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自分の持分(個性)を探そう

こんなに一生懸命努力しているのに一向に報われない、と嘆くことありませんか。
努力をすれば報われる、と思って辛い事を我慢していませんか。
努力は報われるとは限りません。努力は報われると思ってするものではありません。
努力そのものが楽しみでなければなりません。

漁することが楽しみ、野菜作りが楽しみ、コンピュータを操作するのが楽しみ、
運転するのが楽しみ、人と会話するのが楽しみ、料理するのが楽しみ、
その他、いろいろの楽しみがあるはずです。

つまり、自分の個性に合ったことをしていれば、それは楽しみになります。
そのこと自体が楽しいのであり、我慢して努力したご褒美(報酬)などはいらないのです。

もし今、苦労して努力していることがあったら、それは何かが間違っています。
人間には天から与えられた個性というものがあります。
この世界のどこかに与えられた自分の持分というのがあるはずです。
その持分を探しましょう。



                    この記事は2006/8/10に書いたものを再投稿したものです。

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コンピュータと人間の脳の違い

次の問題の答えは分かるでしょうか。

 牛をつなぐロープの長さは3mあります。
 ロープをつなぐ杭から6mの範囲の草が食べられていました。
 牛はどうして6mの範囲の草を食べられたのでしょうか。

答えは分かりましたでしょうか。答えは牛はロープにつながれていなかったからです。

人間は状況判断するとき、与えられた情報だけではなく、不足している部分は補って判断します。
上の問題の例では、牛はロープにつながれているという情報は無かったのですが、
状況から牛はつながれていると、誤って補ってしまったために、答えがすぐには分からなかったのです。

その点、コンピュータはそのような勝手な判断はしないので、
即座に、「牛は口で食べた」とか「複数の牛が食べた」とか「歩いて食べた」とか、
いろいろの答えを出す事でしょう。

それではコンピュータの方が人間の脳より優れているかというと、そうでもないのです。
パソコンを操作していて、いらいらすることはありませんか。
なかなか思うように進まない。やっと原因が分かったら、一つ操作を忘れていたなどという事ありませんか。

人間に頼むのであれば「そんなこと常識で言わなくても分かる」ことが、
コンピュータはいちいち指示してやらないと動かないのです。
そうなんです。コンピュータには常識というものがないのです。

人間には常識というのがあって、その常識で情報の不足分を補います。
だから時には上のような間違いも起こしますが、これはコンピュータにはない重要な機能なんです。
まだまだ人間も捨てたものではありませんね。



                     この記事は2006/8/8に書いたものを再投稿したものです。

他人のせいにしている間は進歩しない

物事が上手く進まないとき、他人のせいにしたくなりますね。
「もう少し彼がしっかりしていたら」とか、
「社長にはもう少しリーダーシップを発揮してもらわないと」などと、
誰かがもう少し何とかしてくれたらと、いつも思っていませんか。

他人がしっかりしていてくれれば、助かりますが、
上手く行かないことを他人のせいにしていては、自分の進歩はありません。

しっかりしていない彼を、しっかりさせるためには、自分はなにができるか、
リーダーシップに乏しい社長を補佐するには、どうしたらよいか、
それらをすることは、そう簡単とはおもいませんが、
もし、自分にできるようになれば、それは大変な能力を得る事になります。
たとえそれがてきなくても、それを考えた過程に得られるものもあり、
自分の能力を知ることもできます。そこから他人を知ることもあるでしょう。

このように、他人のせいにはせずに、自分にできることはないかを考えていくと、
自分自身の進歩につながると思います。
一度試しにやってみてはどうでしょうか。



                     この記事は2006/8/5に書いたものを再投稿したものです。

民事不介入というが?

警察というのは刑事事件を扱うところで、
民事には介入しないという原則があります。
民事とは、人と人との法律関係をいうようですが、
行き着くところは、損得勘定で、
損害賠償しなければならないかどうか、に関わることです。

警察は民事不介入を理由に、例えば交通事故の状況の説明などを拒否します。
しかし、事故の状況というのは、純粋に物理現象で、
そこには良い悪いなどというような損害賠償に関わるような判断は含まれていません。
それを悪いと判断し、賠償責任があると判断するのは、それから後のことです。

よって事故の状況の説明はしても、民事に介入したことにはならないと思います。
交通事故やその他事件など、ただちに現場へ駆けつけて、現場検証をするなど、
一番よく状況を知っているのは警察であり、
民事の処理が正確にスムーズに進めるためにも、
警察は、もっと積極的に状況の説明をしてもよいように思います。
みなさんは、どう思われますか。



                    この記事は2006/7/31に書いたものを再投稿したものです。

思っただけでは罪にならないが

人を「殺したい」と思っただけでは、罪にはなりません。
第三者から見れば、何も起こっていないのですから、罰せられる事はありません。

人間誰しも、してしまったら罪になるようなことを考えることがありますが、
宗教的理由などから、考える事も罪になると思っている人もあるようです。
そして、そうした事を考えるようなことをしないように努めている人もあるようです。
しかし、それは無駄な努力と、私は思います。

人間には欲望があって、それを取り去る事はできません。
取り去る事は死を意味します。
欲望と共に生きるしかないのです。であれば、
罪になるようなことを考えなければ生きられない自分を自覚するしかないのです。

最近、とみに凶悪な犯罪が増えてきています。
そうした犯罪者をみるとき、別種の人間をみるような目で見てしまいますが、
実は同じ種類の人間が自分の中にもあることが分かります。

簡単に書きましたが、ここまで自覚できるにはかなりの努力が必要なのです。
たいていの人は「あれは別種の人間」と思って他人事のように思っているはずです。
そういう人にとっては、こんなことを言う私は軽蔑する対象になるでしょう。

しかし、そこまで自覚できたら、すべてのものが違ったものに見えてきます。
社会を見る目、人間を見る目が変わってきます。
価値観が変わってくると言った方が良いかもしれません。
真実の姿が見えてきます。



                この記事は2006/7/26に書いたものを加筆して再投稿したものです。

こころ

こころは寂しがり屋で、ひとりが苦手です。
ひとりになると、ものごとを悪く考えてしまいます。
だからこころには仲間が必要なのです。

他人のこころは見えません。
他人のこころは言葉として表され、その言葉でこころを読み取ります。
だから、自分を知ってほしいのであれば、言葉で表す必要があります。

黙っていたために誤解されたことありませんか。
黙っていなくてもぞんざいな言葉で誤解されたことありませんか。
だから丁寧に言葉でこころを表現したいですね。



                    この記事は2006/7/22に書いたものを再投稿したものです。

自立と依存

親が子供を育てるということは、
親の手を借りなくても良いように自立させるということです。
それは当たり前のことですし、誰でも簡単に分かる事と思います。
だから「自立させれば良い」という事だけを考えて、
できるだけ自分でさせて手を掛けないようにする親がいます。

手を掛けないで育てるということは、子供と接触する機会が少なくなるということです。
子供と親の接触というのは、無駄なように見えても非常に重要な役割を果たしています。
子供と接触するときには言葉を使いますので、言葉の発達には欠かせませんし、
何よりも社会生活に欠かせない人間同士のつながり、心のつながりを学ぶ場です。

子供が成長するためには、どうしても通過しなければならない過程があります。
詳しいことは発達心理学にお任せしますが、
子供は親に依存して成長するのです。
何か自立させるのに矛盾しているように見えますが、心身の発達には依存というのは必要なのです。

そして、ある時点まで発達すれば自然に自我が芽生えてきて、
親が手元に置いておきたいと思っても、自然に巣立っていくものです。



                    この記事は2006/7/20に書いたものを再投稿したものです。

人類は果たして進歩しているのか、パート2

今日、科学技術は発展し、
人間はたいした努力もしなくても生きて行けるようになりました。
結果、人間はだんだん怠け者になって、
できるだけ手をかけないで済ませる方法を考えます。

子育てにしてもそうです。できるだけ簡単に済ませようとします。
ところが生身の人間は原始の姿のままで生まれてくるのです。
順を追って育ててゆかなければなりません。
「簡単に」と考えるクセのついた人間には、
それができなくなってきます。育児放棄です。時にはわが子を殺してしまいます。

そこまでにはならないにしても、お金に任せた手抜きの子育てになってしまいます。
そうして育てられた子供も、また、お金でしか物事が考えられない人間になります。

科学技術の発展は、人類に楽に生きる方法を教えてくれました。
果たしてこれは人類の進歩なのでしょうか。
思い通りにならないと、すぐにキレてしまう若者が増えています。
楽に簡単に済ませるように生きてきた(育てられた)人間は、
我慢するという習性(遺伝子)を失っているのではないでしょうか。



                    この記事は2006/7/17に書いたものを再投稿したものです。

理論と現実

理論と現実、ひらったく言えば理屈と実際ということです。
ゼノンのパラドックスと言うのをご存知と思います。

ある人が目的地に到達するためには、まず目的地までの中間地点を通過する必要があります。
その中間地点を通過しても、そこから目的地までの中間地点は設定できます。
だからそこも通過しなければなりません。
同様に考えてゆくと通過する必要のある地点は無限に存在することになり、
目的地には到達できないことになります。

なぜこのようなパラドックスが起きるのか、凡人の私には分かりませんが、
凡人の私にも分かっていることは、実際は目的地にたどり着けるということです。
理論=理屈だけで考えると、このような誤った判断を下す可能性があります。

人間は原子よりは大きいが惑星より小さい大きさです。
その範囲で分かる世界に生活しています。
理屈で物事を考えるにも、この範囲を超えることはなかなかできないのです。

哲学と言えば、机の前に座って腕組みして考えるというイメージがありますが、
そのようにして組み立てられた理論が、現実と合致しているとは限らないのです。
そこに哲学の限界があります。



                    この記事は2006/7/15に書いたものを再投稿したものです。

個性によるアドバイスの違い

世の中にはいろいろの個性の人がいます。
叱られた方が仕事ができる人、褒めてもらった方が仕事ができる人、
当然のことですが、アドバイスの仕方は違ってきます。
アドバイスを間違えると、全く逆効果になります。

ブログでも同じ事が言えます。
私は「自分に正直にいきるな」という記事と、
「そのままの自分でいい」という記事を書いていますが、
これは全く逆のことを言っています。

「自分に正直にいきるな」では、自分の気持ちをそのまま行動に移してはいけないと言っていますが、
「そのままの自分でいい」では、自分の気持ちをそのまま肯定するように言っています。
全く逆のことを言っています。
しかし、言っている対象は全く異なる個性の人なのです。

「自分に正直に生きるな」は、我がままで自分に正直であれば何でも正しいと勘違いしている人に、
「そのままの自分でいい」は、人に気を使ってばかりで、対人関係に悩んでいる人に、
それぞれ書いたものですが、受けとる人によっては逆効果にもなります。

だからこうした記事を書くときには、その対象を明記するのが良いと思います。
記事の効果を上げるために、レトリックに表現することもありますが、
逆に言えば、対象を間違えれば、無責任な発言と受け取られてしまいます。
こういう場合はなお注意が必要です。



                    この記事は2006/8/19に書いたものを再投稿したものです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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