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幸せは誰のところにも訪れています

「私のところには来なかったよ」

と思っていませんか。


だって、

あなたはそのとき

両手にいっぱい幸せを抱えていたでしょ。

幸せを渡そうと思っても、

渡すことが出来なかったのですよ。

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臨機応変

民主党が高速道路の無料化を公約しましたが、
無料化した場合の環境への影響を調査するそうですね。
その結果が「環境への影響大」と出たときにはどうするのでしょうね。

高速道路無料化は公約だから無料化するのでしょうか。
それなら環境への影響を調査することは意味がありません。

環境への影響大だから高速道路の無料化はしないのでしょうか。
それなら高速道路無料化の公約は果たせないことになります。

あちらを立てればこちらが立たない状態になるわけですが、
こういうときこそ臨機応変に公約を捨てていいと思います。


規則だから、法律だから、約束だから
そんなものは現実の前には何の役にもたたないものです。
現実にそぐわなければ、規則を法律を約束を変えればいいのです。
変えるべきです。

融通が利かないことで有名なお役所仕事も、
もっと臨機応変に対応してほしいものです。

戸籍などの問題は法律自体が古臭いために起きているものが多いですね。
あんなのこそ臨機応変に処理しないと日常生活に差し支えます。

みなさん、どう思われますか。

不満のはけ口

生きていたらいっぱい不満が出てきます。

人に相談しても、適当な返事しか帰ってこないし、

そんなこと人に言えないこともありますね。


そんなときは、神に不満をぶつけるのもいいですよ。

神なら何でも聞いてくれるし、許してもくれます。

神には文句を言ってもいいのです。

それで足らなければ蹴飛ばしてもいいのです。

唾を吐きかけても怒ったりはしません。

もちろん、タタリなんかありません。

神はありのままの自分を愛していてくれます。


それだけ、神は大きな心の持ち主です。

すべて自分のことを知っていて、見守ってくれています。

そして許されて自分はここにいるのです。

「人は苦労した分だけ幸せになる」か

「オーラの泉」という番組で、あるタレントさんが
「人は苦労した分だけ幸せになる」と言ったそうですね。
私はその番組を見てないのですが、そうとは限らないと思います。

普通、「幸せ」というと、
「希望が叶う」とか「裕福になる」というようなことを考えますが、
だとするとなおさら幸せになるという保証はありませんね。
世の中、運の悪い人もいますからね。

幸せかどうかは、心の持ちようとも言いますが、
苦労したからと言って、心がいい方向に向くとも限りません。
「人間なんてみんな信用できない」と人間不信になる人もいます。


苦労はした方がよい、苦労はきっと実を結ぶ、
苦労の先には幸せがあると信じなさい、
まあ、そのくらいのつもりで言われたのでしょうが、
ウソはいけませんね。

そんな無責任な発言ではなく、
苦労することが楽しくなるようなヒントがほしかったですね。
そしたら私も勉強させてもらえたのですがね。


「それなら凡人お前はどう思うのか」と聞かれたら、
私も答えに困りますが、
私は苦労をしているときは「生きている証拠だ」と思って、
その苦労をじっくり味わいますね。

ある宗教団体に説教を打った

かなり前になりますが、
会社のある人から「○○○○の集まりに来ないか」と誘われて、
行ったことがあります。

もう記憶もかなり薄れていますが、
とりあえず「○○○○に入って病気が治った」とか「治る」とか、
そんな話ばかりを聞かされました。

そういうことには黙ってられない私は、
「それはおかしい」「そういう説き方は間違っている」
そして具体例を出して「○○○○に入会することと病気が治ることには何ら因果関係がない」
と理屈をこねて逆に説教を打ったのです。


何でこんなことを書いたかと言いますと、
今朝近くのお寺の掲示板?に「努力している人間を運命は裏切らない」
という言葉が書かれていて目に入り、
そのことを思い出したからです。

こういう言葉で「努力を続けよう」という気持ちになったり、
心理効果で病気が快方に向かうのは、それはそれでいいのですが、
宗教の本質を誤解されるもとになるので止めて欲しいのです。

言っておきますが、神仏を信じたからといって、
病気が治ったり、金持ちになったり、
結婚ができたり、入学試験に合格したりすることはないのです。

幸せになるというのは、ある意味で当たっていますが、
それも裕福になるということではないのです。


しかし、こういう欲望をかなえてくれる神様や仏様が、
日本にはたくさんいますね。

これが宗教アレルギーのもとになっています。
「病気が治ります」と聞いて信じる人も少しはいるでしょうが、
たいていの人は「そんなわけないやろ」と思っています。
そして「宗教」と聞いただけけで拒否反応を起こすのです。

もう少し考えてほしいですね。

とっても心が疲れている人に

もういいのです。
あなたは自由です。
何をしてもいいのです。

あなたの心を縛っていたものは、もうなくなりました。
何もかも放り出して、芝生の上に転がってみてください。
青い空に小鳥が鳴きながら飛んでいます。

自分の力で何とかしようとするのは止めましょう。
人の力も借りてみましょう。
成り行きに任せてみましょう。

それで上手く行かなくても、あなたの責任ではありません。
たまたま運が悪かったのです。
もう、開き直っちゃいましょう。

プライドは捨てましょう。
それで誰かが死ぬわけでもなく、世界が引っくり返るわけでもないのです。
未練は捨てましょう。
今あるもの、持っているもの、そんなものはいずれは壊れるものです。

もう、あなたを縛っているものはないのです。
自由に羽ばたいてください。

自分が嫌いで仕方がないという人に

人間には長所もあれば短所もあります。

長所をひっくり返せば短所です。
同じように短所もひっくり返せば長所です。

自分の短所ばかりを見ていて、
その裏に隠れている長所を見逃していませんか。

もっと見方を変えましょうか。
あなたは他人に負い目を感じたくないでしょ。

自分は後ろ指を指されたくないから、いつも失敗しないでいたい。
笑われたくないから、格好良く振舞っていたい。
なのにそれができない自分が嫌い。

他人の世話になるなんて、頭を下げるなんてできない。
そんなことをしたら明日から頭が上がらない。
かと言って自分にその能力がない。

だからそういう自分が嫌いなのですよ。


短所は直した方がいいですが、
その短所をそのまま認めてやるのも一つの手です。

完璧な人間になる必要はないと思いますよ。
短所がある方が人間らしくていいのです。
笑われたっていいではないですか。

富の分配

日本の国は、自由の国です。
法律を犯さない限りは、何をしても自由です。

しかし、一方で食べられなくて死なせてしまうような社会であっても困ります。
とりあえず、食べられるだけのことはしなければならない。
そうであって初めて、自由を求めることができるのではないでしょうか。
これが自由を求める上での大前提です。
つまり、国民すべてに行き渡らせるように富の配分をしなければならないということです。

普通、食べてゆくためには働きます。
ところがいろいろの事情で働けない人がいます。
働けても食べるには十分でない人もいます。

そういう人たちがとる方法もいろいろですね。
国に援助(生活保護など)を求める。
騙したり脅したりして金を出させる。
他人のものを盗んでくる。

その他にもあるでしょうが、全ては食べるためです。
自由を求めるために最低限満たしておかなければならないものです。
手段は異なっていますが、大前提を満たすためです。

騙したり脅したり盗んだりというのは、法に触れますが、
すべての人に富が渡ってないために生じたことです。
いったいこのことをどう解釈したらいいのでしょうか。

食べられない人に、どういう手段で食べ物を与えても、
それほど差はないようにも思えてきます。
だってそうでしょ。盗んだものであっても、
盗まれた人が「それはあげたものです」と言えばことなく済んでしまうのです。


泥棒を「悪い」という前に、
社会のシステムが「悪い」と思うべきではないでしょうか。

特別な日


あなたにとって特別な日はどういうときですか。

お誕生日でしょうか。

彼氏(彼女)と会う日でしょうか。

それともあなたの結婚式の日でしょうか。

すでに結婚している人なら、金婚式など特別ですね。

その他にも、社会に出る最初の日とか、いろいろ特別な日はありますね。


人間はそういう特別な日のために、

貯金をしたり、準備をして、その日に備えます。

特別な日のために取っておくのもいいですが、

今日という特別な日を着飾ってみませんか。

今日という日は、二度とない日です。

一番特別な日は、今日という日ではないでしょうか。

昨日はもうない日ですし、明日はまだない日ですから。

理想と現実

理想を追い求める人は、
それが実現しないのは、それを守らないからであり、
守らせるためには、しっかり教え込み、監視し、
守らなければ、注意し、時には罰を与える、などと言います。
つまり、守らないのは悪いことと分かってないからだという訳です。

現実を重視する人は、
世の中、理想通りになんて行くわけがない、それは幻想だ。
だから思い通りには行かないもので、それでいいし、
不合理なものも受け入れるて、時には規則など守らなくてもよい。
つまり、理想などあり得ないもので、必要ないと言う訳です。

ちょっと極端な言い方をしましたが、
もっとも典型的な考え方を例示してみました。
この二つ、このままではまとまりようがありません。


今の日本の国、日本の法体系を理想的と言えるかどうか、
意見はいろいろあるでしょうが、
とりあえず、日本は世界でも有数の治安のいい国とされています。
しかし、それでも犯罪は起きるのです。

理想を追い求める人は、教えたら出来ることと思っていますが、
人間には欲望があることを忘れています。
いくら教えられたからといっても、空腹には勝てません。
だから、そこにあるパンを盗んでしまうのです。

一方現実を重視する人は、人間誰でも欲望があり、
その欲望を無視しては生きられないのだから、
理想通りには行かないといいます。
そして、罪を犯すことに抵抗を感じなくなっています。


理想を追い求める人にいいたいことは、
人間は理性的動物であると同時に、欲望を持った動物であるということです。
欲望がみたされてこそ、罪は犯さずにすむのです。
このことは、常に欲望に満たされている人にはなかなか理解しにくいことです。

現実を重視する人に言いたいことは、
人間は欲望があってこそ生きて行けるのですが、
同時に社会的動物でもあります。
他人との共同生活をしているわけですから、
他人への迷惑をかけないように規則は守らなければならないということです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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