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因果応報

「因果応報」とは、仏教用語で
「過去における善悪の行為に応じて、
現在における幸不幸の果報が生じ、
現在の行為に応じて未来の果報を生じること」
と広辞苑にあります。

しかし、何が善くて何が悪いか、
何が幸せでなにが不幸かは、
人によって判断が異なります。
人の判断というのは、
その人の欲と結びついています。

いいじゃないですか、今が幸せなら。
済んでしまったことに思い煩うことはありません。
あのことはもう時効ですよ。

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信頼できる人

その人が信頼できるかどうかは、
考えているだけではなかなか分からないものですが、
現実に、裏切り行為があったり、それが疑われたりするときに、
許すことができるかどうかで判断できます。

この人が私を裏切るわけがない、と思っているような人なら、
「何か事情があるに違いない」と思えます。
そういう人は自分にとっては「信頼できる人」なんです。

その何かの事情が何であるか、それが正しい判断かどうかが分からなくても、
その人が信頼できる人なら、その人の判断は正しいと信じられるのです。
それは、その理論が分からなくても、
アインシュタインが言ったこと、というだけで信じられるのと同じです。
その人が偉い人であればあるほど信じられます。
その人が身近であればあるほど信じられるのです。

それだけではありません。
これまで「裏切り行為」と思っていたものが、
「もしかするとそうでもないのかも」とまで思えてくるのです。

みなさん、そういう経験はありませんかね。

プライバシーなんてありゃしない  Ⅱ

かなり厳しい批判(反論)を期待して、
プライバシーの保護など必要ないという主旨の
「プライバシーなんてありゃしない 」という記事を書きましたが、
反応は今ひとつでした。

ところがテレビで反論がありました(笑)。
あるテレビのあるワイドショーで、あるコメンテータが、
「何も悪いことをしてないのならプライバシーなど保護される必要はない、
という人もあるが、それなら便所にカメラを取り付けられても良いのか」という反論です。

あのね。
便所にカメラを取り付けられて「プライバシーを侵害された」という人がいますかね。
女学生がスカートの下からカメラで写真を撮られて「プライバシーを侵害された」と言いますかね。
便所にドアがあるのも、女学生がスカートをはくのも、プライバシーを守るためなんですか。
これはプライバシー以前の問題でしょ。


何の目的もなしに、プライバシーに関わるような情報を集めたりはしないでしょう。
何かに使うために集めるのです。
問題なのは、何に使うかです。

国勢調査は、国の現状を明確にすることを目的にして、
プライバシーに関わるような情報を集めますが、
あまり問題にはならないのは、目的が国の現状を明確にすることだからです。

ここの家は老人の一人住まいかどうかを、国勢調査で調べても問題ありませんが、
振り込め詐欺に使うために調べたとしたら問題です。
実際にお金を騙し取ったら詐欺罪になりますし、
騙し取れなくても目的が振り込め詐欺なら詐欺未遂になります。
何もプライバシー保護を謳わなくても、取り締まれます。

変にプライバシー保護なんて強調すると、
それを隠れ蓑にして脱税したり、その他悪いことを企む人が出てきます。
だからプライバシーなんて保護する必要はないのです。

反論を期待しています。

常識知らず

「常識知らず」なんて言いますが、
常識を知っているってどういうことなんでしょうか。

朝顔を合わせたら「おはようございます」
病気になったと聞けば「お大事に」
ものを頼んだときには「よろしくお願いします」
人から褒められたら「いえいえ私など、まだまだです」
などと言えることが、常識を知っていることなんでしょうか。
(その他、行動についても言いますが、ここでは省きます。)

子供のころは、親や学校の先生から教えられて、
家に帰ったときには「ただいま」と言い、
朝、登校したときには校門に立っている先生に「おはようございます」と言えるようになります。

しかし、どうでしょうか。
「ただいま」と言ったとしても、
「無事に家に帰りましたので、心配しないでください」
と思って言っている子は、どのくらいいるでしょうね。
ただ「言え」と言われたから言っているというのが本当ではないでしょうか。
大人の場合なら、そういう決まりだから言っているという感じでしょうね。

また逆に、そういうことが苦手な子(大人)もいます。
そういう子は「何でそんなこと一々報告しなければならないのか」と思っているでしょうね。
「自分のことは自分が知っている」「放っておいてくれ」と思っているでしょうね。
自立心のあるしっかりした子であるとも言えます。

「ただいま」に限らず、そういう言葉というのは決まり文句があって、
本来の意味からずれているものが多いのですが、
そうなるとなおさら、その言葉を使うことに抵抗が出てきます。

もちろん、そうした常識というのは、社会で生きる上では大切なもので、必要なものです。
しかし、先にも例を挙げたように、
「どちらが正直な心の持ち主か」と聞かれると、返答に困ります。
ただ言えるのは、「常識のある」人は、世渡りが上手な人で、
「常識知らず」の人は、世渡りの下手な人だということです。

コンビニのドアについて

みなさん、教えていただけるでしょうか。
どうしてコンビニのドアは自動ドアではないのでしょうか。

このごろ、どこへ行ってもちょっとした商店のドアは自動ドアですね。
自動でない店を探すのが難しいくらいです。
純日本風の建物のそば屋くらいしか思い浮かびません。

ところが私の知っているコンビニのドアは、二枚の開き戸で、
手で押して開けるドアの店ばかりです。
何か理由があるのでしょうか。

ご存知の方、教えてください。

プライバシーなんてありゃしない

いや、グチを言うつもりはないのですが、
私にはプライバシーなんてありません。
隠さなければならないプライバシーなんて私にはないし、
知られて困ることは何もありません。
だから何も隠すつもりはありせん。

何なりと調べてもらっていいのですが、
興味のある方は、私の凡人(変人)ぶりを見て欲しいですね。
私としては、いろいろと性格を調べていただくということは、
大変ありがたいことで、弁解する手間が省けるというメリットがあります。

趣味が何で、毎日の行動パターンはどうで、
そこまで調べられても私は困りませんが、
それが何の役に立つのかを考えると、
そんなことをする人はもの好きな人しかいないでしょうね。

まあ、この程度のプライバシーなら、
私ひとり分くらいは難なく収集できるでしょうが、
大勢の人間のプライバシーとなると難しいでしょうね。

プライバシーといってもいろいろあります。
今例に挙げたようなプライバシーは保護する必要がないようにも思います。
積極的にプライバシーを公開する人もあるくらいです。
積極的に公開することで、自分の存在を示そうとしているのでしょうね。

私は思うのですが、
プライバシーという言葉には「何か悪いことを隠す」という印象があるのですが、
そう思うのは私だけでしょうか。


「プライバシーhttp://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/46515331.html」という記事も参照してください。

株の暴落=金が消えるか?

このところ毎日のように株の暴落のニュースが報じられています。
そんな報道の中で「何兆円の損」とか「50兆円が消えた」とか言う言葉が出てきます。
しかし、この表現はちょっとおかしいですよね。
「消えた」って、そんな金がどこにあったのでしょうね。
そんな金はもともとなかったのではないでしょうか。

報道したいのは、昨日の株価で株を売ったのと、
今日の株価で株を売ったのとの差が50兆円だというなんでしょう。
しかし、その差(金額)が消えたと言えるのでしょうか。

昨日には、これこれの金額で株を買ってくれる人があったのですが、
その買うお金は、株を買う個人が持っていたわけです。
そして今日は「昨日とは同じ金額では買いません」と言うのですが、
お金が消えた訳ではないのです。
株を買う個人の持っている金が消えているわけではないのです。
もともとなかったお金です。

今、日本の株価は5年前の水準にまで落ちているそうで、
最近一番高かったときとの差がどれくらいになるのかは知りませんが、
株の上がり下がりで、お金が増えたり減ったりしているのではないことは確かのようです。

リーガル・マンションのCMの曲教えてください

(株)創生(リーガル・マンション)のコマーシャルのバックで流れている曲を
歌っているアーチストと曲名をご存知の方、教えてください。

曲は、洋楽で男性のコーラスグループです。
多分CMでは、曲の途中から使われているものとおもいますが、
出だしは「♪ナンバーワン~(違うかも、英語に弱いもので)」です。

(株)創生に電話して確認したところ「教えられない」というのです。
その理由は「他で使われると困るから」とのことです。
「いい曲なんで、CDが買いたいので」と言っても、
「広告会社でも企業の関係者でもない」と言っても教えないのです。
「国内版のアルバムがでている」とだけ教えてくれました。

まあ、よほどあのコマーシャルが気に入っているのでしょうか。
かなり長い間そのコマーシャルが使われています。

曲名も教えられないとは、
(株)創生(リーガル・マンション)はその程度の会社なのでしょうかね。
会社のイメージが悪くならなければいいのですが・・・。

個性と異常の違い

正常な生活が困難な状態が異常です。

教育の位置づけ

何のために義務教育を受けるのか、疑問に思うこともありますが、
今仮に、教育を受けずに社会に掘り出されたら大変なことになります。

教育を受けずに自分で現代社会に適応できるようになるには、大変な努力が必要です。
まずは読み書きを学ばねばなりません。
そして書物をひも解いて、自分が進みたい事柄に関連の知識を得なければなりません。

しかし、これも考えてみれば教育を受けていることになります。
違うところは、強制的に学校にやられるか、自分で学ぶかの違いだけです。
それもいやというなら、
これまでに人類が築き上げてきた知識を自分で発見・発明しなければなりません。
そんなことは、まず不可能ではないでしょうか。


教育というのは人類が築き上げてきた知識を引継くことだと思うのです。
同じ労力を使わなくても、教育を受けることで最先端の知識を得ることができるのです。
とりあえず、その学んだ知識を信じて、自分のものとして使ってゆきます。
それが教育というものではないでしょうか。

中には、自分で確認したことしか信じないという人もありますが、
そんなことは不可能であることが分かります。


教育をこのように位置づけると、ちょっと疑問に思えるような教科があります。
体育や音楽や美術などです。
これらは「人類が築き上げてきた知識」というよりは、その人の感覚の問題だと思うからです。

皆さんはどう思われるでしょうか。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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