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アバ


今回からこのコーナーはアーティスト(アルバム)紹介のコーナーとしました。

今日はアバの「スーパー・トゥルーパー」というアルバムです。
このアルバムを選んだ理由は、お正月ということで、
「ハッピー・ニュー・イヤー」という曲が入っているからです。
「ハッビー・ニュー・イヤー」というタイトルの曲は案外少なく、
少し知られた曲では、この曲くらいしか私はしりません。

このアルバムは1980年に発売されたアバの第7作目で、
アルバム・タイトル曲をはじめ、良い曲がたくさん入っています。
「ザ・ウィナー」「オン・アンド・オン・アンド・オン」「ザ・パイパー」
「レイ・オール・ユア・ラヴ・オン・ミー」など好きな曲です。

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車の側面にも明かりを

夜車を運転していて、突然前方に横向きの車を発見したことありませんか。
狭い道路でUターンしようとして、切り替えしている途中の車がいるのです。
夜間だからライトは点いているはずなのに、見えないのです。
横向きのときはライトはほとんど見えないものです。一度試してみてください。
横に白い壁でもあれば分かると思いますが、黒いものでは分かりません。

実際、それで事故になったケースを、いくつか知っています。
幅員は片側1車線(両側2車線)で、路側帯が50cmほどの直線道路で、
道路の左側は畑になっていました。
そこを制限速度の50kのところを70kくらいの速度で走行してきた乗用車が、
前方約30m付近に黒っぽい乗用車を発見し、ブレーキを掛けたが間に合わず、
前部を相手車の左側面に衝突したという事故を思い出します。

そこで提案なのですが、乗用車にも側面に明かりを点ける事を義務付けてはどうでしょうか。
トラックなどには、歩行者や自転車などに知らせる意味合いでか、明かりがついています。

気楽に生きよう

どのように生きたらよいのか。真剣に迷っている人が多いようです。
ブログにもそれに類する記事がたくさん出ています。
多分「みんなと同じように普通でいたい」が自分は普通じゃないと思っているのでしょう。
「私は根暗だ」とか「人を傷つけてしまう」とか「自分は臆病だ」とか言って悩んでいます。
みんなと一緒でないと仲間はずれになったような気になるのでしょうね。

しかし、人と違うということは、人にはない個性を持っているということです。
その個性を活かさない理由はありません。
その個性は短所でもありますが、長所でもあるのです。長所を活かしましょう。
それは持って生まれたそのままの姿を示せばよいことなので、
それほど楽なことはありません。

最初は違和感があっても、その個性がみんなに認められるようになれば、後は楽なものです。
「あの人はああいう人だ」と軽く受け止められるくらいで、決して憎まれることはありません。
これが一番楽な生き方です。
神から与えられた姿そのままで生きるのですからね。
みなさん、無理をせずに、気楽に生きましょう。

知識は信頼の上にある

現在自分が知っていることの中で、一番多くの部分を占めているのは、
親や学校の先生やマスコミなどを通じて、教えられて知っていることや、
書物などから学習して教わったことや、最近ならインターネットなどから教わったことなどです。
そしてそれらを信じて、自分の知識としています。

例えば、物理学のいろいろな法則や、歴史上のいろいろの出来事、
すべて自分では確認していないのに、人から教わっただけなのに、自分の知識としています。
また私は、この日本の国から出たことがないのに、世界の国のいろいろのことを知っています。
これも誰かに教わって、知っていることです。

このように改めてみてみると、自分で直接確認して知っていることは、
ごく僅かであることが分かります。

教わったことにしても、学習したことにしても、疑えば疑えるのですが、
どういう訳か、たいていのことはそのまま信じているのです。
そしてそれを自分の知識としているのです。

人間社会というのは如何に信頼関係で成り立っているかが分かります。
人を信じられなければ、自分が今持っている知識は崩壊してしまいます。
よく「人が信じられない」などという人がいますが、
本当に人が信じられないなら、自分自身が成り立たなくなるはずです。
もう一度、よく考えてみましょう。

哲学の公理 その4

「哲学の公理 その3」の図で、人間行動のすべてを表現することが可能ですが、
しかし、それだけでは自分一人の世界でしかありません。
世界はたくさんの人間の集まりでもあり、それらが表現されなければなりません。
人と人の繋がりは、そこに言葉が加わることによって可能になります。
言葉があることによって人間は他人との繋がりが生まれ、社会を作ることができます。

人間は自分一人で何もかもをしているのではありません。例えば、
自分の心で判断できないときには、例えば「明日の天気予報は晴れだった?」などと、
誰か(他人)に聞きます。そのとき使う文は疑問文です。
その疑問文を受けた誰かが、自分の心に代わって判断をしてくれます。

自分の行動器官では行動できないときは、例えば「お風呂にお湯を張っておいて」などと、
夕食の支度で忙しい妻がいいます。そのとき使う文は命令文です。
その命令文を受けた私が、妻に代わってお風呂にお湯を張る行動をします。

このようにして、言葉を使うことによって、本来自分がすることを他人に代わってもらえます。
言葉を使うことで、本来自分がしなければならない目的が、自分を離れて、
人々の間を移動してゆきます。

毎日毎日人々は、言葉を使ってコミュニケーションを図っています。
ある人は商品を仕入れるため電話で話し、ある人は、恋人にプロポーズするためメールします。
また。ある人は、航空機の安全を守るために、言葉を使って管制します。
そしてマスコミは世界の出来事を言葉で報道し、国は国民の権利・義務を言葉で制定します。
このようにして、自分を離れた目的は世界を駆け巡るのです。

哲学の公理その3の図は、自分中心の世界ですが、
言葉が自分以外の人々と橋渡しをし、世界の中心が人々の間を移動して行くのです。

        この記事は2005/11/25に「言葉と社会」というタイトルで投稿したものを
        大幅に書き換えて再投稿したものです。

電柱は必要である

最近、都市の街路が美しくなってきました。
電柱を地中に埋めて電線がなくなり、空がすっきりしたためです。
しかし、よく見てください。
電柱は埋めたのに照明灯や信号機や道路標識やミラーなどの支柱がたくさん立っています。
街路がすっきりしたのは、電柱が無くなったからではなく、電線がなくなったからだったのです。
それなのに電柱を無くすことのみが叫ばれていて、選択の幅を狭くしています。

日本の電線地中化工事は、地上にある間隔で大きな箱が置かれています。
中に何が入っているのか詳しいことは知りませんが、
多分、電柱の上に取り付けられていたトランスなどが入っているのだと思います。
ですから、この箱が置けるだけの道路幅員がなければ、電線の地中化はできないのです。

日本の観光地は道路の狭いところが多く、電線の地中化ができず、
せっかくの美しい景色を電線が損ねています。
そこで提案なのですが、電柱は残してトランスを取り付けて電線だけを地中化してはどうでしょうか。

実は一部そういうところがあるのですが、電線の地中化が完全でな(電線が残っている)、
電柱も代用品が使われているため、デザイン的にもう一つのものになっています。
従来の電柱より低く細い、電線地中化専用のデザインの電柱を使ってはどうでしょうか。
そうしたら観光地の空は美しくなると思います。

哲学の公理 その3


「哲学の公理 その2」で、幾つかの基本概念から構造体を作り、人間行動を理解すると言いましたが、
その一つの例が上図です。(汚い図で申し訳ありません)
この図で、人間の日常の行動はすべて説明が可能です。具体的にみてみましょう。

電話を掛けていて、相手の話で過去のことを思い出し泣いた、というような場合は、
7→8→9→10→13→17→18 という流れになります。
友人にいつもの店が営業しているかを確認してもらい、「営業している」と報告を受け出かける、は
1→2→3→4→13→14→5 という流れになります。
新聞のチラシを見ていて、どの店が安いかを計算し、買い物に車で出かける、は
7→10→13→15→16→14→7→8 という流れになります。
その他、どんなこともこの図で説明ができるはずです。

ここで一つ問題となるのが「心」で何をしているのかという疑問ですが、
これを説明するには、少し長くなりますので、稿を改めて書くことにします。

この図はあくまでも私の考えであって、他にも世界を説明するのに適当な構造体があるかもしれません。
ユークリッド幾何学にも非ユークリッド幾何学があり、それぞれに用途があるように、
他の構造体の方がある場合の説明が上手く出来るというのであれば、
その場合についてはその構造体を使えばよいのです。

この図では社会の内部の説明がしにくいというご意見があるかもしれかいし、
実存主義者は、心についてはもっと細かく分けた方がよいというかもしれません。
フロイトなどは「深層心理」の表現ができないと言うかもしれません。
それはそれで、それぞれに適した構造を作ればよいのです。
ですからこの構造体は哲学の土台となるもので、哲学そのものではありません。

それでは幾つもの構造体ができて、複雑ではないかというご意見もあるかと思いますが、
現実社会を反映していない構造体は使われなくなり、忘れられます。
使い道がある有用な構造体だけが残ってゆくと思います。

直進はいつでも優先か

交差点で右折をしようと、交差点中央に出て停止し、対向車の通過を待っていても、
いつまで経っても対向車が途切れず、とうとう信号が(赤)になって、
交差道路の車が出てきて困ってしまったという経験、よくありませんか。
対向車が信号が(黄)になっても交差点に進入してきて、右折が出来ないためです。

対向車の運転者に「対向の右折車が待っているのに、なぜ(黄)で交差点に進入するのか」と聞くと、
たいてい「直進が優先だから進入した」と言います。
しかし、実際は信号が(黄)に変わると、優先関係は逆転して、右折車の方が優先になるのです。

速度違反がないとか、右折の合図をしているとか、お互いに基本的なルールは守っているという前提で、
直進車と右折車が事故を起こした場合の責任の割合(過失割合)は、信号が(青)の場合で
   直進車 20%  右折車 80%
ですが、信号が(黄)の場合は
   直進車 70%  右折車 30%
になります。

その他、交差点にお互いの車が進入したときの信号の色で、過失割合は変化しますが、
いつでも直進が優先とはかぎらないのです。

本当の親を知る権利

ドラマなどで、例えば「本当の父親を知る権利がある」などという台詞が出てくることがあります。
そして本当の父親を探すドラマが始まるのですが、この「知る権利」というのは何なのでしょうか。
広辞苑には「権利」とは「一定の利益を主張し、また、それを享受する手段として、
法律が一定の資格を有する者に賦与する力」とあります。
親を知るということに、どんな利益があるのでしょうか。疑問に思います。

「知りたいという断ち切れない思い」をレトリックに「知る権利」と表現したのかもしれませんが、
知らない方がよいこともあります。「知らぬが仏」という言葉がありますが、
知ったがために不幸になるということも有り得るのです。

世間にはいろいろの家族があります。たいていは父親がいて母親がいて、
時にはお爺ちゃんやお婆ちゃんがいて、兄弟姉妹もいます。
両親が揃っていないこともあるでしょうし、揃っていても再婚かもしれません。
兄弟姉妹でも同じ親とは限りません。

「知る権利」があるから探すのではなく、現状を受け入れられない何かがあるのでしょう。
家族というものを型にはめて考えているから、現状を受け入れられないのではないでしょうか。
真実を探ることより、現状を受け入れることの方が大切ではないでしょうか。

ロクセット


クリスマスがもうすぐですので、クリスマスに因んだ曲を一曲。

    CHRISTMAS FOR THE BROKEN HEARTED

ロクセットの曲ですが、日本では It must have been love(愛のぬくもり)として知られています。
当初はこのタイトルのように、クリスマス用の曲としてつくられたものですが、あまりヒットはせず、
1990年に映画「プリティ・ウーマン」のサントラとして用いられ、大ヒットしました。
最近は、こちらのクリスマス・バージョンの方が、シーズンによく聴くようになりました。
数あるロクセットの曲の中でも、ジョイライドと並ぶ名曲です。
プロフィール

極楽トンビ

Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
普通の人の考えを大切にしたいのです。
ときどき、音楽でストレスを解消しています。

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