FC2ブログ

なぜ人を殺してはいけないか

「なぜ人を殺してはいけないか」という議論がありますが、答えは簡単です。
末期がんで死にたいという人や、自殺願望というような病的な人は除きますが、
「誰も殺されることを望む人はいないから」というのがその答えです。
この社会で生きたいのなら、この社会の成員が望まないことはしてはいけないのです。

これは社会の約束事です。社会の約束事の多くは法律として定められており、
また、法律として定められていない約束事もたくさんありますが、
これら約束事は、この社会で生きることを望むのであれば守らなければならないものです。

人間には誰にも欲望があります。その欲望を満たすために行動はしますが、
そのとき社会と衝突することもしばしばあります。
そのときの衝突を避けるルールが約束事です。
自分の欲望を満たすために、人を殺すことはできません。
人は殺してはいけないという約束事があるからです。



                   この記事は2005/12/14に投稿したものを再投稿したものです。

スポンサーサイト

自転車の歩道走行

自転車は道路交通法上は車両とされており、車道を走行するのが原則ですが、
歩道を走行してもよいところは「自転車通行可」という標識が設置されています。
だから、標識のないところは自転車は走行できないのですが、
現実は、ほとんどの自転車は歩道を走行しています。
そして歩行者との死亡事故まで起こしてしまい、問題になっています。

しかし、歩行者との事故をなくすためには、自転車は車道を走行しなければならないのですが、
今度は自動車との事故が増えてきます。
ここまで読んでくると、自転車が歩道を走行した場合と車道を走行した場合の事故の比率が問題であると思われそうですが、そうではないと思うのです。

問題は、自転車の走行マナーにあると思います。
歩道を走行するにしても、車道を走行するにしても、
猛スピードですり抜けるような走行をしたり、一旦停止もせずに飛び出したり、
無謀な運転をしているために、死亡事故にまでなってしまうことが多いのだと思います。

私は自転車が運転マナーを守れば、歩道走行しても大きな事故は少なくなると思います。
車道走行でも同じことが言えますが、速度差の大きい車道の方が危険と思います。

自転車専用の道があるのが一番いいのですが、
国土が狭い日本では、そう簡単に実現することはできないでしょう。

私は、自転車の走行マナーの取締りを強化して上で、
歩道の自転車走行を認めた方がよいと思います。

イメージ、バトン

takeshi_at_tanushimaru さんから回ってきた、イメージバトンなるものをしたいと思います。

ルールは以下の通り…

<< ルール >>
・イメージでつながっている言葉(キーワード)の最後に、自分で新しく付け加えるコト
・「3名様を指名」した上で、次の方にお渡しする。





大人→ふりかけ→弁当→唐揚げ→運動会→はちまき→応援団→学らん→中学校→青春→フットサル
→ボール→丸い→お月さま→うさぎ→雪→雪だるま→雪だるまフゥー→レイザーラモンHG
→ハードレズ→ABUCHAS→はねるのトビら→秋山竜次(ロバート)→幼稚園児→お父さん
→しょうゆせんべい→入れ歯→かみつきばーちゃん→亀→冬眠→蓄え→ひまわり→クレヨンしんちゃん
→糞ガキ♪→鼻水→ティッシュ→てるてる坊主→運動会→紅白→歌合戦→雪合戦→戦闘→男たちの大和
→漁師→早起き→コケコッコー→にわとり→たまご→たまごポーロ→ヒヨコチャン→和菓子→砂糖
→クッキー→オーブン→ケーキ→甘~イ→小沢さん(スピードワゴン)→井戸田さん(スピードワゴン)
→安達祐美→家なき子→家出→リュックサック→SMAP→幸せの青い封筒→侍ブルー→新選組
→ロマンチスト→星空→UFO→焼きそば→お祭り→屋台→赤ちょうちん→おでん→卵
→ハンプティダンプティ→教科書→保健体育→吉本新喜劇→西川きよし→ヘレン→外人→ボブ
→スポンジ→ケーキ→チャーリーとチョコレート工場→ジョニー・デップ→海賊→宝→ソフトクリーム
→巨峰→秋→紅葉→葉っぱ→花→オレンジレンジ→沖縄→シーサー→ライオン→動物園→臭い&うるさい
→アメリカザリガニ(芸人)え→すいそう→金魚→赤→フェラーリ→F1→鈴鹿→ロボット→草なぎ剛→ユースケ
サンタマリア→UDON(うどん)→二日酔い→あさげ→ミルクティー→哺乳瓶→赤ちゃん→夜泣き→ベビー
→カステラ→長崎→雨→太陽→にじ→希望→パンドラの箱→浅はかな女→ロビン→エロイ→沢村一樹
→ごめんくさい→オナラ→音→寝(癒し)



「寝」でも「癒し」でもいいということですが、「癒し」をいただきます。

私が癒されるのは、朝日に照らされた「海」です。

「海」でつぎの人、受け取ってください。


私は何方にもバトンは渡しませんが、受け取りたい人はバトンを持っていってください。

社会的地位が高ければ犯罪は犯さないのか

先日テレビで「学歴も地位もあるのになぜ犯罪を犯したのか」
というような意味の報道をしていました。

学歴や地位があれば犯罪は犯さないのでしょうか。
逆に言えば、学歴や地位が無ければ、犯罪を犯すのでしょうか。
そんなことは無いはずです。

それは差別です。偏見です。
報道機関ともあろうものが、そんな報道をしていいのでしょうか。

最近のテレビ(特に民放)は報道の中立性を守るどころか、
テレビ局の担当者の勝手な判断を報道しています。

他にもいろいろ、これに類する報道がいくつもありますが、
あまりにも横暴で酷すぎると私は思います。

ご意見をお待ちしています。

反省はほどほどに

何か失敗をしたとき、過ちをおかしたとき、反省をしますね。
それは必要なことですが、反省というのは過ちを詫びるだけではないのです。
もし、それだけが反省なら一生詫び続けなければなりません。

失敗や過ちを教訓に、これから同じ過ち・失敗を繰り返さないために、
どうしたらいいかを考え、それを実行することです。

いつまでも落ち込んでいては、立ち上がれなくなってしまいます。
反省はほどほどにして、未来にそれを生かしてゆくことです。


日本は太平洋戦争という大きな過ちをおかしました。
そして近隣諸国に多大な迷惑をかけたのですが、
それらに対してはお詫びをし、賠償もしてきました。

それなのに、韓国や中国は未だに謝罪を要求しているのです。
いつまで詫びればいいのでしょうか。
日本は、もう60年もの間平和を貫いてきているのです。
そして近隣諸国には経済援助をしてきました。
反省を求めるのははほどほどにして、未来に目を向けてほしいものです。

春はなぜ暖かい

「春は暖かい」と言いますね。
でも同じ温度なのに「秋は涼しい」と言います。

それは春の前には寒い冬があり、
秋の前には暑い夏があるからです。

寒い冬よりは春は「暖かい」のです。
暑い夏より秋は「涼しい」のです。
つまり、私たちはこの世界を相対的にみているのです。

ほかにもそういう例は沢山あります。
砂ぼこりは何色でしょうね。
白いカッターシャツには黒く付きますが、
黒いスーツには白く付きます。

この世界はすべて相対的にあります。
幸福があるから不幸があるのです。
生きているから死があるのです。

しかし、死の世界は絶対的な世界と言われています。
絶対的な真理の世界なのです。

人間と類人猿の違い

人間とチンパンジーなどの類人猿との違いについてですが、
もちろん外見的にはいろいろの違いがあります。
しかし、今ここでいう違いは主に脳の違いについてです。

一般的には、人間は理性的動物であるとして、他の類人猿とは区別されますが、
私は以前にも記事にしたことがありますが、理性という心はないと思っていますので、
そうした区別もあり得ないと思っています。

人間には自分自身を客観視することができますが、
類人猿にはそれができないのではないかと思っています。
そこから言えることは、類人猿は哲学的な疑問を感じることもないし、
したがって、「悟り」などということもあり得ないでしょう。
それが人間と類人猿の違うところです。

ろちもん、このことを検証することは、
かなり困難なことではあると思いますが・・・。

バッハ


クラシックで一番よく聴くのはバッハかな。
バッハで一番好きな曲は、これは難しいですね。
一番よく聴くのはということなら、ブランデンブルグ協奏曲ですね。

ブランデンブルグ協奏曲は6曲ありますが、
私が一番すきなのは、6番 です。
3番も5番もいいですが、この6番は第1楽章の幻想的なメロディーが好きです。

上のジャケットは、ゲーベル(ラインハルト) , ムジカ・アンティクヮ・ケルン
のものですが、まあ、どの演奏を取るかは好みの問題です。

神仏の存在証明

もし「これこれの動物が存在する」と言って、
「それを証明してみろ」と言われたらどうしますか。

その動物が仮にライオンだったら、アフリカの草原へ連れて行って、
ライオンの現物を見せるしか方法がありませんね。

もしアフリカへ連れて行くのが大変だったら、
そのライオンのいる場所を説明し、そこへ行く方法を説明しますね。
つまり、そのものの存在証明は、現物を確認させるか確認する方法の説明で行ないます。

それでは神仏はどこにあってどうすれば確認できるのでしょうか。
実は神仏は人間一人ひとりの心の中にあります。

それではどうすればそれを確認できるのでしょうか。
それは欲望・自我を取り去れば、神仏が心の中にあることを確認することができます。
欲望や自我が邪魔をしていて見えなくなっているのです。
欲望や自我を取り去る方法については、これまでにも幾つか記事にしています。

欲望・自我を取るということを簡単に言うと「信ずる」ということです。
「信ずる」というのは自分の欲望や自我からの欲求に因らず、誰かの判断に従うことです。
ただ、それだけなら日常よくしていることですが、
神仏を認識するには、中途半端に信ずるのではなく徹底的に信ずることです。
そのようにして完全に欲望・自我を取り去る必要があります。


これまで哲学者からは神仏は思弁的存在として扱われ、
えてして経験主義者からは敬遠される対象でしたが、
このように神仏は経験によって確認することができる対象なのです。
ただ、その経験を得るためのには、かなりの努力がいるというだけで、
確認することじたいが難しく、確認できた人も少ないというだけなのです。

ウサギの人生、カメの人生

ウサギとカメの駆けっこの話ですが、
だいたいこの話はカメの方が良いことになっています。
どうしてでしょうね。結果的にカメが勝ったからでしょうね。

あれは、こつこつ頑張る人が良いという考えの人が、
こつこつ頑張ったカメが勝つように作った物語で、
現実の話を集計して統計的に判断したものではないのです。

ウサギの人生とカメの人生のどちらが良いかは好みの問題です。
どちらが良いというものではないと思います。
人にはそれぞれ個性があります。その個性に合った生き方があります。
なのに「カメの生き方が良い」とする教え方には問題があるように思います。

娘が今就職活動中(正確には終ったところ)ですが、
企業によっては「あなたはウサギタイプかカメタイプか」と質問するところもあるそうですが、
娘が「そんなものカメとしか答えようがない」と言うのです。
これで企業は受験者の性格の正確な判断ができるのでしょうか。

今でも小学校などでは、ウサギとカメの話は教えるそうですが、
やはりカメが良くてウサギは悪いと教えられるそうです。
私は、ウサギは足が速いという長所と、怠け癖があるという短所があり、
カメには足が遅いという短所と、粘り強さという長所があると教えるべきと思います。

そして「ウサギくんはその足の速さを活かして郵便配達人に、
カメくんはその粘り強さを活かして、毎日たくさんの郵便物を振分けする郵便局員になって、
協力し合って世の中の役に立ちました」っていう物語に改作して教えるといいですね。
そうすればお互いの個性を尊重し合える社会が築けるのではないでしょうか。
(ご意見を参考に追加しました。)

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ