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悪者になろう

私の家族はよく喧嘩をする家族です。
喧嘩の原因はというと、ごくつまらないことで、例えば
「久しぶりに外に食べに行こうか」
と私が提案すると、全員それに賛成するのはよいのですが
何を食べに行くかがなかなか決まらないのです。
妻は「すし」がいいと言い、息子は「カレー」という。
娘は「パスタ」が良いといいます。
私は私で「和食」が良いという有り様で、
みんな好きなことを言ってまとまりません。

そこで私が「誰か譲りなさいよ」というと
妻は渋々「パスタでいいわ」と譲ります。ところが
子供たちも「お寿司にするわ」と譲ります。
そしてまた喧嘩になるのです。

譲ることは良いことです。そのように教えられます。
我が家の喧嘩は一回譲ったまではよかったのですが、
その先またお互いが譲らないため喧嘩が収まらないのです。
お互いが教えられたとおり「良い人」であろうとして、
再度譲ろうとしないためです。再度譲ってしまったら
最初の自分を押し通すことになり「悪い人」になってしまうからです。

「譲る」というのは、自分を抑えて他を立てることですが、
我が家の場合はあくまでも自分を立てているのです。
良い人でありたいという自分の気持ちを立てているのです。
良い人であろうとすることは、いつでもトラブルを避けるための良い手段になるとはかぎりません。
本当に他を立てて譲るつもりなら、自分は悪者になって、
良い人でありたいと思っている相手の気持ちを立てる方が良いのです。

みなさんはどう思われますか。

                   この記事は2005.8.14.に投稿したものを再投稿したものです。

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もともと悪い人間はいない

テレビの報道番組などで容疑者の過去を追跡することがあります。
取材した結果、犯罪を犯すような人物像が見えてこなかったとき、
「ここではまやかしの過去を過ごしたのでしょうか」などと、
あたかもその容疑者は、もともと悪人であったかのような報道をします。

もともと悪い人間なんていません。
だれでも生まれたときは純真な心を持っていたのです。
それが成長の過程で、運悪く道をはずしてしまう人も出てくるのです。

このテレビ関係者は、たまたま運よく罪を犯すような状況に遭遇しなかっただけです。
人間誰でも状況によっては犯罪を犯す可能性を持っています。
その人にどういう運が回ってくるかわかりません。

それなのに容疑者はもともと悪人であったかのような報道は、
マスコミとしてしてはいけないことではないでしょうか。

食品の栄養価、気にしますか

最近納豆の栄養価についての捏造番組が話題になっていますが、
以前に食品の栄養価について、こんな記事をかいていました。

食品の栄養価についての情報番組が増えています。
ある食品が健康に良い、美容に良いと放送されると、
翌日には店舗からその商品がなくなる、というような騒ぎが、しばしば起きています。
最近では寒天がダイエットによいと放送されて、しばらく店舗から姿を消しました。
皆さんは、こういう話を信用される方ですか。

私はコーヒーが好きでよく飲みますが、あまり身体に良くないと思っていましたので、
「少し減らさなければ」と思っていましたが、
最近、活性酸素を抑制する効果があり、ガンや老化を抑える効果があるというので、
コーヒーを減らすという気持ちも少し薄れてきました。
しかし、私はまだこの話は半信半疑でいます。信じ切れません。

というのは、こういう話はくるくる変るからです。
栄養価がないとされていた食品が、こういう栄養素が含まれていた、などという話はよく聞きます。
アガリクス茸のように制ガン効果があるとされていたものが、
発ガン性があることが分かったなんていう食品もあります。

だから私は、こういう話は気にせずに、
美味しいと思うものをバランスよく何でも食べるようにしています

                   この記事は2006/3/22に投稿したものを再投稿したものです。

完璧なんてありえない

学校は完璧を目指して「間違えないように」と教えます。
また、「清潔にするように」と教えます。
つまり、あるべき姿を目指して教えます。

「約束は守らなければならない」「ウソをついてはいけない」
「食事の前には手を洗いましょう」「便所の後にも手を洗いましょう」
「そうしないとばい菌が体に入って病気になります」と教えます。
つまり、それらは悪い事でしてはいけない事と教えているのです。

あるブログで「友人が「子供が約束を守らないし、ウソをつくので、
その子供を虐待している」と相談を受けた」と言う記事がありました。
約束を完全に守り、ウソは絶対につかない人間なんてどこにもいません。
約束を破るのもウソをつくのも、生きて行く上では時には必要なことです。
この友人(お母さん)は学校で教えられた通りに子供を育てようとするから、
それが出来ない正常な子供を虐待してしまっているのです。

清潔にしなければ病気になると教えられ、その通りにしようとすると、
潔癖症になり、時には強迫神経症という病気になってしまいます。
多少ばい菌が体に入った方が、抵抗力ができていいのです。

何でも完璧というのはありえないのです。
むしろ完璧でない方が人間らしいと思いませんか。
もう少し、教え方にも工夫があっていいのではないでしょうか。

「本音」って何

「本音で話そう」などとよく言いますが、「本音」って何でしょう。
何かに対して思う気持ちは、一つとは限りません。
むしろ複数の気持ちを持つことの方が多いと思います。

例えば、子供がお菓子を持っていて、友達の子供に「お菓子、欲しい」と言われたとします。
お菓子を持っている子供は「お菓子が減る」とも思いますが、
「友達だし、お菓子、あげたい」とも思うと思います。
そして両方を天秤にかけて重い方を行動に移します。

別の例をあげましょう。
一生のうちには「あんなやつ殺してやりたい」と思うようなこともあると思いますが、
「殺したら警察に捕まる」と思って、たいていの人は殺すようなことはしません。
天秤にかけたら、捕まりたくないと判断したのでしょう。

よくある例で言えば、
人と話をしていて、相手の話に「同意できない」ときなどでも、
「相手と仲違いしたくない」と思って、相手の話に合わせることがあります。
やはり天秤にかけて、仲違いしない方を選んだのでしょう。

これら三つの例の「 」で囲った気持ちの、どれが本音でしょうか。
私は、天秤をかけて重い方、行動に移した方が本音だと思いたいのですが、
一般的にはそうでもなさそうですね。
私の考えでは「本音」にはならないですね。「本音」って何なんでしょうか。
みなさんはどう思われますか。

                   この記事は2005/8/30に投稿したものを再投稿したものです。

ウソを見破る方法

信号機の設置されている交差点で、出逢い頭の衝突事故があったとします。
事故当時の信号について、双方ともが青を主張したとしたら、
どちらかがウソを言っていることになります。

もし、この事故の目撃者がいなかったとしたら、
どのようにしてそのウソを見破ったらいいでしょうか。

このごろの信号は、他の信号と連動していることが多いのです。
ですから、運転者の事故前の走行経路や速度などを聞いて行くと、
ウソがばれる事が多いのです。

例えば、事故現場の交差点の手前の交差点で、
赤信号で停止していて、右折なり左折なりして当該道路を走行してきたとしたら、
現場の交差点は赤ですので、その人がウソを言っている事になります。

また、当該道路を直進してきた場合でも、直前に停止した交差点はどこか、
走行速度はいくらかなどを聞いてゆくと、ウソがばれる事もあります。

もし。事故を起こしてしまったら、状況は正確に話しましょう。
走行速度をごまかしたりすると、自分に不利にはたらく場合もあります。
ご注意を・・・・・・・。

女(男)らしさ

ちょっと前にはまだ女性解放運動というようなものがありましたね。
今でもそういう運動はあるのでしようが、あまり聞かなくなりました。
それもその筈です。最近の女性は強くなりましたね。
その分、男性が弱くなってしまいました。

女性解放運動(こういう名称かどうかは知りませんが)というのは、
男性に比べて女性は低く扱われて差別されているので、解放しようというものです。
その原因は、小さいときから女性は女性として、そのように躾けられ教えられているからで、
女性自身も「女なんだ」という意識を自然に身につけてしまっているというのです。

しかし、どうでしょう。最近話題の性同一障害の人などは、
生まれたときから男として扱われ、着るものから何から何まで男として育てられても、
「自分は女だ」という意識がなくならないのです。

私は思うのですが、人間には女と男の二種類があって、
女は女らしく、男は男らしく生まれ付いていると思います。
女は女としての役割があり、男は男としての役割があると思うのです。

この世の中、女も男も区別がなくなったら寂しくありませんか。
この世の中、女と男がいて楽しいのです。

容疑者の性格

最近はバラバラ事件などいろいろの事件が相次いでいますが、
マスコミは事件の背景を探る目的として、容疑者の性格まで探り、
それがあたかも悪い性格であるかのように報道します。

誰だって悪いところはあるものです。
性格なんて、悪く言えばいくらでも悪く言えるものです。
しかし、見方を変えればそれは良い性格でもあるのです。

その性格だから罪をおかしたのではないのです。
たまたま容疑者に悪いことが巡ってきただけです。
人間は誰でも機会があれば罪を犯す可能性を持っています。

マスコミが事件を報道するのはいいのですが、
容疑者の性格にまで立ち入って、それをどうこう言うのは間違いです。

もったいない精神と企業倫理

不二家が消費期限を一日過ぎた牛乳を使ってシュークリームを作ったと問題になっています。
消費期限切れをなぜ使ったか、「捨てるのがもったいない」からということでした。

我が家には、消費期限切れの牛乳が冷蔵庫に残っていますが、
やはりもったいないから捨てたりはしません。

この「もったいない」という気持ちはよく分かりますね。
日本国内で狂牛病の牛が発見されたとき、かなりの牛肉を焼却処分しましたが、
もったいないですね。だって肉は大丈夫なんでしょ。

この「もったいない精神」を企業の中でどこまで活かすかというのは難しい問題ですね。
食品の安全を考えると、多少厳しくなるのは仕方が無いようにも思います。

皆さんのご意見をお聞かせください。

「同じ」ということの意味

「これとこれは同じものだ」というような言い方をしますが、
「別のもの」二つを「同じもの」と言うのは矛盾していますね。
別のものなんだから違うものというのが常識なのに、なぜ同じものなのか、
その「同じもの」という理由というか、その意味はどこにあるのでしょう。

二つのものの姿・形が同じだから「同じもの」なのでしょうか。
赤いノート、黄色いノート、大きいノート、小さいノート、分厚いノート、薄いノート、
姿・形は違いますが、同じノートですね。
ものを書き留めるという機能が同じだから「同じもの」なのでしょうか。

国語のノートと算数のノート、赤いノートと黄色いノート、
同じノートでもありますが、違うノートでもありますね。
赤い色と黄色い色は違う色ですらかね。
同じものでもありながら、同じものではないのです。

私たちはものを見るとき、たえず他のものと比較しながら見ています。
赤いノートは黄色いノートと比較してみているから違うものなのです。
それでは赤いノートも黄色いノートも同じノートと見るときどうなのでしょう。
それはノートと違うもの、例えば本と比較しているから、
赤いノートも黄色いノートも同じノートなのです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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