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コーヒーの飲み方

「コーヒーの飲み方」の投票結果発表です。

約二ヶ月間にわたって投票をお願いしましたが、
その結果は、次の通りです。

   1、しゃれたお店で雰囲気とともに飲む 13.3% 10人

   2、スターバックスで飲む        21.3% 16人

   3、自宅で豆を挽いて飲む        33.3% 25人

   4、自宅でインスタントコーヒーを飲む 25.3% 19人

   5、コーヒーを飲まない         6.7%   5人

予想では、自宅でインスタントというのが多いとおもっていたのですが、
自宅で豆を挽いてという人が75人中25人と三分の一を獲得し、トップでした。

この投票の問題点は、選択肢が五つまでしか作れないことです。
コーヒーの飲み方もいろいろで、五つだけでは入り切らないものもあり、
どこへ投票してよいか分からないというご意見もありました。

それから、発表してしまってからの訂正ができないのも問題です。
私は「お店」を「お見せ」と変換間違いをしてしまったのですが、
訂正できないまま、終わってしまいました。

以上、ご報告まで、

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法律を犯さなければ良いというものではない

最近、法律を扱ったテレビ番組が増えてきています。
具体的な事柄を例にして、それが罪になるかならないか、なるとしたらどういう罪になるのか、
などを話題にして、クイズ形式で番組を進めてゆくものですが、
なかなか素人には答えが分からないものです。
だからこそ、こうした番組が成り立つのかもしれません。

なかなか答えが分からないということは、
その事柄の善悪が分かりにくい、罪になるともならないともとれるということです。
なのに、その分かりにくいものを、弁護士先生が法律の網を掛けて、どちらかに決めてしまうのです。

その結果を聞いて「なるほど」と納得することもあれば、
「へえー、そうなん?」と意外に思うこともあります。
ときには、「それなら、こうしたらごまかせる」「こうしたら罪にはならないのか」などと、
良からぬことを考えたりもします。

法律さえ犯さなければ、それで良いという考えが、こうした番組の裏にはあるようですが、
それは問題があるのではないでしょうか。
事柄の善し悪しと、罪になるならないかはイコールではありません。
悪い事の一部分だけが罪になるのです。

例えば、ウソは概して悪い事ですが、ウソをついたらいつでも罪になるとは限りません。
ウソをついて金品を騙し取るなどしたときに罪になるのです。
仮病を使って会社を休んでも、悪い事ですが罪にはなりません。

ある有名な詐欺師の愛読書が、六法全書だったという話を聞いたことがありますが、
法律を犯さなければ何をしても良いとは、私は思いません。
もう少し番組のあり方を考えた方がよいのではないでしょうか。


             この記事は2005/10/16に投稿したものに加筆訂正して再投稿したものです。

「凍結注意」の看板

今年は暖冬のようで、寒さもそれほど厳しさがありませんが、
それでも路面の凍結には注意が必要な季節になってきました。
道路の傍らには路面凍結防止剤がつまれて、「凍結注意」の看板も立ちました。

この看板、私はあまり役にたたないと思っています。
実際に路面が凍結していることがほとんどないからです。
看板を真に受けて、のろのろ運転していたら、後ろがつかえてしまいます。

看板はまだ許せますが、気温の表示とセットになった電光掲示板、
あれは気温とは関係なしに「凍結注意」と表示されているように思います。
せっかく気温とセットになっているのですから、何度以下になったら表示するというように、
少しでも実際に近い表示をしてほしいものです。

もっと許せないのは、渋滞情報なども表示できる大きな掲示板です。
何も情報がないときなどに、「凍結注意」などの掲示がでますが、
実際に凍結しているとは限らないのです。
あれは時々刻々変化する道路の情報を掲示できるのですから、
凍結情報も実際に凍結しているときに掲示できるようにしてほしいものです。

でないと、「凍結注意」と掲示されていても「また適当に言ってるわ」と思って、
実際に注意することはなくなってしまいます。
実際には、出掛けに天気予報などから凍結しているかどうかを判断しています。
「凍結注意」の看板は役に立っていないのです。

やがて日本が夕張になる。それを救う方策は・・・

夕張の町が破綻しました。年収の9倍の借金があるそうです。
夕張市民はこの借金を返さなければならないのです。
その大変さ加減はテレビ報道などでご存知と思います。

ところが日本自体がもっと大変な状態にあるのです。
年収の18倍もの借金があるのです。
これが一般企業ならとっくに破綻しています。

こうなった原因は、借金(つまり国債)に頼った経営を続けてきたからです。
収入(つまり税金)を増やすと選挙で票がもらえないからです。
ということは国民自体がこういう状況を作ってきたことになります。
この借金はいずれ国民が返さなければならないものです。

今一気に借金を返そうとして、夕張と同じ状況を国民に求めると大混乱になります。
借金で裕福な生活に慣れてしまった者には耐えられないことでしょう。
しかし、痛みを伴わずにこの状況から脱出することはできません。

今一気に税金を増やすと、せっかく回復した景気にも影響が出てきます。
そこでこの状況から脱却する方法として、亀井静香氏が提案したものが有効と思います。
その方法というのが金利ゼロの国債を発行することです。

もちろん、何でもかんでも国債というのではなく、
現在の借金の利息と償還のためだけの国債で、
金利ゼロにする事で事実上借金を棚上げにしようというものです。

国を救うためにその国債を買おうという人があれば、それもいいですが、
そんな人はいないと思いますので、その国債は日銀が買うことなるでしょう。
もちろんこの方法はインフレをもたらす事は確かですが、
その程度の痛みはやむを得ないと思います。

一気に借金をこの方法で返すのではなく、状況をみながら調整をして行けば、
もっとも混乱はすくなく、日本を救えると思うのですがいかがでしょうか。

自然保護運動のあり方

京都の市街地の北部に深泥池(ミドロガイケ)という池があります。
珍しい水生動植物が生息しているとのことで、天然記念物に指定されています。

池の三分の二は山に囲まれていますが、三分の一は市街地と接しています。
この市街地と接しているところに幹線道路が通っているのですが、
この道路が狭くて、接触事故がよくあります。

そこでこの池を埋め立てて道路を拡幅するという計画があるのですが、
自然保護団体の反対で実現の見通しが立たないのです。

ところが最近池がかなり荒れてきました。
池の中には外来魚のブルーギルが繁殖しているという話も聞きました。
このまま放置すると天然記念物の指定が解除されるのではないかと心配されます。

私は思うのですが、道路を拡幅したい人は、天然記念物の解除を待っているでしょう。
ブルーギルを放流したのも、そういう人たちの仕業だと推測しています。

近隣の住民にとっては、池によってもたらされる自然の恵みはありがたいですが、
一方で道路が狭くて危険なのも何とかしたいものです。

自然保護か人間の生活かというジレンマに陥ります。
増えすぎてしまったシカやサルの被害のニュースでも同じですが、
自然保護もほどほどにしなければ、何のための自然保護か分からなくなります。

池の話に戻りますが、道路の拡幅は認めて、自然保護の応援者(支持者)を増やし、
その代わり池が荒れるのを積極的に防ぐ方策を考えてゆく(現状は放置)のもいいのではないでしょうか。

交差点内からの発進

原則として交差点内は駐車禁止ですが、
分かっていても駐車しなければならないのが日本の道路事情です。

交差点内に駐車をしたとして、今度は発進することになりますが、
もし、その交差点が信号機のある交差点だったらどうでしょうか。

自分が進みたい方向が青だったら、当然そのまま進みますが、
もし、進みたい方向の信号が赤だったらどうしますか。

答えは、そのまま進んでもいいのです。
もちろん、安全を確認することは必要ですがね。

その他、右折とか左折とかいろいろのケースがありますが、
Uターンしない限りは、どのような方向にも進むことができます。

ただし、どのような方向に進むにしても、通常の走行とは異なり、
危険な行為ですので、十分注意して発進する必要があります。

殺菌効果のある商品のコマーシャル

殺菌とか除菌効果のある商品のコマーシャルで、
その商品の効果を示すのに、アニメで映像が出ます。
最初は菌らしい映像が出て、商品を投入し、その後菌が消えて行くわけです。
たいていの映像は、菌が徐々に消えて行き、完全に菌が消える直前に画面が変わります。
それを見ているものは、画面がもう少し続いていたら、菌は完全に消えると誤解します。

どんな商品も完全な殺菌・除菌効果のある商品はないと思うのですが、
だから映像も、完全に菌が消える前に切り替えるのだと思います。
しかし、実際見ている者は、完全に殺菌できるものと誤解してしまいます。
それを信じて、その商品を使ったら、大きな間違いをおかす可能性があります。

その商品は、殺菌効果が完全ではないことを、はっきり示す必要があると思います。
単に、菌を少し残すという消極的な方法ではなく、
「殺菌効果は完全ではない」とはっきり明記するようにして欲しいものです。

スポーツと芸術の関係

芸術は、作者の感動を作品に込めて、
鑑賞者にもその感動を体験してもらおうというものですが、

スポーツは、競技する人(芸術での作者)は感動的な競技をしたいと思っても、
一回きりの競技であるため、必ずしも感動的な競技ができるとは限りません。
したがって観客(芸術での鑑賞者)も、いつでも感動できるとは限らないのです。

しかし、芸術もスポーツも、
感動を求めて作られるものであるという点では共通しています。

スポーツは、人間が競技するものですので、
芸術では、舞台芸術(演劇など)に近いものと言えます。

スポーツと芸術の違うところを上げれば、
スポーツは勝ち負けを競うものですが、
芸術にはそういう要素はありませんね。

世界を認識する方法

生まれてきたこの世界、考えれば考えるほど不思議に思えてきます。
この世界の構造はどうなっているのか、この世界を動かしているのはなにか、
この世界で生きるのに、何を基準にしたら良いかなど、
いろいろの疑問がわいてきますが、その答えを得る第一歩が世界の認識です。

認識する方法を論ずるのが認識論ですが、過去のそれには深入りしないことにします。
私も詳しいことは知りません。
私たち人間には、「世界」と接触する窓口として、感覚器官が与えられています。
いま「世界」と言いましたが、それは正確には世界の半分です。
残りの世界の半分は、自分の心です。この心は自分の心自身が内観することで認識します。

心については、とりあえず置いておいて、分かりやすい心の外の世界について説明します。
目で外の世界を見たとき、そこに何かがある感じるためには、対比する何かがなくてはなりません。
つまり感じている何かとそうでない何かを比較し、それを分けることによって認識します。
認識するというのは、このように対比するものとの違い(関係)を認識することでもあります。

物理学はこのようにして世界を分割し、その分割したものの間にある関係を説明したものです。
それに対して哲学は、ものの「本質」を探ろうとします。
しかし、いかに感覚器官で観察しても「本質」などは見えません。
見えるのは対比するものとの違いだけです。

使用前使用後

カツラなどのコマーシャルで、カツラを装着しない状態と、
装着した状態を並べて映像が出ることがあります。
つまり使用前と使用後を比較して見せる訳ですが、
使用前は澄ました顔で写っていて、使用後は微笑んでいます。
あれは違反ですよね。

商品のカツラを使用したときの印象をよくするために、
微笑んで明るく見せようという意図が見え見えですね。
あれは両方とも微笑まないと比較にはなりません。

あれにクレームをつける人はないのでしょうかね。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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