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前向き人間

それが良いか悪いか分かりませんが、私は徹底した前向き人間です。
ここで「前向き」とは後ろを振り向かないという意味です。
よく「あの頃に戻ってやり直したい」なんて言う人がありますが、
私にはあり得ない言葉です。
私にある言葉は「これからどうするか」です。

この歳になっても、「これから」のことしか考えません。
多分、死の間際になっても「あの世で何をするか」を考えていると思います。

済んでしまったこと、特に失敗したことを、いつまでもくよくよ思っている人がいますが、
済んでしまったことは、もう取り消すことはできないのですから、考えても仕方がないことです。
前を向いて進むしかないのです。

もちろん反省はします。
しかし、それは前へ進むための反省です。
同じ失敗をしないためには、どう前へ進めば良いかを考えます。


前へ進む、即ち何かに向かって進むということです。
その何かは当然自分の「ああしたい」「こうしたい」という希望です。
そして夢でもあります。

夢に向かって進む。
希望に向かって進む。
それが「生きる」ということではないでしょうか。

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ランキングの読み方

世の中、ランキングばやりですね。
何でもかんでもランキング付けして、騒いでいます。

「あそこのホテルがいいらしい」
「あのお店が美味しいらしい」
「今あの人が人気らしい」
「なんであんな奴が一位なのか分からん」
「あんなラーメン屋どこが美味いの?」

ランキングに振り回されて、流行に乗ろうとする人、
ランキングに憤慨して、抗議したり、無視したりする人、などいろいろです。

でも、こういうランキングの読み方は間違っていると思います。
ランキングというのは、いわば「どういう好みの人が多いか」その順位で、
「どれが優れているか」「どれが正しいか」ではないのです。

例えあなたが10位にランクされたホテルを選んだとしても、
それは間違いではありません。
あなたにとっては、そのホテルが1位なんですから、そのことには変わりはないのです。
そのホテルが1位にならなくても、それは単に少数派だっただけです。

ランキングに振り回されないように、自分の個性で選ぶのが、
結局、自分が満足できるのではないでしょうか。

スポーツはルールのある喧嘩

「スポーツはルールのある喧嘩」という言葉は、
北京オリンピックの柔道で金メダルを取った石井選手の言葉だそうです。

「スポーツ」の定義は、いろいろあるでしょうが、
「ルールのある喧嘩」というのは、単純明快でしかも当を得ていると思います。

いろいろ美しい言葉を並べて、もっともらしい定義するのではなく、
「喧嘩」と位置づけているところが素晴らしい。

人間の能力にはいろいろのものがありますが、
スポーツの中心の能力は体力ですね。

体力と体力がぶつかる典型が喧嘩ですね。
他にも戦争や狩猟などでも体力を使います。

原始時代に比べれば、戦争や狩猟で体力を使う機会は、
現代ではほとんどなくなりましたし、喧嘩というのもできれば避けたいものです。
そこでルールを作って安全にプレーできるようにしたのがスポーツだと思うのです。

まさにスポーツは「ルールのある喧嘩」ですね。

私の口癖

私の口癖の一つに「ええ傾向や」というのがあります。
何か事柄に変化があったとき「ええ傾向や」と言うわけですが、
常識的に判断して決して「良い」とは言えないときに言います。

例えば
釣りに行くのに天気予報が雨でも「ええ傾向や」、
買い物に出て、買うものを忘れても「ええ傾向や」、
娘が「太ってきた」と言っても「ええ傾向や」、
料理が少し辛めにできても「ええ傾向や」、

だいたい「ちょっと失敗したかな」というときによく言います。
まあ、どちらに転んでも大差はないようなときに
「これもまたありか」というくらいの意味に使います。

世の中、そうそう思い通りには行くものではないもので、
だからと言って、いちいち気をもんでいては心が持ちません。

少しくらい外れたときは、いい方向に変化している、かもと思うことにしています。
そしてそれが当たっていることもあるのです。
少し外れることで意外な発見をすることもあるのですから、
それを期待しての「ええ傾向や」なんです。

平和を守るために軍隊?

平和を守る仕事  自衛官募集

これは京都市の市バスに掛かっている広告です。
読んだ瞬間「いろいろ言い方もあるものだな」と思いましたが、
そこから様々な思いが巡ってきました。

平和を守るために軍隊を使う必要があるのか?。
軍隊を使うってことは戦争ではないのか?。
それは矛盾ではないのか?。など。

もし、他国が攻めてきたとき、軍隊を使わなかったらどうなるのか。
そんなことも考えてみました。

もちろん、軍隊を使わずに平和に解決なんてないでしょうから、
他国に占領されるかも知れません。
しかし、考えてみれば支配者(指導者)が代わるだけですよ。
一般国民はどれほど影響を受けるのでしょうね。
例えば会社の社長が代わったからと言って、一般社員はどうなるのでしょう。
あまり、変化はないでしょうね。

一般国民にとっては、戦争で混乱するか支配者(指導者)が代わって混乱するか、どちらが良いかですよ。
いったい軍隊って誰のためにあるのでしょうね。

凡人なりに、いろいろのことが巡ってきましたが、
皆さんはどう思われますか。

偽善について

「偽善」という言葉には、ずっと以前から疑問に思ってきたことがあるのです。

「善」の意味は、社会的に良いとされていること、だと思うのですが、
それでは「偽善」というのは、偽の社会的に良いとされていること、ということになります。
短く言えば「偽物の良いこと」ということになりますが、
「偽物の良いこと」って、いったいどういうものなのでしょうね。

社会的に良いとされることが、偽物か本物かなんて考える必要があるのでしょうか。
社会から見れば、それが偽物であれ本物であれ、良いことは良いことだと思うのです。

ところが「偽善」という言葉は、あまりいい意味には使われません。
「それは偽善だ」とか「偽善者面して」とか、非難される対象になります。


人間は社会的動物と言われますが、社会に対して働きかけことで生きています。
一般的な形としては、会社に勤めて報酬を貰って生活しています。
こうした形を偽善という人はいないでしょう。

それが報酬を貰わずに社会に奉仕したり、
報酬以上の奉仕をしたりすると、偽善と言われることが多くなってきます。
つまり、人間というのは欲張りで報酬も貰わずに奉仕するなんて人間本来の気持ちに反している、
したがって、それは偽りの奉仕だというわけです。
「偽善」という言葉は、こうしたところから生まれてきたものだと思います。

しかし、目に見える報酬でなくても、喜んでもらえるだけでもよい、という人もあり、
これは価値観の違いとみるべきで、偽善とするのは価値観の多様性を否定するものだと思います。
自分には理解できない価値観でも、ありがたく受け止めるべきではないでしょうか。

「正しい」を正しく使おう

いつの時代も若者の言葉というのは、分かりにくいものだったようですが、
それを憂う大人も、いつの時代にもいたようです。

しかし、言葉は生きもので、どんどん変化するものですから、
憂えているばかりでは、時代について行けないことになます。

私は、言葉は言いたい事が伝わればそれでいいと思っています。
だから、多少言葉遣いが変でも、言っていることが分かるのであれば気にしません。

言葉遣いが間違っているかどうかを議論する必要があるのは、
誤解を招く可能性のあるときだけでいいと思います。

例えば「正しい」という言葉の使い方です。
これはもう用法が定着している言葉ですが、
その用法についてはまだまだ議論が必要と思います。
 
「正しい」というのは言い方を変えれば「間違ってない」ということですが、
これを好みの問題である価値判断にも使われることがあります。
しかし、これは間違いです。

好みの問題というのは、「好き」とか「嫌い」とかの個人の感情であって、
それは「正しい」とか「間違い」とか言えるものではないのです。
同じことであっても、ある人は「好き」と言い、ある人は「嫌い」と言います。
しかし、どちらが「正しい」とも「間違い」とも言えません。

「正しい」というのは、
「1+1=2」とか「このコップは青い」などという事実判断に使われるものです。
それは絶対に「正しい」ものです。

しかし、価値判断の場合は、たとえ大部分の人が「好き」とか「良い」と判断するものでも、
それは絶対ではないのです。
それなのに「正しい」という言葉を使うと、「絶対に正しい」と誤解されてしまう危険があります。
ですから私は価値判断には「正しい」という言葉は使わない方が良いと思います。

こういう誤解を生むような言葉の使い方は、大いに議論していいと思います。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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