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デフレ・円高・財政赤字、すべて一挙に解決

デフレ・円高・財政赤字、今日本の国は大変な状況にあります。
見込まれる税収の倍もの予算が必要な状況ですから、
当然ながら国債を発行しなければ予算は組めません。

しかし、これまでのような国債を発行していては、
利息がかさみますし、将来に足かせになります。
できるだけそれは避けたいですね。


これは以前にも書いたことがあるのですが、
無利子の国債を発行することで、問題は解決します。
無利子ですから誰も買わないでしょうから、日銀が買い取ります。

この方法で問題になるのは、インフレですが、
幸い今はデフレですし、円高でもあります。
むしろ良い方向に働くと思います。

たとえインフレなったとしても、
日本の国が夕張市のようになるよりは良いのではないでしょうか。
これまでのツケを精算するのですから、多少の我慢は必要ですよ。

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宗教的に「良いこと」とは

日本の神社やお寺は、
いろいろのことを叶えてくれるところが多いですね。
商売繁盛や縁結びや合格祈願や家内安全など、
すべては、人間の欲望を叶えてくれるものです。

一般の人にとっては、宗教的な「良いこと」とは、
欲望が叶うことだと思っても不思議ではありません。
でも、それは間違っています。

神仏にお願いしても、欲望が叶うわけがないのです。
「欲深い奴」と思われるのが落ちです。
宗教的に「良いこと」とは、この欲望を超えたものです。


良いことも悪いことも、良いことなんです。
生きているということが良いことなんです。
それを知ること(教えること)が宗教なんです。

甘いも酸っぱいも聞き分けた人を「悟った人」といいますが、
人生の良いことも悪いことも知って、ジタバタしない人、
そういう人になれば、苦しみも軽くなるわけです。


それでは合格祈願や家内安全を神仏に願っても無駄かというと、
そうではないのです。
合格したいという気持ち、家内を守りたいという気持ち、
商売を軌道に乗せたいという気持ち、それらの気持ちを一人で抱え込んだら
ストレスが溜まって、ひどいときは病気になってしまいます。

だから、祈ることでそれらの気持ちを神仏に預けるのです。
神仏に預けたのですから、後は成り行きに任せるしかありません。
ストレスも小さくて済ませます。

人間というものは案外弱いものです。
いつでも何でも支えられる強い心の持ち主はそんなにはいないでしょう。
耐え切れないときは、神仏に預けるのもいいと思います。

宗教と洗脳

信仰を持っていない人にとって、信仰するということは、
洗脳されることというくらいに思っている人もあるでしょうね。
そこまで思わなくても、
新興宗教などに入信するのは洗脳されたからだと思っています。

しかし、洗脳というのは当たらないと私は思います。
入信する側にも、それを受け入れる素地があるのではないでしょうか。
道に迷っている、悩みがあるなど、どう進んでよいか分からない、
そういう人には宗教は救いの主なんですね。

進む方向を示してくれたから、背中を押してくれたから、
それに従っただけなんですね。
それで迷いが解け、悩みが解けるのであれば、いいのです。


宗教をそういうものと理解するのは、私は好みませんが、
そういう一面もあることは確かだと思います。

もちろん、同じ背中を押してもらうなら、
変な新興宗教ではなく、しっかりした宗教にお世話になりたいですね。

ただ、ここで問題なのは勧誘の方法です。
急激に大きくなる新興宗教などは、それが上手いのです。

日常の生活でも、口の上手い人っていますよね。
しかし、口が下手でも本当はいいひとがいるように、
勧誘の仕方が下手でも、いい宗教があることを、
もっと知らせる必要はあると思います。

「信じる」ことと哲学

哲学というのは極力正確であろうとするために、
疑うことで成り立っていると言ってもお叱りは受けないと思います。
(自然科学なども、その学的態度の基礎には疑う姿勢があります。)

しかし、その哲学も中身はさまざまで、
疑い方にも、疑う範囲も、疑う度合いも、いろいろです。
中には、全くそんなことには無頓着な哲学者もいます。

中身を読んでみると、社会科学と言った方がよいようなものもあります。
社会科学と違うところは「こうあるべき」と社会に対して指示してしるところです。
これなどは、他人の心の存在は(疑わずに)容認しているものです。


とりあえず、疑うだけでは成り立たない部分が哲学にもあるということです。
それなら、もっと積極的に「信じる」ことを導入していいのではないでしょうか。
特に他人の心の存在については、積極的に認めるべきです。

徹底的に疑がおうとすると、自分の殻に閉じこもるしかありませんね。
少しでも社会と関わりを持とうとすると、他人の心の存在は認めなければなりません。
そして他人と協力し合うことで、より一層の発展につながるのです。


例えば、仕事も他人と分業することで能率も上がりますし、
自分にはできないことでも、他人の世話になることでできることもあるし、
一人ではできないことも、大勢でやればできることもあります。

というより、基本的に人間は一人では生きてゆけないものです。
子孫を増やすこともできないし、
外敵から身を守ることも難しいでしょう。

もっと「信じる」ことについて考えてほしいものです。

既得権

例えば、自分の家の隣が公園だとか、
自分は年金をいくら貰っているとか、
家の近くは自然がいっぱいで、空気がきれいとか、

つまり、今自分を取り巻いていることでプラスの要素は既得権で、
それらを壊されると困るものです。

自分に今ある既得権が壊されそうになったとき、
普通ならそれに反対します。
そして訴えるでしょう。それがどれほど必要なものかを。

その訴えを聞けば、それがどれほど必要なものか分かるでしょう。
これまであったものが無くなるのですから、
当然これまでより生活環境は悪くなります。
それがいいことでないことは、すぐに理解できます。


しかし、それらは未来永劫に保証されているものではないのです。
天災でそれらが壊れることもありますが、今はそれについては触れません。
天災がなくても時代の変化は付きものです。

子供が増えて幼稚園が必要になるかもしれません。
財源が不足して、社会福祉も減らす必要があるかもしれません。
道路を造るため、山を壊さなければならないかもしれません。

だから、公園を壊して幼稚園になるかもしれないし、
年金も少なくなるかもしれません。
自然を壊さなければ道路が造れないかもしれないのです。


今まであったもの、それが必要なことは分かります。
人間の欲というのは限がないものですから、
いくらでも必要なものはあるでしょう。

しかし、何でも必要なら叶うというものではないのです。
自分の家計のことを考えてみれば分かります。
いろいろ必要なものはありますが、
収入とにらめっこして、優先順位の高いものにお金を使います。

だから、それが必要かどうかではなく、
どちらが優先性があるかで考えてほしいものです。

今、政権が変わって大きな変革の試みがなされていますが、
なんか「それが必要なものかどうか」に重点が置かれた議論が続いています。
必要なことは分かっているのです。でもお金がないことも事実なんです。
優先順位を付けて、お金が切れたところで諦めるしかないのではないでしょうか。

九州○○市(いち)、北海道○○市(いち)、これホント??

よく、デパートやスーパーで、
九州○○市とか北海道○○市というのがありますね。

ご飯が進みそうなものがたくさん並んでいて、
いつも買ってみたくなるのですが、
いやー、大変なものを見つけてしまいました。

九州○○市に出ていた全く同じものが
北海道○○市にも出ていたのです。

九州と四国なら分からなくもないのですが、
九州と北海道ですからね。

ものは、海草の干したものですが、
包装も同じ、メーカーも同じ、もちろん品名も同じ、
中身も当然同じなんでしょうね。

九州でも北海道でもそれぞれのみやげ物として出ている、
と言われたらそれまでですが、
どうも納得ができませんね。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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