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心は脳の中にあるか

「心」と言われてどんなものを想像されますか。
胃が痛いときのあの「痛さ」の感覚が心でしょうか。
風景を眺めているとき、写真と同じように見えている「景色」が心でしょうか。
数学の計算をしているときのあの感覚が心でしょうか。

もしこれらが心だとして、
心が脳の中にあるということになると、
それら「痛さ」や「景色」が脳の中になければなりません。

ところが生きた脳を開いて探してみても、それらはどこにもないのです。
そこにあるのはニューロンという神経細胞の連絡網で、
ニューロンとニューロンのつなぎ目では、化学変化や電気信号という物理変化が起きているだけです。

そうした物理変化からどのようにして「痛さ」や「景色」が生まれるのでしょう。
未だその仕組みは解明されていません。

しかし、遠い将来にそれらの仕組みが解明されて、
「痛さ」や「景色」を感ずる事ができるようになったとします。
「景色」はどこに映るのでしょうか。「痛み」はどこで感じるのでしょうか。

脳内の化学変化や電気信号をキャッチして、そこから「景色」を作り出すには、
映写機やスクリーンに相当するものが必要です。
神経細胞は脳内に存在するものです。化学変化や電気信号も脳内で起きています。
しかし、映写機やスクリーンは脳内のどこにもありません。
どこにもないにもかかわらず、「景色」を感ずることができるのです。
いったい「景色」として感じている「心」はどこにあるのでしょか。
「心」は本当に脳の中にあるのでしょうか。

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人生時には開き直りも必要

人生いつでも上手く事が運ぶとは限らない。
思ったように行かない事はしばしばです。
ちょっとしたことが切っ掛けで失敗してしまうこともあります。
自分としてはそのつもりでなくても、結果として悪い事をしてしまうこともあります。

自分が真面目であればあるほど、それは許せないことです。
自分を責め、人にも顔向けができなくなって、引きこもってしまいます。
時には自ら命を絶ってしまったりします。

そんなときの立ち直り方の一つが開き直りです。
人間誰にだって失敗はあるものです。
「一つくらいの失敗がどうした」と開き直ってみることです。

人生時には開き直りが必要です。
開き直りが行き詰まりを打開してくれるのです。

異常は個性

私たちは普通でないものに違和感を持ち、排斥しようとする傾向があります。
時には異常は悪と判断することもあります。

異常とは普通でないことですが、それでは普通とはどういうことでしょうか。
みんなと同じ状態でしょうか。違いますね。中には違う人がいますね。
ということは、大多数の人と同じということになるのでしょうか。

多ければ良いのでしょうか。多い方が正しいのでしょうか。
そうとは限りませんね。

私たちは普通を前提にして物事を考えがちです。
普通でないと忌み嫌う傾向がありますが、
普通でないということは単に少数派だというだけです。
それは一つの個性なのです。

醜い容貌で袋を被っていたため、エレファントマンと言われていた実在の人、
映画にもなったので知っている方も多いと思いますが、
当初は知能は劣っていると思われていたのですが、聖書を理解する普通の人だったのです。
そのエレファントマンは「普通でないということがそんなに悪いことですかね」と言いました。

普通でない、つまり異常だからと言って、それだれで差別するのは大きな間違いを犯します。
それは一つの個性として受け入れなければなりません。
もちろん、病的な異常については治療しなければなりませんが。

凡人の生き様に目を向けよう

学者の先生方は、科学や芸術といった人間の知的行為に興味を示し、
凡人が毎日会社でどのように仕事をしているかとか、
間違えたときにどのようにして回復を図っているかとか、
日常の実生活での人間の有り様には関心がないのです。

机の前で腕組みをして考えてみても、思い浮かぶのは貧弱なものです。
ときどき哲学書などを読んでいて思うのですが、何と馬鹿げたことを考えているのかと。
街に出て凡人の生き様を見れば、そこにはいろいろの場合のいろいろの考えがあります。
そこには思いもしなかった発見があります。

私はみなさんのいろいろの場合のいろいろの考えが聞きたいのです。
どんなご意見も歓迎です。
また、ちょっとした疑問や、取り上げてほしい問題などもありましたら、
遠慮なく言ってください。できるだけご希望にそえるようにします。

人生は楽しい

「楽しい」という言葉からイメージすることは、
自分の好きなことをしているときとか、笑いに満ちているときなどですが、
生きている間には、楽しいことばかりあるとは限りません。
心配ごとや苦しいこともあるでしょう。

私は釣が好きですが、ハオコゼという刺されると激痛がする魚がよく釣れます。
これに刺されると耐えられない痛さに襲われます。
こんなとき私は「今指先が痛いのは、生きている証拠だ」と思うのです。
そうすると痛みが少し和らぎます。

私はときどき、心配している自分や苦しんでいる自分を客観的に眺めてみます。
そうすると、その心配ごとがつまらないことだったり、
その苦しみが自分の独りよがりだったりすることに気づくのです。
そして、自分は今こうして生きることを楽しんでいるのだと思えてきます。
過ぎ去ってしまった事は懐かしく思い出せる、それと同じ気持ちになれます。

幸福について、パート2

幸福になりたいと思わない人はいないと思いますし、
不幸になりたいと思う人もいないと思いますが、
現実には、幸福だと思っている人は少ないし、
不幸だと思っている人もかなりあるようです。

ということは、希望が満たされていない人が多いということでしょうか。
しかし、死の間際になって「不幸だった」と思う人はどのくらいあるでしょうね。
振り返って見れば「幸福だった」という人が多いのではないでしょうか。

今前を向いて生きている人間は、今より上の幸福を求めて生きているのだと思います。
生きるということは、そういうことではないでしょうか。
幸福を求めなくなったら、立ち止まることになります。

幸福を求めて前を向いている限り、今の幸せはみえません。
立ち止まって振り向いたとき、幸せが見えるのです。
自分は幸せな道を歩んできた事が見えるのです。

個性によるアドバイスの違い

世の中にはいろいろの個性の人がいます。
叱られた方が仕事ができる人、褒めてもらった方が仕事ができる人、
当然のことですが、アドバイスの仕方は違ってきます。
アドバイスを間違えると、全く逆効果になります。

ブログでも同じ事が言えます。
私は「自分に正直にいきるな」という記事と、
「そのままの自分でいい」という記事を書いていますが、
これは全く逆のことを言っています。

「自分に正直にいきるな」では、自分の気持ちをそのまま行動に移してはいけないと言っていますが、
「そのままの自分でいい」では、自分の気持ちをそのまま肯定するように言っています。
全く逆のことを言っています。
しかし、言っている対象は全く異なる個性の人なのです。

「自分に正直に生きるな」は、我がままで自分に正直であれば何でも正しいと勘違いしている人に、
「そのままの自分でいい」は、人に気を使ってばかりで、対人関係に悩んでいる人に、
それぞれ書いたものですが、受けとる人によっては逆効果にもなります。

だからこうした記事を書くときには、その対象を明記するのが良いと思います。
記事の効果を上げるために、レトリックに表現することもありますが、
逆に言えば、対象を間違えれば、無責任な発言と受け取られてしまいます。
こういう場合はなお注意が必要です。

大切なのは今

過ぎ去った過去を振り返って何になるのでしょう。
過去はもうここにはありません。

来るべき未来に不安を感じて悩むのは止めましょう。
未来はまだここにはないのですから・・・。

あるのは今だけです。
今幸せならそれでいいのです。

死ぬのが怖いと思っていませんか。
でも今あなたは生きています。それでいいのです。

大切なのは今です。
今が幸せならそれでいいのです。

時にはプライドを下げよう

よく「プライドが許さない」と言いますが、何が許さないのでしょうね。
「プライド」とは、日本語では「誇り」とか「自尊心」という意味になりますが、
もっと平ったく言えば、自分が人より優れているという気持ちのようです。
「プライドが許さない」とは、
優れているという気持ちを維持したいという強い気持ちの表現ということになります。

プライドが保てないときとしては、言葉でプライドを傷つけられたときとか、
会社での昇進が思うようにいかなかった時とか、いろいろあると思います。
こうしたことが切っ掛けで、自殺したり、争いごとになったり、
国家間であれば、戦争になることもあります。
このようにプライドというのは、争いの根源のように思われます。

プライドはいつでもある一定の高さを維持しなければならないものとすると、
争いは避けられないことになります。でなければ、自信喪失してしまいます。
しかし、いつでも同じ高さに維持することは、それほど重要とは思えません。
人間の趨勢には波があり、国家の趨勢にも波があります。
ときにはプライドを下げて、争いを避けることも必要と思います。

プライドを下げたからと言って、自信喪失することはなく、
波の山から谷に移動したと思えばよいのです。
また自信は取り戻せます。

「昔は良かった」か?

「昔は良かった」とよく言います。
テレビなどでも、子育ての出来ない母親の話などで、
「昔は近くに世話好きなおばさんがいて、こういうときはどうすると教えてくれた」と、
あたかも昔はいい時代で今は悪い時代と決め付けた発言が聞かれます。

江戸時代の書物にも「昔は良かった」ということが書かれているそうですし、
いつの時代にも「昔は良かった」と言い続けてきたように思います。
だとすると人間は、悪い方向に向かってきたことになりますが、どうでしょうか。
人間が進歩しているかどうかについては、いろいろご意見があるとは思いますが、
少なくとも、江戸時代より現代の方が生活水準は向上しているように思います。

「昔は良かった」という言葉は、ある程度時代を経験したものの言葉ですが、
新しい時代に付いてゆけなくなったものが発する言葉のように思います。

温故知新という言葉があります。古いことから新しいことを知るのは良いですが、
「昔は良かった」という言葉からは、何も新しいものは生まれてきません。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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