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自分の力ではどうにもならない時の対処法

自分の力ではどうにもならない、
このままでは発狂するか自殺するか犯罪でも犯さないと
収まらないような場合の対処法です。

そんな経験はめったにないことですので、
役に立たないと思う人がほとんどと思いますが、
そこまでの酷い状態でないときにも応用ができますので、
参考にしてください。


これまで生活してきた平穏な日常と、
今直面している現実とのギャップが大きければ大きいほど、
悩みも大きくなります。

平穏な日常での倫理観を異常な現実にまで維持しようとすると、
ギャップが大きい分無理が出てきます。
だから発狂するか自殺するか犯罪でも犯すか、
しなければならなくなるのだと思います。

私の場合は、現実の異常な状態と平穏な日常とを分離することで、
平穏な日常を維持しています。
異常な現実は「あれは別の世界のこと」として、
棚に上げておきます。

そうすることで、かなり気持ちが楽になります。
「別の世界のこと」と思えば
何が起こっても平静でおられます。
平穏な日常ではとてもできないことも、
「別の世界のこと」と思えばできるようになります。


まあ、「異常」と言ってもいろいろのケースがありますので、
この方法が通用しないこともあるかもしれませんが、
「平常」を装った異常も、やはり「異常」でしょうね。

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個性を認める

世の中にはいろんな個性の人がいます。
このことは誰もが認めるところですが、
それらの個性を全て認めるということは、なかなかできないものです。

どうしても自分(の個性)中心に考えます。
「あいつは嫌いだ」「ああいう性格がいい」
「あんなやつ、この世の中に存在することすら許せない」
などと、自分の好き嫌いで判断してしまいます。

でも、どうなんでしょう。
「あんなやつ嫌い」と思っている相手も、自分を嫌っているかもしれません。
自分の「嫌い」と相手の「嫌い」のどちらが正しいのでしょうか。
自分の「嫌い」と相手の「嫌い」のどちらに重みがあるのでしょうか。
それを決める基準はどこにあるのでしょうか。

人を評価するときの私は、
「いかなる人もこの世界に存在する意味がある」と言う基準を置きます。
「どう考えてもこんな人いらない」と思える人でも、
「存在する意味があるとしたら、それは何だろう」と考えてみます。

そうすると出てくるんですね。存在する意味が・・・。
「この人だけは生理的に合わない」
「こんな人、何の役に立つのか」なんて思っている人でも、
上のような仕方をしてみると、存在理由が見つかるものですね。
そうなったとき個性を良い意味の個性として認められるのではないかと思います。

一度試してみてください。
ずっとそういう目で人を見ていると、自分の本当の姿も見えてきます。

翻訳について

翻訳というのは、他国の言語を国語に訳すとか、
古文を現代語に訳すとか、方言を共通語に訳すとか、
とりあえず、自分が分かる言葉に直すことですよね。
そういう意味では、私は毎日翻訳をして生活しています。

朝は、忙しい時間帯です。
家内は食事の支度で忙しく、てんてこ舞いです。
我が家の朝食=夕食(夕食=朝食)なのでなおさらです。

この忙しい時間帯に、私がブログでもしていると、
「そんなことしてんと、お皿くらい並べてくれたらどう」と声が掛かります。
それを「パソコンは後にして、お皿を並べていただけるでしょうか」と翻訳して、
「分かりました。早速お皿を並べます」と返事をすることになります。

言葉というものは、伝えたい内容のほかに、話し手の感情が加わってきます。
私の場合、できるだけ感情を抜きにして、翻訳するようにしています。

その他、話し手が言いたいことが、言葉に正確に表現されていないこともありますが、
そのような場合でも、多分言いたいことはこうだろうと翻訳します。
いちいち間違いを指摘していたら、感じも悪いし時間も掛かります。
もちろん、話し手の言いたいことが分かる場合の話ですがね。

私のブログの記事も、後で読み返すと、どういう意味か分からないところがあったりしますが、
皆さんも翻訳して読んでもらっているようで、ありがとうございます。

郵便物を直接自分で届けたら・・・

先日、「ドライブに言ってくるわ」と言って家を出ようとしたら、
家内に「この現金書留、郵便局に出してきて」と頼まれました。
この書留は、お彼岸のお供えのお金が入っていたのです。

郵便局を探しながら、CDショップを目指してドライブしていたところ、
書留のあて先の寺の前を通りかかったのです。

そこで私は考えました。「いったい私は何のために郵便局へ行くのか」と、
「このまま書留をこの寺の郵便受けに入れたらどうなるのか」と。

何も私は法律を犯していないし、悪いことはしていない、という結論にたどり着き、
そのまま書留を郵便受けに投函したのです。

そして家に帰って、その旨家内に報告したところ、
「それはおかしい」と言うのです。

確かにおかしいのはおかしいです。
しかし、笑い話で済ませられる話と私は思うのですが、家内は納得しないのです。

皆さんはどう思われますか。

命を賭けた人間には勝てない

「命を賭けて頑張る」なんてことをよく言いますが、
これは本気で命を賭けているとは限らず、単に「一生懸命」という意味の場合が多いです。
ここで言う「命を賭けた人間」とは、本気で命を賭けている人間のことです。
言い方を変えれば、命を捨てた人間ということもできます。

最近、ちょっと理解ができない犯罪が増えています。
それは、そんなことをしたら、その先好転する可能性がなくなるのに、
そうしてしまっているから理解ができないのですが、
そうした犯罪者の心理には、「命がけ(命を捨てる)」の心理があると思います。

何をやっても上手くいかない。運もついてこない。
だんだん自分の立場がなくなってきて、
周囲からは、自分の存在がおろそかにされてくる。
職場からも遠ざけられ、妻にも逃げられる。
未来も見えなくなり、自分が存在する意味もなくなる。
どうせ生きていても仕方がないのであれば、命がけ(命を捨て)で行動してしまう。
理解できない犯罪者の心理は、こんなところでしょうか。

もちろん、上手くいかない人は全て犯罪を犯すわけではありません。
犯罪に走りやすい性格というのもあると思いますが、
そういう人でも、上手くいっているときには、その性格が生かされているのですから、
性格が悪いと決め付ける訳にはいきません。

しかし、こうなってしまってからでは、打つ手はほとんどなくなります。
相手は命をかけているのですから、恐いものがないのです。
どんな法律を持ってきてもかないません。
どんなに整然と論理的に説明されても、納得はしないでしょう。


こういう理解不能な犯罪に直面したときは、本人の性格を攻め勝ちですが、
運悪く何事にも上手くいかないことってあるもので、
一つ例を挙げると、バブル崩壊でまともな就職ができず、不安定な職業に就いている人など、
そういう人を救済する場が必要なんではないでしょうか。
おちこぼれを作らない方法、
そのためのいろいろの方法を模索する必要があると思います。

期待しない「信じる」

一般的には「信じる」という言葉には「期待」が含まれています。
多分こうしてくれるだろう、こうなるだろうという期待です。
こういう期待があると、
そうしてくれなかったら(そうならなかったら)「裏切られた」となるのです。

しかし、相手にもいろいろ事情があるもので、
期待通りになるとは限りません。
だから、私は期待はしないことにしています。
そうしていれば裏切られることもありませんからね。

例えば、お金を貸したとします。
返してもらえるものと期待するのが普通ですから、
返してもらえなかったら裏切られた(騙された)と思ってしまいます。

しかし、考えようによっては相手はそれほど困っていたということですよ。
そんなに困っていたのなら援助してあげたのに、と思えたりもしますし、
金額が少ない場合などは、借りたことを忘れていることもあるでしょう。
その他、いろいろ事情があるもので、
期待通りにはならないもの、と思っておく方がよいようです。


ところで、神仏を「信じる」という場合は、少し事情が異なります。
合格祈願や厄除けや家内安全など、いろいろのお願いをしますが、
願いがかなわなくても「裏切られた」とはあまり思いません。

神仏へのお願いというのは、その願いをかなえてもらうというよりは、
その願っている不安を取り除いてもらうことだと思うのです。
例えば、合格するかしないかその不安が、神仏に願うことによって和らぐのです。

もう少し言い方を変えると、不安な心を神仏に預けているのです。
預かってもらうだけでありがたいのです。
期待をしない「信じる」も、時には必要ではないでしょうか。

我が家のネズミ騒動

昨日の夜、家内が風呂に入っていて私を呼ぶのです。
行ってみると「ちょっとじっとして聞いて」と言うので、耳を澄ますと何か音がする。
私は最初、雨だれの音かと思いましたが、雨は降っていないのです。
さらに耳を澄ますと、やはり音がする。
それでも私は、何か給湯器の音かなと思っていました。

ところが、今度自分が風呂に入ったとき、
これまでには聞いたことがない、ガリガリという音が天井付近でするのです。
子供たちを呼んで聞かせたが、「これは何か動物が木をかじっている」というのです。
風呂の壁をたたくとガリガリという音は消え、
また、しばらくするとガリガリと音が始まるのです。

これは絶対ネズミがいる、ということになり、
早速、ネズミ捕り業者に電話しました。
しかし、「明日、電話します」とのことで、一晩はガリガリと一緒に寝ることになりました。

寝床に入ったものの、ガリガリが気になって寝られず、
午前二時ごろに起きて、ガリガリを聞きに行ったところ、音は消えていました。
「そらそうや。ネズミも寝てんにゃ」と思って、私も寝ました。


翌朝、風呂に行ってガリガリを確認したところ、既にお目覚めのようで、音がしていました。
業者からの電話が待ちきれず、こちらから電話を掛けて、「すぐに来て欲しい」とお願いする。

午前十時ごろに業者が来て、ガリガリを確認して、一旦引き上げました。
業者の話では「ネズミならじっと同じところにはおらず、
動き回って糞をするが、見たところ糞がない」とのこと。

天井へ入る用意をして、再び業者が戻ってきました。
かなりの時間、天井を探し回っている様子でしたが、天井から「虫や」という声がしました。
見つかったところが狭いところで、手がとどかず、虫は捕まえられなかったが、
殺虫剤で殺しておいた、とのことでした。

写真を確認しても、黒いものが見えるだけで、虫の姿は分かりませんでした。
業者の話では、虫は十センチくらいの大きさで、動いているのが確認できたが、
何と言う虫かは捕らえられなかったので分からない、とのことでした。

とりあえず、それ以降ガリガリという音は聞こえなくなりました。
今夜はぐっすり寝られそうです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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