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犯罪の現場をなぜ隠さなければならないのか

テレビを見ていると、
よく顔などをモザイクで隠して報道されることがありますが、
私はこれがどう考えても納得ができないのです。

どんな法律があって、
どんな根拠でそうされているのかは分かりませんが、
そうしなければならない理由が見つかりません。

例えば、暴走行為をしている現場の映像でも、
飲酒運転の現場を撮影して映像でも、
その他、どんな悪いことをしている現場を捉えた映像でも、
とりあえず、事実を伝えているのであり、隠す理由はないはずです。

単車にしても乗用車にしても普通に運転している分にはモザイクはされません。
モザイクするかしないかの区別はどこにあるのでしょう。
悪いこと、つまり犯罪は隠さなければならないのでしょうか。
凡人の素朴な感覚では、それは考えられない理由です。

どなたか教えていただけますか。その理由・・・。



                    この記事は2007/9/10に書いたものを再投稿したものです。

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成功物語は役に立つか

8月26日付京都新聞の「凡語」というコラムに、
世界陸上のマラソンについて、こんな一文があった。

「増田明美さんによると、尾方選手は日常、エアコンを使わず、
暑さに慣れるように心がける。」
これに対し、
「かつての名ランナー谷口浩美さんは、寝苦しい夜はエアコンを使い、
よく眠って疲労をためないことが大切という。」

私はここでどちらが良いかを論ずるつもりはありません。
有名人の成功物語に類する本が万と出版されていますが、
さしづめこの話を本にするとすれば、
「エアコンを使わずに名マラソンランナーになった」と
「エアコンを使って名マラソンランナーになった」と
二つの矛盾する異なった本が出来上がります。

成功した人というのは、それなりの努力というのもされているとは思いますが、
案外、思い込みで突っ走るようなところがあるのではないでしょうか。

私はこの種の書物にはほとんど興味がないのですが、
その理由は、偶然や運がかなり左右していて、
「こうしたからこうなった」とは言えないことが多いのではないかと思うからです。
そのいい例が上の新聞のコラムです。



                    この記事は2007/8/28に書いたものを再投稿したものです。

そんなに自分を責めないで

知らない間に他人を傷つけること、あるものです。
また逆に、他人から傷つけられ、
相手は一向にそれを知らない、なんてこともあります。

みんな同じような経験があると思います。
お互い様です。

誰にも迷惑を掛けないで生きることはできません。
完璧な人間ではないのですから。

知らない間に他人を傷つけていたとしても、
そんなに自分を責めないでください。

あなたを傷つけたことに気付いていない人を許してあげればいいのです。
それでプラスマイナスはゼロになります。
帳尻は合います。



                    この記事は2007/8/23に書いたものを再投稿したものです。

だまされてはいけない

有名なタレントさんが書かれた詩を紹介しましょう。

  人は何か一つくらい誇れるものを持っている
  何でもいい、それをみつけなさい
  勉強がだめだったら、運動がある
  両方がだめだったら、君には優しさがある
  夢を持て、目的をもて、やればできる

  こんな言葉にだまされるな。何も無くていいんだ
  人は生まれてきて、生きて、死ぬ
  それだけでたいしたものだ

格好いいですね。凡人にはなかなか書けない詩です。
前段の詩は、どなたかが書かれた詩を引用されたのでしょうか、
どちらにしても、前段のような詩を書ける人は、
若さに溢れた元気な人だと思います。
後段はタレントさん自身の気持ちが書かれているところです。
「だまされるな」という言葉で、前段の詩を否定しています。

年老いた人、病気の人、体の不自由な人など、
世界にはたくさんの弱い立場の人がいます。
そうした人達は「やればできる」と言われてもできないものです。
このタレントさんは、こうした弱い人達への応援歌として
この詩を書かれたのでしょう。
しかし、その格好良さゆえに、
前段のような考えまでも否定しているように見えます。

しかし、
夢を持って、目的を持って、やればできると思って頑張ることは
決して悪いことではありません。
どんな障害があっても夢を持つというのは、生きる糧になると思います。
どんな夢を持つかはそれぞれの自由ですが、
「生きて死ぬ、それだけでいい」というのでは、生き生きとは生きられないのではないでしょうか。

だまされてはいけません。



                この記事は2005.9.23.に投稿のものを訂正して再投稿したものです。

神も仏も同じもの2

以前に「神も仏も同じもの」という記事を書きましたが、
そのときに寄せられたご意見などを参考に、
反対意見の典型的な形を考えてみました。

それは、神というのは天地を創ったこの世界の創造主であるのに対して、
仏は人間が例えば死んだときに成るもので、
この二つは似ても似つかないものという印象です。
同じものであるのにどうしてこういうことになるのでしょうか。


神も仏も一人ひとりの心の中にあるもので、
私たち人間を見守っているものです。
そこからどうして「世界の創造主」や「死人の成るもの」になるのでしょうか。

先の「神も仏も同じもの」でも説明しましたが、
やはり見えない神や仏を説明するときの説明の仕方にあると思います。


「人間を見守る」というのは単に見ているだけではありません。
親が子供を見るような目で見ているのです。
子供のころ、親は何でも叶えてくれる大きな存在でした。
親は何でもできる力を持っており、世界の中で一番頼りになる存在でした。

そこから神は世界を創造した者でなければならない、という考えが生まれたものと思われます。
それでは仏はなぜ世界の創造主にはならなかったのでしょう。
それはおそらく他の教義との関係で、その必要性がなかったからだと思います。


仏教ではなぜ死んだら仏になるのでしょう。
私は「神も仏も一人ひとりの心の中にある」といいましたが、
もう一つ心の中にあるのは欲望です。

死んだら人間の欲望は消えてなくなります。
そして神や仏だけが残るのです。
それを仏教では「仏になる」と表現するのです。
キリスト教では「神に召される」といいます。
どちらも同じことを言っているのだと思います。



                    この記事は2007/7/28に書いたものを再投稿したものです。

悪の心理

この際、何をもって「悪」とするかが問題になりますが、
とりあえずは「故意(積極的)に法律を犯す行為」とでもしておきましょうか。


私たち人間には欲望があります。
食欲・性欲・名誉欲が三大欲望と言われますが、

食欲はお金があれば何とか満たすことはできます。
ですから何らかの理由でお金がなくなれば、物を盗むなどの法律を犯します。

性欲もお金で何とかなる部分もありますが、
相手がいなければ満たすことはできません。
ですから特に若い人などは、法律を犯してでも欲を満たそうとします。

名誉欲もお金で買えることもあり、
本来の手段ではなく、お金で地位を買い取るという、法律を犯すこともあります。

欲望が満たされなければ、誰でも法律を犯すかと言えば、そうではありません。
たいていは切羽詰った状態になる前に、何らかの対策を立てるか、
そうでなければ諦めるかして、法律を犯さないようにします。
法律を犯す人と犯さない人、その差はどこにあるのでしょう。

私は思うのですが、プライドが高いか低いか、
もっと言い方を変えれば、世間体を気にするかしないかが関係しているように思います。
つまり、切羽詰った状態のときに、
法律を犯すような恥ずかしいことはできないと思うかどうかの差だ思います。


法律を犯すことを恥ずかしいと思わない極端な例に、
「悪は人間本来の姿」という考え方があります。
確かに、人間は欲望を満たさなければ生きてゆけません。
心の奥を覗けば、その欲深さがわかります。
善行を施すことが人間のあるべき姿、などというのはウソで、偽善にすぎないという訳です。
自分の気持ちに正直に行動すれば、悪を生きることになるということでしょうか。



自分に正直に生きるな」を参照ください。




                    この記事は2007/7/24に書いたものを再投稿したものです。

理想について

「理想」を旗印にする人は、最近は見かけなくなりましたね。
「正義」という言葉も同じような状況にあります。

どうしてそうなのか考えてみましたが、いくつか理由はあると思います。
1、価値観が多様化して、どれが理想なのかの判断がしにくくなったこと、
2、国民の大部分の生活が向上し、治安も良くなって「正義の味方」の登場する場面がなくなったこと、
などでしょうか。
「理想」とか「正義」という言葉を使うことすら気恥ずかしい思いがします。

もう一つよく言われるのは「現実は理想どおりには行かない」という言葉です。
こういうことを言う人は「だから理想を追い求めるのは無駄だ」と続けます。
しかし、私はそうは思いません。
少しでも良くするために理想を追求するのは悪いことではありません。

問題なのは、理想とする姿を追い求めるあまり、
その理想に届かない人たちを排除してしまうところです。
極端な話「それが分からない、それが出来ないやつは人間じゃない」という訳です。

理想を追求するということは、理想に到達しない人を排除することではないと思います。
理想に到達しない人たちも一緒に理想に引き上げることです。
だから、そういう人たちの価値観や心理を研究し、
現実の不都合な部分を改善することも大切です。

ところが、理想を追求する人の多くは、現実を見ることは現実を容認ことになるというのです。
繰り返しますが、理想に届かない人たちを排除することはできません。
みんな一緒に進まなければならないのです。



                    この記事は2007/7/12に書いたものを再投稿したものです。

体と心

心というのは脳の中にあって、体とは直接関係が無いと思いがちですが、
案外、体とも深い関係があるものです。
お腹が空くという体の状態が、ご飯が食べたいという心の状態を引き起こします。

血液型でも性格に傾向があるようですが、
血液型というのは体の状態ですが、それが性格という心の状態に関係しているのです。

体つきや顔つきでも、ある程度性格が分かりますね。
自分に合った性格の人かどうか、一目で分かりますね。
恋人同士や夫婦が顔が似ているのもうなずけます。

自分の体質と性格が似ていると思ったことはありませんか。
具体的にはちょっと書き辛いので止めますが、
こう考えてくると、体と心は密接に関係しているように思えます。
以前に、性格を決定しているものに血液型以外に幾つかの要素があり、
その組み合わせで性格が決るのではないか、と書いたこともありました。

私たちは体とは別に心は自由であると思っています。
しかし、案外体の状態に左右されているのかもしれません。



                     この記事は2007/7/3に書いたものを再投稿したものです。

褒めるか叱るか

親が子供を育てるとき、上司が部下を指導するとき、先生が生徒を教えるとき、
褒めた方がよいのか、叱った方がよいのかの問題です。

一般的には褒めた方がよいとされていますが、
ものの本によると、スポーツの指導者などの話では、
それは逆で、褒めたときは結果は悪いことが多く、
むしろ叱ったときの方が褒めたときより結果がよいことが多いそうです。

それには実はカラクリがあるのです。
褒められるときというのは、結果がかなり良かったときです。
ですから、次も結果が良くなければ、褒めたことが良かったことにはなりません。
つまり、褒めたことが良かったと言えるためには、良い成績を続けなければなりません。

それとは逆に、叱るときは結果が悪かったときです。
ですから、次は結果が良ければ、叱ったことが良かったことになります。

褒めるときというのは、かなり成績が良かったときになりますが、
かなり良い成績を取り続けるというのは、確率的には低くなります。
それが続けてあるというのは、なおさら確率は低くなります。
ですからスポーツなどでは褒められて結果が良くなることは少ないのです。


褒められる効果は、褒められることによって、自分に自信ができ、結果につながることです。
叱られる効果は、まだまだ努力が必要であることを自覚でき、精進できることです。
どちらが良いかは、指導を受ける側の性格(血液型)によると私は思います。

私はA型人間ですので、褒められることの方がよいのですが、
聞いた話では、B型の人は褒められると「これでよいのだ」と思って努力をしなくなり、
叱られた方が「頑張らなければ」と努力するというのです。
たまたま聞いた人がそうだったのかどうか、自信がないのですが、
B型の方のご意見が聞きたいですね。



                     この記事は2007/7/1に書いたものを再投稿したものです。

正常と異常の境目

ちょっと前になりますが、舟で海に出ていて、エンジンが故障し、
戻れなくなって漂流した人がありました。
その人は、自分の小便を飲んで生き延びたということです。

日常の普通の生活で、自分の小便を飲んでは異常ですが、
飲む水がなくなっては、小便を飲んでも正常になります。
こう考えてみると、正常と異常の境目はなく、状況によって正常にも異常にもなるようです。

私たちは得てして自分を基準に物事を考えがちです。
自分ならあんなことはしない。あんなことをする人は異常だ、と思ってしまいます。
しかし、その人の立場で考えると、案外それが正常だったりするものです。

その人の立場に立つ。実はこれがかなり難しいのです。
人間を型にはめて「こうでなければならない」などと言っていてはできないことです。
「もしそれが正常なら、どういう可能性があるか」を考えることです。
「それが正常でなければならない」と考えてみることです。
そうすれば、その人の立場に立つことができてきます。

赤ちゃんポストの設置について、賛否の議論があります。
「子供を捨てるなんてもってのほか」と頭から否定する方がありますが、
それでは事の本質を見誤ってしまいます。

もっとも、赤ちゃんポストの設置の賛否と、
子供を捨てる親の心理を理解できるかどうかは別の問題ですがね。



                    この記事は2007/6/23に書いたものを再投稿したものです。

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極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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