますが、
生きるのが不器用な人の場合は、他の人と趣味が違うことが多いですね。
私なんか哲学なんてあまり一般的でない事柄に興味があって、
他の人と興味の対象が合わないことが多いです。

そうなると話の内容にも付いていけないし、
自分も興味もわかないので自然無口になります。


でも、無口だから不器用というのではないのです。
無口であっても人付き合いのために無理に合わせることもできますが、
生きるのが不器用な人はそれをしないのです。

これまでは野球なんで全く興味がなかった人が、
急に新聞のスポーツ欄を見はじめて「これを見とかないと話に付いてゆけない」と言っていましたが、生きるのが不器用な人はそれをしないのです。

「我道を行く」とか「自分に正直」と言えばカッコいいですが、
頑固と言えば頑固ですね。
この頑固さも不器用の原因の一つですね。

まだ続きます。

生きるのが不器用な人 Ⅲ

生きるのが不器用な人は顔が悪いですね。
いや、無男というのでないし、不美人という訳でも有りません。
機嫌が悪そうな顔をしているのです。

私なんかいつも「いったい何が不服なん?」って顔をしています。
いや、別に何も不服はないのです。
これは生まれつきの顔なんです。

しかし、他人から見ると「恐い顔」なんですね。
下手なことを言うと怒られそうな気がするようです。

それでなくても人付き合いが下手なところへ、
顔が恐いために他人からも避けられてしまうのです。
特に初対面の人とはそうなりがちです。

まだまだ続きます。

生きるのが不器用な人 Ⅱ

「生きるのが不器用な人Ⅰ」の記事で、
コメントのお返しをしていて思ったのですが、
生きるのが不器用な人の一番の特徴は、
上手く行かなかったときの対処の仕方が不器用なのではないか、
ということです。

上手く行かないことなんてだれにでもあることですから、
そのことはそれほど問題ではないはずですね。
その後の処理を上手くやればいいのですが、
それが輪を掛けてできなくなるのです。

上手く行かなかったことが既に格好よくないことですから、
そのことで心が落ち込んでいるわけです。
そうなるともう落ち込む一方で、やることも上手く行かなくなります。

そして、やった結果がまた悪くて、一層落ち込みます。
そしてどんどん深みに落ち込んで行くのです。


生きるのが不器用な人は基本的に目立つのが苦手です。
上手く行かないと目立ってしまって注目の的になります。
そうするとなお萎縮してしまって上手く行かなくなるのです。

まだ続きます。

生きるのが不器用な人 Ⅰ

生きるのが不器用な人はプライドが高くて、
その上、人の評価を人一倍気にします。
だから、いつも格好良くいたいのですが、
ところが体がそれに付いて来ないために、
ぎこちない反応をしてしまう、そんな人です。

例えば私の場合、反応が遅いのです。
数人集まって話をしていても、話に付いて行けず、
いつも聞き役に回ってしまいます。

話をしても反応が遅いため、天然的な反応になってしまいます。
そうならないように無理をすると、
準備なしに話し出すものですから、
余計なことを言ってしまったり、失礼なことを言ってしまったりで、
一度そういう経験をすると、余計に発言しにくくなってしまいます。

とりあえず、生きるのが不器用な人は、
心での思いと、体の反応がマッチしてないために起きる性格の一つです。
また、続きを書きます。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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