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NOVAのコマーシャル

最近よく見かけるNOVAのコマーシャルですが、
あれを見ていると何とも苛立たしい気持ちになってきます。

外人が公園で、遊具か何かの下敷きになって抜け出せず、
英語が何語かしらない外国語で助けを求めているのですが、
それを見た若い女の子が、言葉の意味が分からないので、
助けを求めている外人を放置して、
NOVAへ行ってしまうという筋書きのコマーシャルです。

常識的に判断すれば、状況を見れば助けを求めている事は歴然と分かるのに、
助ける事はせずにNOVAへ行かせる、そんな馬鹿げた筋書きを考えた責任者、出て来なさい。
「見たら分かるやろ」と言いたい。
あんなコマーシャルは「困っている人を見ても放置せよ」と教えているようなものです。

粗製乱造の安っぽいドラマみたいなもので、
つじつま合わせの強引なストーリーの作り方は、
見ているものを苛立たしい気持ちにさせますね。

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他人の良さが分からないと自分の良さも分からない

特に若いときは自分というのは絶対で、自分の価値判断が正しいと思っていました。
自分の価値観と違う価値観の人は理解できず、嫌ったものです。
そのくせ、自分に対しては高い価値基準をつきつけ、
それができないことを嘆き、自分自身を嫌ってもいるのです。
人間(自分)というものは複雑なものです。

価値というのは絶対に正しいというものはありません。
ある場面では良くても、ある場面では悪くなったりします。
だからそれぞれに良さはあるということです。

少し成長してくると他人の良さが見えてきます。
自分にはない良さを持っている人をうらやんだりします。
さらに一歩進めて、どんな人にもそれなりの良さがあるものだと思えてくると、
自分にも良さがあることに気づくようになります。

自分が絶対ではない。かと言って自分を卑下することもない。
みんなそれぞれ良さがあり、自分もその中の一員であることに気づけば、
この世界は案外住み良い世界だと思えてきます。
他人の良さが分かって、自分の良さも分かるのです。

「愛」について

「愛」という言葉にはいろいろの意味があるようですが、
ここでは人と人の間の思いやりの心に限ってお話したいと思います。

「愛」とは人と人の間に生ずる心の状態の一つで、
人間同士の良い関係を表す言葉が「愛」です。
もう一方に「憎」という心の状態もありますが、
これは人間同士の悪い関係を表す言葉です。

いずれにしても「愛」というのは人と人の良い関係で、
親の子に対する愛、男女の愛、兄弟愛、友情などいろいろの形があります。
人間が社会を形成するためには、絶対に欠かせない心の状態が「愛」です。
「愛」があることで人間は深く結ばれ、社会も強固なものになります。

「愛」はまた欲望が絡まりついているものとして、
理性的には嫌われる対象ともなっています。
仏教においても「愛」は「欲望」と解釈されています。

一旦停止の意味

逆三角形の赤い標識のある交差点や、
信号の赤の点滅している交差点は、一旦停止の義務がところです。
こういう交差点では、停止線のところで一旦停止してから発進しなければなりませんが、
それだけでは一旦停止の義務を果たしたことにはならないのです。
左右を確認して安全であることを確認してから発進しなければなりません。

こうした交差点で事故が起きたとき、
よく「自分は一旦停止してから発進したのだから事故の責任はない」と主張する人がありますが、
事故が起きたということは、安全確認が十分でなかったということですので、
一旦停止の義務が果たせていなかったということになります。
当然事故の責任はあるのです。

まず、こういう一旦停止の義務のある交差点では、
いかなる理由があろうと、事故が起きたら責任が問われると思って間違いありません。
実際に一旦停止していようといまいと、一旦停止の義務を果たしていないと判断されます。
そういう交差点であることを頭に入れて、交差点を通過する必要があります。

優しさは言葉で示そう

人は見かけにはよらないと言いますが、
本当は優しい人なのに、ちょっと見たところ冷たく見える人ありますね。
長く付き合っていると分かるのですが、それまでは誤解されたままです。
言ってみれば、損な性格ですね。

よく優しい心を持つ事の大切さは言われますが、
その優しさは言葉になって表れ、態度で示されて初めて生きてきます。
優しさを心に秘めていても、何の役にも立ちません。
逆の言い方をすれば、表に現れればたとえ嘘であっても役に立ちます。

自分を表現することが下手な人というのは割りと多いものですが、
しかし、優しさは持っているだけでは役には立ちません。
優しさを言葉で表し、態度で示して役立てましょう。

神も仏も同じもの

日本では赤い色のことを「アカ」と言います。
でもイギリスでは赤い色のことを「レッド」と言います。
言葉は違いますが、その言葉が指しているものは同じものです。
それと同じで「神」も「仏」も言葉は違いますが同じものなのです。

こんなことを言うと、宗教関係者からは猛反発がありそうですね。
ここが違う、あこが違うと具体的な例を上げて反撃されます。
しかし、それはその宗教が生まれた土壌に基づくもので、本質的には同じなのです。

例えば、日本で言えば赤いものはなんでしょうね。
リンゴなどの果実でしょうか。あるいは花などの色でしょうか。
しかし、ある国に行けば、それは鳥の羽の色かもしれません。
リンゴの説明と、鳥の説明では当然異なります。
だから同じ赤い色を説明するにも、説明の仕方は変わってくるのです。

神仏についても同じです。
それを説明するのに、それを取り巻くいろいろのものから説明しますから、
その風土・土壌によって違ったものになるのです。

先日、国立京都国際会館で世界宗教者平和会議が開かれましたが、
芳しい成果は得られなかったようです。
現在の宗教が現状のままである限り、宗教の違いによる争いはなくならないでしょう。
今一度真剣に考え直してほしいものです。

ボケるということ

人間は生まれたときには何の力もありませんが、
成長するにしたがって精神的にも肉体的にも力がついてきます。
何でも自分でできるようになり、夢が生まれ希望がわいてきます。
そして自我が完成しますが、同時に死への恐怖の気持ちも生まれてきます。

ところがさらに年を経ると、まず体力が落ちてきます。
それから記憶力も落ちてきます。
夢は細り、希望はしぼんできます。
だんだん人の手を借りなければ生活ができなくなってきます。

肉体や精神力に支えられていた自我も崩れてきます。
後は死を迎えるのみとなります。
自分の役目を終えたことを覚ります。

自我を辛うじて維持して、プライドを保っているご老人もありますが、
そういう人は近づきつつある死の恐怖と立ち向かっています。
一方で自我をそぎ落とし、ボケてゆく老人もあります。
そういう人は自我と共に死の恐怖も落ちて行きます。

ボケる事は自我も無く死の恐怖もなかった子供の頃に戻る事です。
そしてやがて赤子のようになって死んでゆくのです。
生まれる前の世界にもどったのです。

美味しいリンゴの見分け方教えてください


秋ですね。実りの秋ですね。
果物がいっぱい出てきました。
果物は何でも好きなのですが、リンゴだけはあまり食べません。
その理由は外観だけでは味が分からず、あまり買わないからです。

酸味も個体によって(というかその時によって)かなりバラツキがあるし、
私は取り立ての新しいシャキッとしたのが好きですが、
少し時間の経ったものは、もさもさして美味しくありません。
これらは外観を見ても分かりません。
また、品種で選んでも、その時によってかなり味に差があります。

そんな訳で、我が家ではリンゴをあまり食べません。
美味しいリンゴの見分け方を教えてください。
私は酸味が少なめの新しいシャキッとした歯ざわりのものが好きです。

公務員だからではない

最近公務員の犯罪が目立って報道されている。
福岡の公務員飲酒運転による子供3人の死亡事故、
京都市職員による度重なる事件など、ニュースをにぎわしています。

そうしたニュースを報道するとき、
よく「範を示さなければならない公務員」が犯罪を犯したと、
罪の度合いが増したかのような報道をしています。

私は何も公務員の犯罪を擁護するつもりはありませんが、
なぜ公務員なんでしょうね。別に公務員でなくても犯罪は許されません。
犯罪がいけないのは公務員だからではありません。
そういう誤解を招くような報道のあり方こそ、改めてほしいものです。

「赤」でも行ける交差点

幹線道路によく押しボタン式の信号が設置されています。
そうした交差点の信号は、通常は「黄」の点滅信号になっています。
そして交差する道路の信号は、歩行者用の信号のみのこさが多く、「赤」になっています。

幹線道路を横断したい歩行者は押しボタンを押します。
そのとき幹線道路側の信号は「青」に変わり、やがて「黄」になり「赤」になります。
そして交差側の信号は「青」になり、歩行者が横断します。

この交差点の幹線道路でない側を、車で通りかかったらどうしますか。
歩行者がいないときは幹線道路側は「黄」の点滅信号ですので、
注意しながら交差点に進入しますが、歩行者のいるときはどうしますか。
つまり、交差の幹線道路側は「青」信号になっているときのことます。
私はこれまで歩行者用の信号が「青」になる(幹線道路側が「赤」になる)まで待っていました。

ところが昨日警察で確認したところ、車はいつでも交差点に進入できるのだそうです。
つまり信号が「赤」でも信号無視にはならないということです。
もちろん安全である事を確認する必要はありますがね。
ただし、車用の信号が設置されているときは、それに従わなければなりません。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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