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日本を破産から守るために

財務省が24日発表した2007年6月末の国の借金(債務)残高は、
3月末より0・3%増の836兆5213億円と過去最大になった。

 国民1人あたり約655万円の借金を背負う計算だ。

国の借金は、国債のほか金融機関からの借入金、
一時的な財源不足を補う政府短期証券の残高などを足したもの。
将来の世代に借金のツケを回す赤字国債が1994年度から毎年発行されている。
借金は最近5年間だけでも約209兆円も増えた。
(2007年8月24日19時34分 読売新聞)

この記事からも分かるように、日本の国はもう破産状態にあります。
なのに、現在の日本の国は、何もないかのように平穏に動いています。
何か不思議な感覚になりますね。
多くの人は、日本の国が突然夕張になるなんて考えてもいないのです。
しかし、このままでは必ず日本が夕張になります。

またバブルのころのような好景気が訪れれば別ですが、
でなければ節約をして支出を減らさなければならないのです。
しかし、それは日本が夕張になることを意味します。
夕張の現実は借金を返すために節約して支出を減らした結果なんです。


なんとか今の日本を維持することはできないのでしょうか。
もちろん支出は収入の範囲に止めなければなりませんが、
問題は巨額の借金をどうするかです。

今のままで放置すればどうなるかと言えば、
国債の償還はできないし、利息も払えません。

国債はいずれ償還しなければならないし、償還を遅くするばそれだけ利息が増えます。
ですから償還期限がなく、利息がゼロのお金があれば、
とりあえず景気の良い時に少しずつ返還できます。

利息がゼロで「ある時払いの催促なし」の国債でも買ってやろうという人でもあればいいのですが、
そんな人は期待できませんので、
私は、それを日銀に引き受けてもらってはどうかと思います。

もちろんそれにはインフレというリスクがついて回りますが、
市中への貸し出し金利を高くするするなどするとともに、
そこは慎重に様子を見ながら日銀の引き受け額を調整すればいいのではないかと思います。

試してみる価値はあると思いますが、皆さんはどう思われますか。

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成功物語は役に立つか

8月26日付京都新聞の「凡語」というコラムに、
世界陸上のマラソンについて、こんな一文があった。

「増田明美さんによると、尾方選手は日常、エアコンを使わず、
暑さに慣れるように心がける。」
これに対し、
「かつての名ランナー谷口浩美さんは、寝苦しい夜はエアコンを使い、
よく眠って疲労をためないことが大切という。」

私はここでどちらが良いかを論ずるつもりはありません。
有名人の成功物語に類する本が万と出版されていますが、
さしづめこの話を本にするとすれば、
「エアコンを使わずに名マラソンランナーになった」と
「エアコンを使って名マラソンランナーになった」と
二つの矛盾する異なった本が出来上がります。

成功した人というのは、それなりの努力というのもされているとは思いますが、
案外、思い込みで突っ走るようなところがあるのではないでしょうか。

私はこの種の書物にはほとんど興味がないのですが、
その理由は、偶然や運がかなり左右していて、
「こうしたからこうなった」とは言えないことが多いのではないかと思うからです。
そのいい例が上の新聞のコラムです。

ストレスをためない方法 その2

私は、世の中というのは自分の思い通りにはならないものと思っています。
人にしろ社会にしろ、思い通りにしようとすると、
たいていその通りにはならないものです。
思い通りにならないとストレスになります。

最初から思い通りにならないものと思っていると、
うまくいかなくてもストレスになることは少ないです。

子供の進路について、親としての思いはあると思います。
子供に対して、それなりのアドバイスはするとしても、
子供に任せておく方が家庭は円満です。

自分の理想を社会に期待していると、不満ばかりを言ってなければなりません。
社会というのはいろいろの思いの者が集まっている寄り合い所帯です。
自分の思いだけが通る訳がないのです。

自分の思いを引っ込めてしまう必要はありませんし、
自分の思いを実現しようと努力するのはいいのですが、
思い通りにならないからと言ってイライラしているとストレスになります。

ストレスをためないためには、
世の中は自分の思い通りにはならないと、まずは思うことが必要ですが、
そのことは実は、他人の価値観を尊重することであることに気付くことです。
それはまた、自分の価値観が絶対ではないことを知ることでもあると思うのです。

そんなに自分を責めないで

知らない間に他人を傷つけること、あるものです。
また逆に、他人から傷つけられ、
相手は一向にそれを知らないなんてこともあります。

みんな同じような経験があると思います。
お互い様です。

誰にも迷惑を掛けないで生きることはできません。
完璧な人間ではないのですから。

知らない間に他人を傷つけていたとしても、
そんなに自分を責めないでください。

あなたを傷つけたことに気付いていない人を許してあげればいいのです。
それでプラスマイナスはゼロになります。
帳尻は合います。

ストレスをためない方法 その1

現代社会はストレス社会と言われています。
そこで何回かに分けて、
私自身はストレスをためないよう、どのようにしているかを書いてみたいと思います。

まずは、いい子にはならないようにしています。
いい子になろうとすると、相手の気持ちを察して、
相手の気持ちを損ねないように気を使わなければなりません。
それが程度を過ぎるとストレスになります。

気遣いは時には必要ですが、何でも相手に合わせていると、
嫌なこともあるだろうし、ストレスが溜まってしまいます。

相手と価値観が違っていても悪いことではありません。
相手の価値観を認め、それを尊重することと、
自分の価値観を主張することは矛盾することではないのです。
お互いが認め合えばそれでいいと思います。

何かに誘われたとしても、いやであれば断わります。
一言「ごめんね」とお詫びの言葉を添えておけばそれでいいと思います。

何でも相手の希望を聞いていい子にしていたら、
相手からは「いい人だ」と思ってもらって喜んでもらえると思いがちですが、
「この人の本心が分からない」と思われたりするマイナス面もあります。

案外、自分の思いを表に出した方が、好感をもたれると思うのです。

太陽が地球の周りを回っている

朝、目が覚めると東側の窓に太陽が見えます。
そして夕方には西の山に太陽が入ります。
どう考えたって太陽が私(地球)の周りを回っています。

なのに、どうして地球が太陽の周りを回っていると教わるのでしょうか。
偉い人の説明では、「その方が宇宙の仕組みを単純に説明できるから」といいます。

それでは朝の「太陽が昇る」現象はどうでしょうか。
「地球の自分がいる面が太陽に方に向いた」とでも説明すれはよいのでしょうか。
「太陽が昇る」とどちらが単純に説明できているでしょうか。
一目瞭然です。「太陽が昇る」の方が単純ですぐに分かります。
「地球の自分がいる面が太陽の方に向いた」では何のことやらすぐには理解できません。
だから太陽が地球の周りを回っているのです

これはいわゆる天動説か地動説のどちらを取るかの話ですが、
天動説も地動説もある視点からみればどちらも正しいのです。
視点が異なれば、正しいものも変わってきます。
私のような凡人は、まだ天動説の世界で生活しています。

地動説は宇宙に視点を置いた説明で、
天動説は日常生活に視点を置いた説明です。
そしてどちらも正しいのです。

ほんのつまらないジョークですが、分かっていただけたでしょうか。

心の科学

ここで心と言っているのは、自分の心のことで、他人の心は社会として扱いました。
自分の心についての科学は、現在のところまだないと言ってもよいと思います。
まだまだ哲学の領域にとどまっていますが、将来的に科学に発展することを願って「科学」としました。

心の基礎科学として、心の哲学と倫理学があります。

心の哲学は自分の心を内観することで、人間の心理現象を探求する科学ですが、
現在では「クオリア」と物の関係についての心身問題が中心の領域になっています。
クオリアがあるかないかを見かけで(チューリング・テスト)で見分けることで、
検証可能な領域(科学)に引き上げようという試みもありますが、
人間同士では言葉を通してクオリアを理解できているとですから、
それを糸口に科学への道を探ることは可能であると思います。

倫理学も心の科学と位置づけしましたが、
自分の善悪に対する考えを探求すればよいというものではありません。
倫理学は善悪をどういう基準にすれば、社会に受け入れられるか探求します。
となれば、倫理学は社会の科学かと思えますが、
科学する対象はあくまでも自分の心なのです。

心の実態科学はありませんが、応用科学として応用倫理学というのがあります。
近年台頭してきた科学で、生命倫理や環境倫理を扱うものです。

基礎科学・実態科学・応用科学の区分については、
科学の分類」を参照してください。

論理の科学

人間の心の働き中で、論理機能というのは特殊な位置にあり、
他の機能、意識とか記憶とかのように心理学の対象にはなりにくい部分です。
古来からこの論理機能についての科学は発展してきており、
次に投稿予定の「心の科学」とは別に扱うことにしました。

この論理の基礎科学として数学と論理学があります。
この数学や論理学は、数や図形や記号や言語を用いて、
人間が思考・演算するときの基本法則を研究する学問ですので、
人間の論理能力の基礎を科学するものと判断できます。

人間の論理の実態が表れているものとして言語がありますが、
実態科学としては言語学があげられます。
言語というのは、論理のほかに意識を表現したり、
社会とのコミュニケーションの道具であったりするもので、
心の科学、社会の科学とも深い関係があります。

論理の応用科学としては、応用数学があります。
現実の出来事や現象をモデル化・数値化することで、数学的に処理できるようになります。
統計学などがその代表です。

基礎科学・実態科学・応用科学の区分については、
科学の分類」を参照してください。

社会の科学

社会というのは、人間を生物としてみるのではなく、集団としての現象を扱うもので、
生物の科学とは区別されます。

社会の基礎科学としては、社会学・経済学・実験心理学などがあります。
実験心理学はヒトへの実験をもとに、
ヒトの感覚、知覚、記憶、学習、認知などを対象に研究を行う心理学で、
ヒトの心を扱う科学ですが、あくまでも他人の心を外から科学するものです。
最近主流になってきている認知心理学もこの実験心理学の流れをくむものです。

社会の実態科学としては、文化人類学・人文地理学・歴史学などがあります。
文化人類学と人文地理学は、人間の「現在」の有り様についての科学ですが、
歴史学は、人間の時間的移り変わりを記録・解釈する科学で、
人間の「過去」についての有り様についての科学です。
歴史小説などの物語的な歴史は、科学ではなく文学ですので、ここには含まれません。

社会の応用科学としては、政治学や臨床心理学などがあります。
政治学は社会の基礎科学や実態科学の成果を、政策として実行する際の方法などの科学であり、
臨床心理学は人間の心理的障害を、心理学的立場で解決するための理論で、これも応用科学です。
この社会の応用科学には、その他経営学や教育学、犯罪心理学など、沢山のものがあります。

基礎科学・実態科学・応用科学の区分については、
科学の分類」を参照してください。

生物の科学

最近は生物と物質の区別が困難になってきていますが、
あえて生物を区別したのは、生物は構造体(システム)として運動しており、
物質のような力学的な運動とは異なった運動をしているためです。
もう少し違った角度から言えば、生物は目的論的説明の方が分かりやすく、
また生物である人間を知るためにも区別する必要があると思います。


生物の基礎科学としては、分子生物学や生化学などがあります。
分子生物学は生体の構成・構造の研究を主とするもので、
DNA構造の二重らせんモデルに代表されるのに対して、
生化学は生命現象を化学的に研究する生物学または化学の一分野です。

実態科学としては、生物の分類を主目的とした分類学や生態学や解剖学があります。
生物がどういう状態で存在しているか、現実を確認する分野です。

応用科学としては、農学や医学があります。
最近遺伝子工学(バイオテクノロジー)などという科学が盛んになってきていますが、
これも農学・医学の一部と言ってよいと思います。


基礎科学・実態科学・応用科学の類別については科学の分類を参照ください。
プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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