FC2ブログ

もともと悪い人間はいない

テレビの報道番組などで容疑者の過去を追跡することがあります。
取材した結果、犯罪を犯すような人物像が見えてこなかったとき、
「ここではまやかしの過去を過ごしたのでしょうか」などと、
あたかもその容疑者は、もともと悪人であったかのように、
悪い点が見つからないと、「まやかしだ」などと報道するのです。

もともと悪い人間なんていません。
だれでも生まれたときは純真な心を持っていたのです。
それが成長の過程で、運悪く道をはずしてしまう人も出てくるのです。

このテレビ関係者は、たまたま運よく罪を犯すような状況に遭遇しなかっただけです。
人間誰でも状況によっては犯罪を犯す可能性を持っています。
その人にどういう運が回ってくるかわかりません。

それなのに容疑者はもともと悪人であったかのような報道は、
マスコミとしては、してはいけないことではないでしょうか。



                    この記事は2007/1/28に書いたものを再投稿したものです。

スポンサーサイト

女(男)らしさ

ちょっと前にはまだ女性解放運動というようなものがありました。
今でもそういう運動はあるのでしょうが、あまり聞かなくなりました。
それもその筈です。最近の女性は強くなりましたね。
その分、男性が弱くなってしまいました。

女性解放運動(こういう名称かどうかは知りませんが)というのは、
男性に比べて女性は低く扱われて差別されているので、解放しようというものです。
その原因は、小さいときから女性は女性として、そのように躾けられ教えられているからで、
女性自身も「女なんだ」という意識を自然に身につけてしまっているというのです。

しかし、どうでしょう。最近話題の性同一障害の人などは、
生まれたときから男として扱われ、着るものから何から何まで男として育てられても、
「自分は女だ」という意識がなくならないのです。

私は思うのですが、人間には女と男の二種類があって、
女は女らしく、男は男らしく生まれ付いていると思います。
女は女としての役割があり、男は男としての役割があると思うのです。

この世の中、女も男も区別がなくなったら寂しくありませんか。
この世の中、女と男がいて楽しいのですよ。



                    この記事は2007/1/18に書いたものを再投稿したものです。

容疑者の性格

最近いろいろの事件が相次いでいますが、
マスコミは事件の背景を探る目的として、容疑者の性格まで探り、
それがあたかも悪い性格であるかのように報道します。

誰だって悪いところはあるものです。
性格なんて、悪く言えばいくらでも悪く言えるものです。
しかし、見方を変えればそれは良い性格でもあるのです。

その性格だから罪をおかしたのではないのです。
たまたま容疑者に悪いことが巡ってきただけです。
人間は誰でも機会があれば罪を犯す可能性を持っています。

マスコミが事件を報道するのはいいのですが、
容疑者の性格にまで立ち入って、それをどうこう言うのは間違いです。
どう思われますか。



                    この記事は2007/1/16に書いたものを再投稿したものです。

「同じ」ということの意味

「これとこれは同じものだ」というような言い方をしますが、
「別のもの」二つを「同じもの」と言うのは矛盾していますね。
別のものなんだから違うものというのが常識なのに、なぜ同じものなのか、
その「同じもの」という理由というか、その意味はどこにあるのでしょう。

二つのものの姿・形が同じだから「同じもの」なのでしょうか。
赤いノート、黄色いノート、大きいノート、小さいノート、分厚いノート、薄いノート、
姿・形は違いますが、同じノートですね。
ものを書き留めるという機能が同じだから「同じもの」なのでしょうか。

国語のノートと算数のノート、赤いノートと黄色いノート、
同じノートでもありますが、違うノートでもありますね。
赤い色と黄色い色は違う色ですらかね。
同じものでもありながら、同じものではないのです。

私たちはものを見るとき、たえず他のものと比較しながら見ています。
赤いノートは黄色いノートと比較してみているから違うものなのです。
それでは赤いノートも黄色いノートも同じノートと見るときどうなのでしょう。
それはノートと違うもの、例えば本と比較しているから、
赤いノートも黄色いノートも同じノートなのです。



                    この記事は2007/1/12に書いたものを再投稿したものです。

理想と現実

何事も理想とされる形に収まる事が望ましい。
例えば自然保護にしても、自然をそのままの形で人間が立ち入らないで保護できることが望ましい。
それが理想的な形です。

しかし、シカやサルが増えすぎたときも、理想主義者は保護を訴えます。
どんなに人間に被害が及んでも「自然を破壊した人間が悪い」と言います。

自然破壊は何のためになされたのでしょうか。
道路を造る為、住宅地を造る為、スキー場を造る為、その他人間に必要なものを造る為です。
それが現実です。

おそらく理想主義者は「道路も住宅もレジャー施設もいらない」と言うでしょう。
しかし、一方で道路も住宅もレジャー施設も欲しいという人がいるのです。
人間社会は、こうしたいろいろの価値観の人が共同生活しているのです。

それでも理想主義者は「望ましい形を目指してどこが悪い」と言うでしょう。
しかし、道路ができて便利になるのも「望ましい」と思う、そういう価値観の人もいるのも確かです。
社会という単位で人間を見たとき、ある特定の価値観だけで判断することの困難さが見えてきます。

シカが増えて困っているなら、そういう困っている人の意見にも耳を傾け、
道路が必要というなら、そういう意見にも耳を傾ける寛容さが必要です。
そうすることで、自然保護の必要性にも耳を傾けてもらえるのではないでしょうか。

対立関係からは、いい結果は生まれないと思います。



                     この記事は2007/1/9に書いたものを再投稿したものです。

仲直り(部落差別に思うこと)

喧嘩をして仲直りするとき、喧嘩の原因を突き止めて、
その原因を取り除いたり、どちらが悪いから謝りなさいなどと仲裁するのも大切ですが、
本当の意味の仲直りは、お互いが間違いを許し合うことだと思います。

部落差別の問題は、かつてはその原因を取り除き、間違いを正すことに力を注がれて来ましたが、
今は本当の意味の仲直りの時期だと思います。
しかし、京都や大阪や奈良の公務員の事件にもみられるように、
現在もなお、旧態然とした解放運動がなされているようです。

私はこの記事を書くのを、かなり躊躇しました。
それは変な事を書いて、糾弾でもされはしないかという恐怖感があったからです。
こういう恐怖感を抱かせること自体、現在の解放運動が間違っていることを示しています。
こういう恐怖感を抱かせたままで、本当の仲直りはありません。

これから仲直りをしようという時に、
相手のちょっとした間違いの揚げ足を取るような事をして、仲直りができるわけがありません。
少しくらいの間違いは許してこそ「良い人だ」と思われるのではないでしょうか。

ご意見をお寄せください。



                    この記事は2006/12/6に書いたものを再投稿したものです。

凡人の条件

「凡人」を辞書で引くと「普通の人」とありますが、
私はもっと厳密に規定して、そうありたいと願っています。

①、知識が乏しいこと、
②、プライドを持たないこと、
③、貧乏であること、
④、素朴であること、
⑤、難しい言葉は使わないこと、

以上5点を凡人の条件として規定し、ブログをしています。
時にははみ出すこともありますが、ちょっとした間違いです。



                    この記事は2006/12/1に書いたものを再投稿したものです。

死後の世界を知る方法

「死後の世界」という記事のなかで、この世界は欲を通して見ている世界だ、と言いました。
この世界で生きるということは、欲をもって生きるということです。
「死にたくない」という欲があるから生きるのであり、
食欲があるから死なないのであり、性欲があるから子孫が絶えないのです。

欲がなくなったら生きては行けません。
欲がなくなるということは、死を意味します。
ということは、死後の世界を知りたければ、欲を無くせばよいと言う事になります。

多くの宗教は禁欲生活を奨励します。
その他にも、欲を取るために修行をしたりもします。
それは死後の世界を知るためというよりは、平安を求めているのです。
すべての苦の原因は欲にあるとして、欲を取り去った先にある平安を求めているのです。

死ねば欲はなくなりますが、生きていながら欲を取り去ることなど可能なのでしょうか。
それが可能なようなのです。仏教などで言う「悟り」がそれです。
この「悟り」生きていながら死の世界を体験するものです。
この世界が相対的真理世界であるのに対して、そこは絶対真理の世界です。
そして喜びに満ちた世界なのです。

それでは欲を取り去る方法を具体的に説明したいとおもいますが、
また稿を改めて記事にしたいと思います。



                    この記事は2006/11/19に書いたものを再投稿したものです。

死後の世界

人間が死んだ後の世界はどんなものなのか誰しも関心はあると思います。
死んだらまた誰かに生まれ変わるとか、他の動物に生まれ変わるとか、
悪い事をしたものは地獄に落ちるとか、良い事をしたものは天国に行けるなど、
いろいろの事が言われていますが、実際はどうなんでしょうね。

この世界は、人間の欲望の目を通して見ているため、
良いものであったり悪いものであったり、怖いものであったり楽しいものであったり、
悲しいものであったり、美しいものであったりするのですが、

死ぬということは、欲望は消えてなくなります。
当然ながら死後の世界は全く違ったものになります。
この世界では良いと思っていたものも良くなくなり、悪いと思っていたものも悪くなくなります。
美しいものと美しくなくなり、醜いものも醜くなくなります。
この世界では死ぬ事は怖いことでしたが、死後の世界では怖くなくなります。

欲望の覆いを取り去ったときに見えてくる世界、それが死後の世界です。
それは真理の世界だと言われています。
それは喜びに満ちた世界だと言われています。

どうしてそれが分かるか、とのご質問ですか。
それは稿を改めて書くことにします。



                    この記事は2006/11/15に書いたものを再投稿したものです。

これでいいのか栄養価の番組

テレビで食品の栄養価について取り上げることがよくありますね。
そういうコーナーがあったり、それ自体が番組の主題であったりで、
とりあえず、「老化防止の食品」とか「ダイエットに効く食品」とか「何々病によい食品」とか、
そして「どれくらい摂取するのか」とか「効果的な摂取法」とか、
いろいろその栄養素の説明をしてくれます。

それを見た視聴者は、早速その食品を買いに走り、飽きるまで食べ続けるのです。
いったい、これでいいのでしょうか。

いろいろの番組でいろいろの食品が取り上げられていますが、
そればかり取り続けたらどうなるか、その害についてはほとんど説明されません。
それから、他の栄養素とのバランスについても、ほとんど説明されません。

あれはいい、これはいい、これもいいで、すべて食べようとしたら大変な量になってしまいます。
適量をバランスよく摂取することを中心に番組を組み立ててほしいものです。



                    この記事は2006/11/10に書いたものを再投稿したものです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ