FC2ブログ

人生の迷いの原因

哲学や宗教に心が向いている人の多くは、外的な原因も無いのに、
自信を失い、人生に迷っている人が多いように思います。
それも一つの個性と言えば個性ですが、
おそらく、人生についての次のような疑問があるからだと思います。

力に任せて進んで、それでどうなるというのか。
欲望なんて限りがないのに、欲望に任せて突き進んでどうなるのか。
何のために生きているのか。何を目標に生きたらよいのか。
果たして生きることに意味があるのか。など、

人間誰でも一つや二つは好きな事があると思います。
理屈ではなく、生まれながらに持っている性格というか個性です。
これが社会の中でのその人の役割です。
この自分の個性を生かして、社会の一員となることが、すべての人間に与えられた道です。

もしあなたが自信を失い、人生に迷っているとしたら、
この与えられた個性が生かせていないからではないでしょうか。

スポンサーサイト

相対的存在論

先に「[http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/37695684.html
世界は相対的に存在している]」という記事を書きましたが、
そうだとすると、従来の哲学での存在論はどう変化するのかについて、
簡単に述べてみたいと思います。

哲学的(一つの例)には、物はそれ自体として独立に存在しており、
他のものに依拠してつけたり的に存在するものではないとされています。
それを「実体」と表現されますが、
相対的に物が存在するとすると、そうした「実体」というものはなく、
比較するものとの関係で存在するということになります。

言い方を変えれば、一体物というものは何であるかといういわゆる物の本性については、
従来の哲学では「本質的存在」として、捉える傾向がありますが、
それとて物が無い状態「無」との相対的な存在であることは否定できないのです。

哲学(一つの例)というのは、以上のように
物というものの実体・本質に迫ろうとする傾向がありますが、
相対的存在論では、物そのものを突き詰めることはせず、
比較する他のものとの差異を示すことによって、
そのものを特定してゆくことになります。

一つの例として、私は「心の働き」という記事のなかで、
心を八つの種類に分けましたが、
それぞれの心を位置づけるのに、他の心との相違を示すことで行っています。
「[http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/24124813.html
心の働き]」と八つの心、合計九つの記事を読んでみてください。

暴走族の人権

暴走族が暴走行為をしている映像が、よくテレビなどで放映されますね。
しかし、そのとき顔やナンバー・プレートを隠して放映されます。なぜなんでしょうね。
当に今暴走という違法行為を行っているのであり、それが間違いである可能性などはないのです。
顔やナンバー・プレートを隠す必要はありません。
少年かもしれないからでしょうか。それならゴミ屋敷の住民はどうでしょう。
やはり顔は隠されますが、少年である可能性はありません。

テレビや週刊誌などでは、もっと保護されなければならないと思われる人権が侵害されています。
それが間違いである可能性が残っているのに、堂々と報道されています。
そちらの方こそ問題にしなければならないことです。

暴走行為のように今当に違法行為をしている者に、どんな権利があるのでしょうね。
それこそ顔など隠すことなく報道すればよいのではないでしょうか。

リー・オスカー


「梅雨」というとあまり良いイメージはありませんが、
「雨」というと何かロマンチックなイメージもあって、雨を歌った曲も沢山あります。
私が「雨」といってまず思い浮かべるのが、リー・オスカーの「ビフォー・ザ・レイン」です。

リー・オスカーはハモニカ奏者で、ジャンルはジャズと分類されることが多いですが、
親しみやすい曲が多く、私はポップスに分類したいですね。

このリー・オスカーの「ビフォー・ザ・レイン」は8分と長い曲ですが、
ミディアム・テンポの心地よい雰囲気の曲で、
チェロを中心とした弦のイントロに始まり、リー・オスカーのハモニカが主題を奏でます。
私は最初のチェロのイントロを聴くだけで、ぞくぞくしてきます。
そして最後にかなり強い雨が降ってきて、曲は終わります。

上の写真は、新しいベスト・アルバムですが、
「ビフォー・ザ・レイン」は再録されたものだそうです。私はまだ聴いていません。

自分に正直に生きるな、パート2

光市母子殺人事件に最高裁の判決が出ましたが、
改めて自分に正直に生きるな、という気持ちを強くしました。
この事件の被告は、きれいな女性を見て犯してしまったのですが、
どこかに「自分の気持ちに正直に生きただけ」という思いがあるために、
反省の気持ちが我々に伝わって来ないように思います。

男として自分の気持ちに正直に行動すれば、この被告のようなことになってしまいますが、
おそらく「自分に正直に生きよう」と思っておられる方でも、それは許されないでしょう。
ということは、ある部分では正直に生きてはいけないと思っておられる訳です。

人間誰でも、すべてに正直という訳ではなく、ある部分は自分を覆い隠しているのだと思います。
どの部分をどこまで覆い隠すかで、その人の個性が決まります。
最低限法律は守ろうという人、社会的規範も守ろうという人、
他人を傷つけないようにしようという人、自分を犠牲にしてでも他人に喜んでもらおうという人、
その他、いろいろの個性があると思います。

つまり「自分に正直」は絶対に良いことという訳ではないということです。
それを勘違いして、正直に生きることを信条としている人があります。
そしてそれを人に勧める人がありますが、
それには「ある部分は正直ではいけない」という制限があることを忘れてはなりません。

凡人を目指して

タケヤ味噌のコマーシャル見た事ありますか。
森光子と大きなおわんが出てくる、あのコマーシャルです。
おわん曰く「味噌汁飲むと身体にええことありますよ。研究で結果でてますから・・・。」
何ともこのおわん、「凡人」だとは思いませんか。
単純・明快で分かり易い、私はブログでこれを目指したいですね。

娘にこのおわんの話をしたら、「単純・明快はええけど、説得力に欠ける」と一言、
「そうか私のブログは説得力に欠けるか」、と反省しました。
分かり易さに説得力プラスを目指して頑張ります。

人間の脳の素晴らしさ

同じ言葉でも全く異なった意味をもつことがあります。
いわゆる多義な言葉ですが、こんな多義な言葉でも日常の会話で問題が生ずることは少ないです。
例えば「ブタ」という言葉は、動物の豚を意味する事もあれば、肥えている人を意味することもあります。
しかし、今晩のおかずの話をしているときに、肥えている人ことと勘違いすることはありません。

イェルムスレウは「言葉は常に他の言葉との関わりの中で意味を果たす」と言っています。
すなわち今晩のおかずという文脈のなかで、意味は「食べ物」と固定されており、
「人の体形」と勘違いすることはないのです。

日常会話をしているときは、その話題に応じた枠組み(視点)というのが、会話者間にあって、
その枠組みの中で意味を選択しており、多義な言葉でも混乱は生じないのです。
言い換えれば、人間の脳は今話題に上っている枠組みだけを思い出しており、
他のことは脳は忘れているのです。

コンピュータは忘れる事はできません。だから膨大な量のデータから、今必要なものを引き出すのに、
すべてのデータを確認するという無駄な作業をしています。
人間の脳というのは素晴らしい仕組みに作られているのですね。

ロッド・スチュワート


1945年生まれということですから、もう60歳ですね。
それでまだ現役なんですから凄いですね。

ちょっとしわがれた声、セクシーな風貌はともかく、ロッド・スチュワートの曲想が私は好きです。
CMなどでも知られている「セイリング」もいいですが、
「ホット・レッグス」や「もう話したくない」なども、私の好きな曲です。

写真のアルバムは2枚組のベスト・アルバムですが、
レーベルを超えて編集されているので、ロッドの入門としては最適なアルバムです。

世界は相対的に存在している

これまでにも何回か登場した話題ですが、私の考え方の基礎をなすもので、
もう一度整理をしながら、何回かのシリーズで記事にしたいと思います。

この世界に存在するものはすべて、他のものと区別されることによって存在しています。
そのことを理解するのに最もよい例が、比較するものがない状態を考えてみることです。
例えばこの世界がすべて赤い色で出来ていたとすればどうでしょう。
「赤い」ということは認識できるでしょうか。「これは赤い」ということに意味があるのでしょうか。
おそらく赤い色は認識できないし「赤い」という言葉も意味をなさないでしょう。

こういう言い方をすると前回の記事でもそうでしたが、
「赤い色は存在しない」と言っているように受けとる人があります。しかし、
そうではなく、比較するものが無かったらという仮定のもとで存在しないと言っているもので、
現実には比較するものがあるので赤い色は存在しています。

もう一つ、世界が相対的存在であることを示す例をあげましょう。
量子力学で「真空」という概念がありますが、
この真空の世界では、物質が出現したり消滅したりするそうです。
出現するのは、現在の我々の住んでいる世界と同じ物質と、もう一つ、
我々の世界とは電荷が全く逆(つまり電子はプラスの電荷を持ち、
陽子はマイナスの電荷を持つ)の物質すなわち反物質です。
そして物質と反物質が衝突すると、物質は消滅してしまうそうです。

つまり物質と反物質が対で出現するのです。
私は詳しいことは知りませんが、反物質でできた世界がブラックホールに存在していて、
物質を吸い込んでいるというようなことが、どこかに書いてあったように思います。

このようにこの世界はすべて相対的に存在しているのです。
比較するものがあって初めて存在するのです。

人間って面白い。パート2

人間は完全でないところが面白い。いろいろ失敗するところが面白い。
さらに完全でないのに失敗すると落ち込むところが面白い。
失敗したら「やっぱり俺は人間だ」と喜んでもいいと思います。

そんな風に思っている私ですので、人の失敗を見てふざけてしまい、
プライドを傷つけたりして、不愉快な感じを与えることがしばしばです。
そういう不愉快な感じを与えてしまった方がありましたら、この場を借りてお詫びします。

しかし、自分の失敗を笑って受け止められるくらいの余裕があっても良いのではないでしょうか。
どうせ完全ではない人間のすることですので、神もお許しのはずです。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ