FC2ブログ

自我

人間はいつも、あるべき姿に向かって行動します。
理想や名誉や栄光を求めて行動するのであり、また恥辱を晴らすために行動します。
ときには虚栄を張って自分自身の存在を主張することもあります。
これらはすべて自我の表れです。

自我も欲望と同じように、体の内側から湧き出てくる気持ちですが、
欲望は生きて行く上でどうしても必要なものであるのに対して、
自我はなくても生きて行けるものです。
また欲望は生まれてから死ぬまで備わっていますが、
自我は生まれたときにはなく、成長するにしたがって備わってくるものです。
そして、思春期になってはっきり自覚されるものです。

また欲望は個人差がすくないですが、自我はその内容・強さ共に個人差がかなりあります。
この自我のあり方が、その人の個性の形成に大きく関わっているものと思われます。

欲望が生きて行く上でどうしても必要なものですので、他の動物にも備わっていますが、
自我は他の動物にはありません。
自我は人間にだけ備わっているもので、人間が人間であるための必須条件です。

スポンサーサイト



欲望

感情とよく似た心の働きに「欲望」があります。
感情と欲望の違いは、感情は外界からの情報にたいする自分の気持ちですが、
欲望は外界からではなく心の内側から湧いてくる気持ちです。

欲望とは、言葉の通り欲しいという気持ちですが、その典型が食欲や性欲です。
この欲望は人類が生きてゆく上で、最も基本的な心の働きで、これがなければ人類は滅んでしまいます。
だからこの欲望は生まれてからずっと備わっているもので、それがなくなるときは死ぬときです。

欲望はまた、肉体とも深い関係があります。
生命を維持するということは、この肉体を保つことであり、
食欲は、肉体である胃が空になったときに起こるもので、肉体(胃)を満たすことで心も満たされます。
性欲は、肉体関係そのものです。

欲望には、他に「お金が欲しい」とか「家が欲しい」とか、間接的に保身する欲望もあり、
また、美術品や骨董品の蒐集などのように、価値判断と区別のつかないものもあります。

賭け

判断に迷ってどう行動してよいか分からないとき、
あてずっぽうに行動を選ぶことがありますが、これは一つの賭けです。
あてずっぽうとまでは言わなくても、
試しにやってみるなどということがありますが、これも一つの賭けです。
また、まだ結果が出ていないときや、結果が分からないときなどに、
その結果を見越して行動しなければならないことがあります。これも一つの賭けです。

例えば、大学受験などは、その大学に合格するかどうか分からないのに、受験しなければならないし、
例えば、道に迷ったときなど、十字路に来てどちらへ行けば目的地に行けるか分からなくても、
どちらかを選ばなくてはならないのです。
その結果が分からなくても、その結果を見越して行動しなければならないのですが、
その結果を見越して行動することは、一か八かやってみる、これも賭けでしかありません。

この「賭け」という心の働きは、科学の発展に大いに寄与しています。
仮説を立ててテストをするなどというのは、やはり賭けでしょう。
それを繰り返し、試行錯誤する中から科学は発展してきたのです。

この「賭け」は、どう行動してよいか判断がつかないのに、
あえて行動しようとするために生ずるものですが、
この「あえて行動しよう」という心での判断は、どこからくるのでしょうか。
これはより深い心の働き(判断)、欲望とか自我などからの要求によるものです。

信ずると疑う

「心の働き」の四つ目は「信ずると疑う」です。

「信ずる」とは、他人の事実判断や価値判断に従うことです。
誰かに相談して、そのアドバイスを信じて行動する、などということはよくあることですし、
親や学校の先生などから教えられて、その教えに従って行動する、などというのもそれです。

信ずるばかりではありません。疑って従わないこともあります。
また、積極的にその間違いを追求することもあります。
アインシュタインが相対性理論を考え付いたのも、
ニュートン力学を疑っていたからこそできたことです。

これまで「心の働き」として「事実判断」「価値判断」「感情」「信ずると疑う」の四つを説明しましたが、
これらはほぼ常識的なもので、誰でも知っているものであり、簡単な説明に留めました。

感情

「心の働き」の三つ目の「感情」です。

「感情」は、外界からの刺激に対して直接感じる気持ちで、たくさんの種類があります。
この感情は、価値判断と同じく、同じ事柄であっても、人によって生ずる感情は異なり、
絶対的な感情などというものは存在しません。
例えば、自分は「このリンゴはおいしい」と思っても、
「酸っぱいのでまずい」と思う人もあるかもしれないのです。

また感情は、価値判断と同時に表現されることもあります。
「おいしい(感情)」と思ったときは「好き」という価値判断も伴っていると言ってよいでしょう。
だから、感情と価値判断はかなり重なる部分があります。

価値判断

「心の働き」の二つ目は「価値判断」です。

価値判断とは「森林保護のため増えたカモシカは殺すべきだ」とか
「動物愛護のためいかなる理由があってもカモシカは殺してはいけない」などという判断です。
この価値判断は、事実判断とは異なり、上の例のように人によって判断が異なります。
どちらが「正しい」というものではないのです。
また、同じ人間であっても、
同じ事柄にいつでも同じ判断をするとは限らないのも、価値判断の特長です。

哲学の課題の一つである人生観、すなわち、いかに生きるべきかなどは、
価値判断を要求するものですが、哲学とも深い関係があります。
上記の通り、この価値判断は人によって判断が異なり、絶対的な判断ではありません。
したがって絶対的な人生観もなく、人それぞれということになります。

価値観の相違による問題は、主義主張の違いとしていくらでもあります。
しかし、絶対的価値観がありえないのであれば、共存するしかありません。
どちらが良いかで争うより、共存する方法を論ずる方が実りがあると思います。

事実判断

「心の働き」で、それを8つの働きに分けましたが、その一つ「事実判断」について述べます。

この事実判断はたいした説明はいらないと思います。
事実判断は、例えば「このコップは青い」とか「オリンピックは4年に一度開かれる」などのように、
人によって正しい判断が異なることはない判断です。
もし、異なった判断が生じたときは、少なくともどちらかが誤った判断をしていることになります。

ただし、それには条件があります。その条件というのは、
判断する視点が同一でなければならないということです。
例えば「太陽が東から昇る」と言いますが、「地球が太陽の周りを回っている」とも言います。
これはどちらも正しい判断ですが、内容的には矛盾しています。それは視点が異なっているのです。
前者は日常生活的視点での判断であり、後者は天文学的視点での判断になっています。
実はこういう例はたくさんあるのです。

人間は、心で判断した結果をもとに行動するのですが、
この事実判断だけでは、直接行動につながることはありません。
例えば「川は右から左に流れているから、右斜めに泳げば最短距離で渡れる」と判断しても、
なぜ川を渡らなければならないか、その理由はどこにも含まれていません。
その理由は、友人と「どちらが速く渡れるか」競争するためかもしれないし、
クマに追いかけられて、逃げるためかもしれないし、
対岸に取り残された子供を救うためかもしれません。
それらは事実判断とは別の判断になります。

心の働き

人間の心というのはつかみ所がなく、一口で心と言ってもいろいろの状態があります。
一般的には記憶機能とか論理機能も心の働きとしますが、
ここでは行動に直接結びつく判断機能を取り上げることとします。

1、事実判断 http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/24334680.html
  「正しい」「間違い」「等しい」「異なる」などという判断をする。

2、価値判断 http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/24342955.html
  「良い」「悪い」「好き」「嫌い」などの判断をする。

3、感情 http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/24429715.html
  「おいしい」「まずい」「怖い」「悲しい」「寂しい」「苦しい」「惜しむ」「怒る」「憎い」
  「喜ぶ」「楽しい」「驚く」「痛い」「暑い」「美しい」などという判断をする。

4、信ずる疑う http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/24435436.html
  「信ずる」「疑う」などという判断をする。

5、賭け http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/24655167.html
  「困る」「悩む」「迷う」などいう心の状態から脱却するために、
  「賭ける」などという判断をする。

6、欲望 http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/24823605.html
  「欲しい」「望む」「願う」などという判断をする。

7、自我 http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/25040895.html
  「誇る」「ぐれる」「恥じる」「照れる」などという判断をする。

8、宗教的判断 http://blogs.yahoo.co.jp/bonjinpapa/25257377.html
  「祈る」「念ずる」「崇める」などという判断をする。

以上8つが心の主な働きです。他には現在のところ見つかっていません。
それぞれの項目の詳細が知りたい方は、右のURLをクリックしてください。

よく「理性で判断する」などと言いますが、理性という心の働きはありません。
また、「正しい」という言葉を価値判断にも使われることがありますが、
価値判断は絶対的判断ではなく、「正しい」と言えることはありませんので、その用法は間違いです。

家計簿は不必要

新年ももう20日になりましたが、
今年こそはと始めた日記もそろそろ行き詰まってきている頃ではないでしょうか。
家計簿というのも書いてはみたが面倒臭くて続かないことが多いですね。

家計簿をつけている人は、多分少しでも無駄を省こうと思って、つけておられると思います。
何に幾ら使っているか、何をどれだけ減らせばよいのかなど、
判断の材料にするために家計簿をつけている方が多いと思います。

家計簿をつけている人の多くは、家計に余裕がないからつけているという人もあるかと思いますが、
しかし、考えようによっては、まだ余裕があるからつけているとも言えます。
まだ、節約できる無駄があるからです。
まだ、家計簿をつける時間的余裕があるからです。

本当に家計に余裕のない人は、家計簿をつけるまでもなく、減らせるところは減らしており、
家計簿をつける時間があったら、
その時間をパートなりなんなり他のことに向けています。

だから貧乏人には家計簿は不必要なのです。

ポンピング・ブレーキは必要か

運転免許を取るとき、学科と実技の両方を学ばなければなりませんが、
学科でブレーキの踏み方について、ポンピング・ブレーキを踏むように教わります。
その理由は、後続の車にブレーキを踏んだことがより分かるように、ということのようです。

しかし、現実にポンピング・ブレーキを踏んでいる人はほとんどありません。
それは、そんな踏み方をしたら非常に運転がしにくいからです。
へたをすると、そのために事故を起こしてしまいそうです。

ポンピング・ブレーキについて書かれているのは「安全運転の知識」という教本ですが、
警察庁交通局運転免許課監修とありますので、警視庁が作ったものでしょう。
しかし、警察の車つまりパトカーでもポンピング・ブレーキを踏んでいるのを見たことがありません。
ブレーキの構造上、ポンピング・ブレーキは踏みにくいのです。

どうしてもポンピング・ブレーキが必要というなら、
自動的にポンピングになるように車を設計しておけば良いのではないでしょうか。
どう思われますか。皆さん。

プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
ブロとも一覧
月別アーカイブ