FC2ブログ

「相殺」は「ソウサツ」と読む

「相殺」という単語を辞書で引くと、読みは「ソウサイ」とあります。
しかし、現実には「ソウサツ」と読む人もかなりいます。
辞書には「ソウサツと読むのは間違い」とわざわざ書いてあるものがありますが、
それだけ「ソウサツ」と読む人が多いということです。

実際にデータを取ったわけではありませんが、
「ソウサイ」と読む人と「ソウサツ」と読む人の割合は五分五分です。
私は話相手がどちらを使うかによって、使い分けています。
それでも話を進めてゆく上で何の支障もありません。
お互いに意味は通じ合っています。

言葉というのは、お互いが通じ合えば、それでよいもので、
どう読むかは二次的な問題です。
「相殺」を「ソウサツ」と読んでも、意味が通じ合えば、
それでよいと思います。

「相殺」を「ソウサイ」とも「ソウサツ」とも読む、としてもよいのではないでしょうか。
二つ以上読みのある単語はいくつもあります。



                    この記事は2005/9/9に投稿したものを再投稿したものです。

スポンサーサイト

「本音」って何?

「本音で話そう」などとよく言いますが、「本音」って何でしょう。
何かに対して思う気持ちは、一つとは限らないと思うのです。
むしろ複数の気持ちを持つことの方が多いと思います。

例えば、子供がお菓子を持っていて、友達の子供に「お菓子、欲しい」と言われたとします。
お菓子を持っている子供は「お菓子が減る」とも思いますが、
「友達だし、お菓子、あげたい」とも思うと思います。
そして両方を天秤にかけて重い方を行動に移します。

別の例をあげましょう。
一生のうちには「あんなやつ殺してやりたい」と思うようなこともあると思いますが、
「殺したら警察に捕まる」と思って、たいていの人は殺すようなことはしません。
天秤にかけたら、捕まりたくないと判断したのでしょう。

よくある例で言えば、
人と話をしていて、相手の話に「同意できない」ときなどでも、
「相手と仲違いしたくない」と思って、相手の話に合わせることがあります。
やはり天秤にかけて、仲違いしない方を選んだのでしょう。

これら三つの例の「 」で囲った気持ちの、どれが本音でしょうか。
私は、天秤をかけて重い方、行動に移した方が本音だと思いたいのですが、
一般的にはそうでもなさそうですね。
一つ目の例では「お菓子が減る」、二つ目では「殺してやりたい」、三つ目では「同意できない」が本音とされます。
「本音」って何なんでしょうか。



                   この記事は2005/8/30に投稿したものを再投稿したものです。

太陽が地球の周りを回ってる

朝、目が覚めると東側の窓に太陽が見えます。
そして夕方には西の山に太陽が入ります。
どう考えたって太陽が私(地球)の周りを回っています。

なのに、どうして地球が太陽の周りを回っていると教わるのでしょうか。
偉い人の説明では、「その方が宇宙の仕組みを単純に説明できるから」といいます。

それでは朝の「太陽が昇る」現象はどうでしょうか。
「地球の自分がいる面が太陽に方に向いた」とでも説明すれはよいのでしょうか。
「太陽が昇る」とどちらが単純に説明できているでしょうか。
一目瞭然です。「太陽が昇る」の方が単純ですぐに分かります。
「地球の自分がいる面が太陽の方に向いた」では何のことやらすぐには理解できません。
だから太陽が地球の周りを回っているのです

これはいわゆる天動説か地動説のどちらを取るかの話ですが、
天動説も地動説もある視点からみればどちらも正しいのです。
視点が異なれば、正しいものも変わってきます。
私のような凡人は、まだ天動説の世界で生活しています。

地動説は宇宙に視点を置いた説明で、
天動説は日常生活に視点を置いた説明です。
そしてどちらも正しいのです。


                   この記事は2005/8/24に投稿したものを再投稿したものです。

「理性」という心はない

よく「理性で判断する」などと言いますが、
この理性というのはどんな心の状態なのでしょうか。
一般的には、欲望などに左右されずに判断できる能力を指す言葉として使われていますが、
欲望に左右されない判断などあるのでしょうか。

何かに憤慨したときにとる行動は個人によって差があります。
法律やその他規範などおかまいなしに行動する人もいますが、
たいていは「理性」で判断して法律やその他規範を守って生活しています。
一般的にはこの「理性」で判断した後者の生き方が良いとされます。
もちろん社会からみればその通りなのですがね。

この「理性」で判断したという後者の心理を分析してみましょう。
後者の人は、おそらく社会的にもそれなりに成功している人か、
それほどではなくても、少なくても生活に困窮するようなことがない人でしょう。
家庭を持っていて子供もいるかもしれません。
会社ではそれなりの役割があたえられているでしょう。
何かに憤慨しても、家庭や会社のことを考えると、
そのままの気持ちを行動に移すことはひかえるでしょう。
つまり、憤慨をそのまま行動に移して、気分を晴らすプラス面と、
そのことによって、家庭や会社に迷惑をかけるマイナス面を計算して後者を選んだのです。
したがって、理性的判断というのは、どちらが得かの価値判断だったのです。

どちらが得かというのは、自分の欲望に聞いていることですので、
理性的判断と思っているものも欲望に左右されているもので、
とても「理性」などと胸の張れるものではないのです。


                   この記事は2005/8/20に投稿したものを再投稿したものです。

「ありがとう」と「ごめんなさい」

完全な人間は誰もいません。失敗をしない人間もないと思います。
みんな誰かに迷惑をかけ、誰かにお世話になって生きています。

しかし、一方で人間にはプライドがあります。
できるだけ世話になりたくない、迷惑をかけたくないとも思います。
世話になってはプライドが許さない。迷惑なんかはとんでもない。

プライドが強すぎると、
世話になっていることも迷惑をかけていることも気づかなくなります。
世話になんかなっていない。迷惑なんかかける訳がない、と。
そして迷惑をかけてしまっても、言い訳を考えるのです。

もう一度繰り返しますが、
完全な人間は誰もいません。失敗しない人間はありません。
みんな誰かに迷惑をかけ、誰かにお世話になって生きています。

その代わり人間には「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉が与えられています。
お世話になったときには「ありがとう」、
迷惑をかけたときには「ごめんなさい」という言葉があります。
そしてその言葉でたいていのことは許されるのです。

せいぜい「ありがとう」と「ごめんなさい」にお世話になりましょう。


                   この記事は2005/8/16に投稿したものを再投稿したものです。

悪者になろう

私の家族はよく喧嘩をする家族です。
喧嘩の原因はというと、ごくつまらないことで、例えば
「久しぶりに外に食べに行こうか」
と私が提案すると、全員それに賛成するのはよいのですが
何を食べに行くかがなかなか決まらないのです。
妻は「すし」がいいと言い、息子は「カレー」という。
娘は「パスタ」が良いといいます。
私は私で「和食」が良いという有り様で、
みんな好きなことを言ってまとまりません。
そこで私が「誰か譲りなさいよ」というと
妻は渋々「パスタでいいわ」と譲ります。ところが
子供たちも「お寿司にするわ」と譲ります。
そしてまた喧嘩になるのです。

譲ることは良いことです。そのように教えらます。
我が家の喧嘩は一回譲ったまではよかったのですが、
その先またお互いが譲らないため喧嘩が収まらないのです。
お互いが教えられたとおり「良い人」であろうとして、
再度譲ろうとしないためです。再度譲ってしまったら
最初の自分を押し通すことになり「悪い人」になってしまうからです。

「譲る」というのは、自分を抑えて他を立てることですが、
我が家の場合はあくまでも自分を立てているのです。
良い人でありたいという自分の気持ちを立てているのです。
良い人であろうとすることは、いつでもトラブルを避けるための
良い手段になるとはかぎりません。
本当に他を立てて譲るつもりなら、自分は悪者になって、
良い人でありたいと思っている相手の気持ちを立てる方が、
譲ってあげたことになると思うのです。


                   この記事は2005/8/14に投稿したものを再投稿したものです。

法律も時によりけり


ギリシャの哲学者ソクラテスは、言いがかりに近い罪で裁かれ、
毒杯を飲む破目になったというエピソードがあります。
「法律はいかなる場合も守らなければならない」と思っていたソクラテスは、
「いかに為政者のたくらみであっても、裁きを受けなければならない」と判断し、
脱獄の機会があったにもかかわらず、毒杯を飲んだのです。

日常の正常な状態のときは、法律は守って生活しなければなりませんが、
何か異常な状態になったときは、必ずしも法律は守らなければならないとは限りません。
例えば、近所で火災が発生したときには、
家に閉じ込められている人を助けるために、断りなしに敷地に侵入し、
窓を破って家に入ることもあると思いますが、
このような時は「家宅侵入だ」「家屋損壊だ」「法律違反だ」などと言ってる場合ではありません。

このソクラテスのエピソードは、裁判自体が異常であり、その裁判の結果に従う必要はないのです。
だからソクラテスは毒杯を飲む(法律を守る)必要はなかったのです。
凡人からみればソクラテスはバカだとしか言いようがありません。
法律を守るのも時によりけりですね。


                   この記事は2005/8/12に投稿したものを再投稿したものです。

失敗したときの対処法も教えよう

学校は、してはいけないこと、やらなければならないこと、を教えてくれます。
しかし、してはいけないことをしてしまったり、
やらなければならないことが、できなかったりしたときの、対処法は教えてくれません。
だから、例えば、
自動車を運転していて、人を死なせてしまっても、
謝罪することもなく、保険会社に任せっきり、
こういうことになってしまうのではないでしょうか。

「人を殺すな」「人を傷つけるな」「法律を守れ」と教えられても、
生きてゆく間には、教えられた通りにできないことがあります。
運が悪かったり、競争に負けたりで、誰もが成功するとは限りません。
ほとんどの人間は、理想通りにはゆかないものです。
失敗を繰り返しながら生きてゆくのが普通です。
にもかかわらず、学校は失敗しない方法のみを教えるのです。
理想通りゆくように教えるのも大切ですが、
理想通りゆかなったときの対処法も教えなければ、
バランスを欠いた人間になってしまいます。

親が離婚しただけでグレてしまう子供がいます。
理想的な形だけを教えているから、
その形から外れたら「落ちこぼれた」と思ってしまうのでしょうか。
理想的な形だけでなく、いろいろの形があることも教えなければなりません。
そして、あってはならない形になったときの対処法も教えなければなりません。

問題はこうしたことを何所で教えるかです。
それぞれの科目で教えるより、道徳など別の科目で教えるのか、
また、教え方もいろいろ考えられます。
これは学校ではなく家庭で教えるべきだという人もあるでしょう。
みなさんはどう思われますか。ご意見を聞かせてください。


                   この記事は2005/8/10に投稿したものを再投稿したものです。

「信ずる」ということ その2


ジェットコースターに乗るのは非常に勇気がいります。
一般的に男は女より勇気があるように思われていますが、
ジェットコースターに乗ってキャーキャー騒いでいる人は、
女性が多いのはどうしてでしょうか。

私もジェットコースターに乗ったことがありますが、恐くないわけがありません。
必死で足を踏ん張り、腕で体勢を立て直そうとするのですが、どうにもなりません。
ジェットコースターは自分で何とかできるものではないのです。
ジェットコースターを信じて身を任せるしかないのです。

女性に限らずジェットコースターの性能を信じることができれば身を任すことができ、
ジェットコースターを楽しむことができるのです。
性能を信ずることができるということは、
ジェットコースターを設計した人、製作した人、運転する人を信じているということです。

同じことが車の運転などでも言えます。他人の運転する車に乗せてもらって
恐くて足を踏ん張り、手に汗を握ったという経験のある人も多いと思いますが
自分の運転に多少なりとも自信があると、身を任すことができなくなります。
その点、運転免許のない人はそういう経験は少ないと思います。
特に子供などは運転してくれる人を信じて、全く不安を感ずることなく身を任せています。

自分に自信があればあるほど他人が信じられなくなります。
自分に自信があると自分の力で何とかしようとします。
そして上手くいかなくなったとき、何とかしようと苦しまなければならないのも自分です。
そんなとき、力を抜いて成り行きに身を任せてみると
苦しみはきっと軽くなると思いますがどうでしょうか。


                    この記事は2005/8/8に投稿したものを再投稿したものです。

ピカソは天才か


ピカソの絵、見たことがありますよね。
それで見てどう思いました?。正直に言ってくださいよ
「何だ!? これは!?」
「これがいったい芸術なのか!?」
そう思いませんでしたか。
ピカソの代表作とされる「ゲルニカ」という絵を知っている人も多いと思いますが、
あれは何でも戦争の惨禍を表現したものだそうです。
説明されて見るとそれらしく見えてきますが
「あれは、お化け屋敷を表現したものだ」
といわれたら、お化け屋敷にもみえます。
戦争の惨禍とお化け屋敷、どちらに見えるかと聞かれたら
凡人の私はすかさず「お化け屋敷」と答えます。

ピカソははたして天才なのでしょうか
あなたはどう思いますか?、ご意見をお寄せください


                    この記事は2005/8/7に投稿したものを再投稿したものです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ