FC2ブログ

「理性」という心はない

よく「理性で判断する」などと言いますが、
この理性というのはどんな心の状態なのでしょうか。
一般的には、欲望などに左右されずに判断できる能力を指す言葉として使われていますが、
欲望に左右されない判断などあるのでしょうか。具体的にみてみましょう。

何かに憤慨したときにとる行動は個人によって差があります。
法律や社会規範などおかまいなしに行動する人もいますが、
たいていは「理性」で判断して法律や社会規範を守って生活しています。
一般的には後者の生き方が良いとされます。
もちろん社会からみればその通りなのですが・・・。

この後者の心理を分析してみましょう。
後者の人は、おそらく社会的にもそれなりに成功している人か、
それほどではなくても、少なくても生活に困窮するようなことがない人でしょう。
家庭を持っていて子供もいるかもしれません。
会社ではそれなりの役割があたえられているでしょう。
何かに憤慨しても、家庭や会社のことを考えると、
そのままの気持ちを行動に移すことはひかえるでしょう。
つまり、憤慨をそのまま行動に移して、気分を晴らすプラス面と、
そのことによって、家庭や会社に迷惑をかけるマイナス面を計算しているのです。
したがって、理性的判断というのは、どちらが得かの価値判断だったのです。

どちらが得かというのは、自分の欲望に聞いていることですので、
理性的判断というのも欲望に左右されているもので、
とても「理性」などと胸の張れるものではありません。

スポンサーサイト



プライバシー

日本語としての「プライバシー」という語は、
「個人情報」あるいは「個人情報保護」という意味になるようですが、
個人情報の保護は今日では当然のことのように言われています。
最近話題になった住基ネットやさらに進んだ国民総背番号制などでも、
誤用・悪用によるプライバシーの侵害を懸念する声があります。

国民総背番号制は、国民一人一人に番号を付けることで、
コンピューターでの処理が可能になり、経費の節減にもなりますし、
管轄の異なる事柄でも同一の番号を使うことで、照合・確認が簡単にできるようになります。
大変ありがたいことなのですが、照合されては困る人も中にはあるようです。
税金対策であちこちの金融機関に預金している人や、
沢山の不動産や有価証券を持っている人は、
それらを一つで管理されては隠すことができず、当然ながら困ります。

プライバシーの侵害を防ぐためには、データの管理をしっかりすればよいことで、
それを理由に文明の利器を使わないのは国民にとって大きな損失です。
そのことによって税金逃れをしている裕福な人間を保護してしまうだけだと思います。

みなさんはどう思われますか。


                   この記事は2005.10.9.に投稿したものを再投稿したものです。

人類ははたして進歩しているのか

科学技術が発達すれば、便利になって人間は楽になりますが、
一方で人間は体を使わなくなり、体力は衰えて退化してゆきます。

医学が進歩して、ほとんどの病気が治るようになり、
ひ弱な人間も生きてゆけるようになりますが、
その代わり、人類の遺伝子はひ弱になってゆきます。

電気があるお陰で、夜でも昼間と同じように生活できますが、
そのために体内時計が狂って病気になる人がいます。

科学技術は自然を人間の都合のよいように変えてくれますが、
人間の体は本来、自然の中で生きるように造られているのではないかと思うのです。
となれば、科学技術は人間の体にはよくないことをしていることになります。

人間は果たして進歩しているのでしょうか。


                   この記事は2005.9.5.に投稿したものを再投稿したものです。

他人の心

心を感じることができるのは、自分だけです。
他人の心は感じることはできません。
例えば、自分が赤いと感じているこのリンゴの色は、
他人には自分が黄色いと感じている色に感じられているかもしれないのですが、
そしてそれを「赤い」と言っているのかもしれないのですが、
しかし、それを確認する方法はないのです。

哲学者は、こうした事実を「あーでもない、こーでもない」と議論するのですが、
凡人は、「他人も自分と同じように感じている」と信じるのです。
他人の言動で、その心の状態を推測し、それを信じるのです。
しかし時には、間違った判断をしたり、勘違いしたりして、トラブルの元にもなります。

人間は、同時に「疑う」ということもします。
これも他人の心が見えないことに原因があります。
他人の心を疑わなければならないということは、悲しいことですが、
心が他人には見えないことを利用して、騙そうという人間もでてきます。
だから、騙されないように疑ったりもします。

人間社会のつながりをを支えているのは、お互い同士の信じ合いです。
その反面、人間同士が争うこともあり、そのもとには、疑うという行為があります。
これらすべては、心がお互いに感じられないことに源があります。

このように他人の心が見えないことによる功罪はいろいろありますが、
もし他人の心がすべて見えるようになったら、どうなるでしょう。
人間社会自体が成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。
他人の心は見えないのが良いのかもしれません。


                                この記事は再投稿したものです。

事故してしまいました(続き)

自動車安全運転センターより、累積点数通知書が届きました。
それによれば、
「あなたの累積点数は、平成19年1月18日の交通違反(事故)で
4点(行政処分の前歴0回)になりました。」
と通知があり、今後の注意点が書き添えてありました。

6点以上が免停なので、今回事故でも免停にはならなかったのです。
その上、行政処分もなく罰金はありませんでした。

今回事故の直前に駐車違反で2点が付いていましたので、
今回事故では2点しか加算されていないことになります。
私は人身事故をしたら免停は免れないと思っていましたが、間違いでした。

それから行政処分については、聞いていた話では(事故の相手だけではなく)
10万円くらいの罰金は来るとのことでしたので覚悟していましたが、
これも外れでした。

何を基準で決めているのか分かりませんが、
事故時の過失(違反)の数とか、違反の前歴も関係しているように思います。
うかつに人の話を信用しては、大きな間違いをしてしまいます。
勉強になりました。

トイレの後の手洗いは不要

公衆便所といったら、ちょっと前まではかなり汚いイメージがありましたが、
最近は少しは良くなったようです。
でも、同じ入るならホテルの便所へでも入って用を足したいものです。

しかし、便所というのはどこも不衛生という点では、変わりがありませんね。
便所へ入ったときのことを考えてみてください。
大でも小でもよいのですが、仮に大としましょう。
大の個室に入って用を足してから、紙でお尻を拭いて、
下着をはいてズボンなりスカートなりをはいてから、個室を出て、
洗面所で手を洗ってハンカチで拭く。これで清潔に用を足せたと思っています。

しかし、よく考えてみてください。
手を洗う前に下着やズボンを触っており、
手に着いたウンコやオシッコは、その下着やズボンに着いてしまっています。
だから、トイレの後の手洗いは意味がないのです。

「手を洗うのは、ドアの取っ手のばい菌を落とすためだ」という人もあるかもしれませんが、
それも個室に入るときに取っ手を握っていますので、
そのときに着いたばい菌も下着やズボンに着いており、
その後に手を洗っても意味がありません。

「凡人てなんて不潔な奴」と思わないでくださいね。
これはジョークとして受けとってほしいのです。


                   この記事は2005.10.2.に投稿したものを再投稿したものです。

個性の共存

分業化社会は優れた個性の共存で成り立っています。
自分に合った職業を選び、自分の個性を社会に提供するとともに、
自分には合わない職業は、その職業に合った個性の人に世話になっています。
どの個性が良いというのではなく、お互いに個性を出し合って社会を構成しているのだと思います。

世界にはいろいろの個性の人がいます。
どんな個性も、この世界に存在する意味があると、私は思っています。
勘違いされては困りますが、どのようなものも有り得るということではありません。
少し前に発刊されてベストセラーになった「バカの壁」という本に、
個性尊重の風潮を非難して、こんな文章があったことを思い出します。
「個性的な人間を見たければ精神病院へ行けば良い。みんな個性的である」という意味の文章です。
賢明な読者の方はお判りと思いますが、「個性」と「異常」はイコールではないのです。
いかなる個性も、社会生活をする上での、最低限の常識は備え持っている必要があります。

他人を疑っていては、自分ですべてをしなければならなくなります。
他人の個性を尊重し、他人を信ずることによって、分業化社会が成り立っています。
自分に合わない個性を嫌い排斥するのではなく、
それぞれの個性を尊重し、お互いに良い面を利用し合えばよいのではないでしょうか。


            この記事は2006.2.14.に投稿したものを元に訂正加筆し再投稿したものです。

命を大切に

自殺しようとした女性を助けようとした警察官が亡くなりました。
マスコミは、この危険をかえりみず職務を遂行した警察官の行為を褒め称えています。
安倍首相も「日本の誇り」と言い、その息子にも「お父さんを見習うように」言ったと言います。

私はこの報道を見て思ったのですが、そんなに自己犠牲にした行為が美しいのかと・・・。
まるで戦前の日本の教育を想像してしまいました。

自殺しようとした女性にも、警察官にも言えることですが、
もっと命を大切にしてほしいものです。
命の危険を冒してまで、職務を全うすることはないと思います。

マスコミの報道の仕方にも問題があると思います。
もし、この警察官が女性の自殺を制止せずに、女性が死亡し警察官が助かったとしたら、
マスコミはなんと報道していたでしょう。
「警察官はもう少し何とかできたのでは」と報道していそうです。

みなさんはどう思われますか。
警察官は危険な職業とは思いますが、
そこまで犠牲を強いることはないと思います。

鏡の不思議

鏡って不思議ですね。左右が逆に写りますね。
当たり前と言えば当たり前ですが、
それでは、どうして上下は逆には写らないのでしょうね。

この問題、どこかで聞いたのですが、どこでか忘れました。
しかし、この問題はずっと考え続けていますが、
いまだにすっきりした答えが見つかりません。

それらしい答えはあるのですが、
もっと単純に説明できそうに思うのです。
答えをご存知の方、教えてください。

事故してしまいました

もう二週間ほど前になりますが、追突事故をしてしまいました。
原因は私のわき見運転です。初めての人身事故になりました。

人身事故になるといろいろ厄介なことがあって、いろいろ勉強にもなりました。
まずは現場検証があって、事情聴取されるのです。
その後、書類を検察庁に送られて、免停期間や行政処分(罰金)が決まるそうですが、
免停は軽くて30日、罰金は10万円くらいになるそうです。

それで相手運転者の言うには、
「人身事故にして国に10万円やるより、人身事故にはせんからわしに10万円くれ。
そしたらあんたも免停にはならずに済む」というのです。

人身事故というのは、当事者にケガがあるかどうかで決まります。
ケガをしているのであれば、人身事故にすればいいし、
ケガをしていなければ、人身事故にする必要はありません。

上記のような相手運転者は、ケガはないに等しいのですが、
10万円を儲けるために「人身事故にするぞ」と脅しをかけているようなものです。

追突した立場で、そんなことは言えませんので、
「ケガがあるのであれば、人身事故にしてしっかり治療してください」といいましたが、
世の中には、いろいろの人がいるものですね。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ