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成功物語は役に立つか

8月26日付京都新聞の「凡語」というコラムに、
世界陸上のマラソンについて、こんな一文があった。

「増田明美さんによると、尾方選手は日常、エアコンを使わず、
暑さに慣れるように心がける。」
これに対し、
「かつての名ランナー谷口浩美さんは、寝苦しい夜はエアコンを使い、
よく眠って疲労をためないことが大切という。」

私はここでどちらが良いかを論ずるつもりはありません。
有名人の成功物語に類する本が万と出版されていますが、
さしづめこの話を本にするとすれば、
「エアコンを使わずに名マラソンランナーになった」と
「エアコンを使って名マラソンランナーになった」と
二つの矛盾する異なった本が出来上がります。

成功した人というのは、それなりの努力というのもされているとは思いますが、
案外、思い込みで突っ走るようなところがあるのではないでしょうか。

私はこの種の書物にはほとんど興味がないのですが、
その理由は、偶然や運がかなり左右していて、
「こうしたからこうなった」とは言えないことが多いのではないかと思うからです。
そのいい例が上の新聞のコラムです。



                    この記事は2007/8/28に書いたものを再投稿したものです。

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文学では善悪の判断はしない方がよい

人間はいつでも理性的で合理的に判断し、行動しているとは限りません。
笑いや涙に動かされて行動することも多いはずです。
だからこそ、文学や映画やドラマが成り立っていると思うのです。
人間は感情の動物と言われますが、案外、非合理で非理性的な動物なのでしょうね。
どんなに整然と論理的にまとめられた文章より、感情に訴える方が人を動かすことができるものです。
しかし、そこに落とし穴があるのです。

文学は物語として表現されることが多いです。
一般に小説などの物語は、作者がことの善し悪しを判断し、
その判断に合致するように物語を作り上げたもので、
その作者の判断が善いという保証は、どこにもないことが多いのです。
にもかかわらず、読者は主人公や登場人物の感情に惑わされて、
何が善いかの判断を見誤ってしまいます。

決して文学を否定的に位置づけするつもりはありませんが、
しかし、文学はその魔力的な魅力を悪用して、人を誤った方向に導くことがあることを、
頭に入れておかなければなりません。

よって、文学作品で善悪の判断はしない方がよいのです。



             この記事は2005/11/17に投稿したものを若干訂正して再投稿したものです。

ピカソは天才か


ピカソの絵、見たことがありますよね。
それで見てどう思いました?。正直に言ってくださいよ
「何だ!? これは!?」
「これがいったい芸術なのか!?」
そう思いませんでしたか。
ピカソの代表作とされる「ゲルニカ」という絵を知っている人も多いと思いますが、
あれは何でも戦争の惨禍を表現したものだそうです。
説明されて見るとそれらしく見えてきますが
「あれは、お化け屋敷を表現したものだ」
といわれたら、お化け屋敷にもみえます。
戦争の惨禍とお化け屋敷、どちらに見えるかと聞かれたら
凡人の私はすかさず「お化け屋敷」と答えます。

ピカソははたして天才なのでしょうか
あなたはどう思いますか?、ご意見をお寄せください


                    この記事は2005/8/7に投稿したものを再投稿したものです。

成功物語は役に立つか

8月26日付京都新聞の「凡語」というコラムに、
世界陸上のマラソンについて、こんな一文があった。

「増田明美さんによると、尾方選手は日常、エアコンを使わず、
暑さに慣れるように心がける。」
これに対し、
「かつての名ランナー谷口浩美さんは、寝苦しい夜はエアコンを使い、
よく眠って疲労をためないことが大切という。」

私はここでどちらが良いかを論ずるつもりはありません。
有名人の成功物語に類する本が万と出版されていますが、
さしづめこの話を本にするとすれば、
「エアコンを使わずに名マラソンランナーになった」と
「エアコンを使って名マラソンランナーになった」と
二つの矛盾する異なった本が出来上がります。

成功した人というのは、それなりの努力というのもされているとは思いますが、
案外、思い込みで突っ走るようなところがあるのではないでしょうか。

私はこの種の書物にはほとんど興味がないのですが、
その理由は、偶然や運がかなり左右していて、
「こうしたからこうなった」とは言えないことが多いのではないかと思うからです。
そのいい例が上の新聞のコラムです。

音楽について

最も芸術らしい芸術が音楽です。
なぜなら、音楽は純粋に人間が作り出したものだからです。
他の芸術は、自然や社会の模倣です。

絵画は、自然や街の風景や人間の姿を描写するものですし、
文学は、人間や人間社会を描いたものです。
その他いかなる芸術も、既にあるものを写し取って模倣しているのです。

しかし、音楽は違います。
確かに美しい音は自然にもたくさんありますが、音楽は単なる音ではありません。
音楽は一音だけでは表現できないものです。
二つ以上の音が集まって共鳴させることで、表現されるものです。

二つ以上の音からなるものとして、小鳥のさえずりなどがありますが、
音楽は小鳥のさえずりを模倣したものではありません。
和声学を学んだ人なら分かると思いますが、
音楽は、音と音が相対的に共鳴しており、いかなる芸術より純粋なのです。

遺跡の保存は必要か

京都という街は遺跡の上にあるような街で、中心部の方の建物を建て替えるときは、
遺跡の発掘・調査から始まります。ですから新しい建物が建つまでにはかなりの時間がかかります。
京都に限ったことではありません。
日本は国土が狭く、しかも平坦な土地が少ないため、人の住む場所は限られています。
その限られたところに先祖代々が生活してきたのですから、
生活できそうなところを掘れば何なりと出てくるものです。
遺跡が出てきたからと言って、それらすべてを保存していたら、我々の住むところがなくなります。

遺跡だけではありません。古い神社仏閣から明治大正の洋風建築、町並み保存などなど、
保存しなければならないものが沢山あります。
これから千年二千年と時代を重ねて行ったらどうなるでしょう。
それぞれの時代の遺物を保存して行ったら、日本中遺跡・遺物で埋まってしまいます。

最近は映像媒体など記録保存する技術が発達してきており、
現物を保存しなくても、記録する手段はいくらもあると思います。
現物を保存するに超したことはありませんが、
現実的にそれは不可能になってくることを考えると、
遺跡の保存は果たして必要なのかと思ってしまいます。
みなさんはどう思われますか。

芸術の位置づけ

人間行動の源になっている心の状態としては、次の5つがあります。
それは 欲望 知的好奇心 闘争心 信仰心 感情 の5つです。
欲望は生命維持活動であり、人間の具体的行動としては仕事として現れます。
知的好奇心は、文字通り学問への関心で、具体的行動としては研究活動として現れます。
闘争心は昔なら戦争などという形で現れましたが、現在ではスポーツという形で現れます。
信仰心は説明はいらないでしょう。宗教活動あるいは信仰そのものです。
そして感情の表出が芸術になります。遊戯などもここに入ると思いますが、遊戯にはスポーツ的要素もあります。
これらは厳密な区別は困難ですが、これらで人間行動のおよそが表現されていると思います。

芸術を「感情」の表出と位置づけましたが、もう少し具体的にみてみましょう。
芸術作品の作者は、自分自身の感動(感情)を作品に埋め込み、それを鑑賞者に伝えます。
そして鑑賞者も作者と同じ感動をし、同じ感情をいだくのです。
作者と鑑賞者の間で「感情」のやり取りが行われるのです。

ギリシャ時代には芸術は「美」を表現するものとして位置づけされていましたが、
時代とともに芸術の範囲・内容ともに変化してきており、
現在では芸術は、美しさだけではなく、
楽しさ、喜び、悲しみ、怒り、驚き、その他などの感情も表現の対象になっています。
美学者たちは「美」に代わって「崇高」「理性」「優美」「魂」などという言葉を持ち出し、
人類全体に通用する価値基準であろうとしていますが、それは無駄な努力と言わなければなりません。

現代の芸術は、その範囲・表現内容ともに大幅に拡大してきています。
ほとんどの人が肯定的に評価できたギリシャ時代とは異なり、
現代は肯定的評価をする人の割合が少なくなり、芸術も個性化してきていると判断するのが自然でしょう。
それを普遍妥当な価値基準で捉えようとすること自体無理があるのです。
芸術は「感情」の表出であると位置づけするだけで十分だと思います。

ピカソは天才か


   ピカソの絵、見たことがありますよね。
   それで見てどう思いました?。正直に言ってくださいよ
     「何だ!? これは!?」
     「これがいったい芸術なのか!?」
   そう思いませんでしたか。

   ピカソの代表作とされる「ゲルニカ」という絵を知っている人も
   多いと思いますが、あれは何でも戦争の惨禍を表現したものだそうです。
   説明されて見るとそれらしく見えてきますが
     「あれは、お化け屋敷を表現したものだ」
   といわれたら、お化け屋敷にもみえます。

   戦争の惨禍とお化け屋敷、どちらに見えるかと聞かれたら
   凡人の私はすかさず「お化け屋敷」と答えます。

   ピカソははたして天才なのでしょうか
   あなたはどう思いますか?、ご意見をお寄せください。

                この記事は2005/8/7に投稿したものを再投稿したものです。

文学では善悪の判断はできない

人間はいつでも理性的で合理的に判断し、行動しているとは限りません。
笑いや涙に動かされて行動することも多いはずです。
だからこそ、文学や映画やドラマが成り立っているのです。
人間は感情の動物と言われますが、案外、非合理で非理性的な動物なのです。
とんなに整然と論理的にまとめられた文章より、感情に訴える方が人を動かすことができるものです。
そこに落とし穴があります。

文学は物語として表現されることが多いです。
一般に小説などの物語は、作者がことの善し悪しを判断し、
その判断に合致するように物語を作り上げたもので、
その作者の判断が善いという保証は、どこにもないことが多いのです。
にもかかわらず、読者は主人公や登場人物の感情に惑わされて、
何が善いかの判断を見誤ってしまいます。

ノンフィクションの場合も同じで、
例えば、その人は運良く成功したかもしれませんが、
同じようにしたら誰でも成功するとはかぎらないのです。

決して文学を否定的に位置づけするつもりはありませんが、
しかし、文学はその魔力的な魅力を悪用して、人を誤った方向に導くことがあることを、
頭に入れておかなければなりません。

よって、文学作品で善悪の判断はしない方がよいのです。

ピカソは天才か

ピカソの絵、見たことがありますよね。
それで見てどう思いました?。正直に言ってくださいよ
「何だ!? これは!?」
「これがいったい芸術なのか!?」
そう思いませんでしたか。
ピカソの代表作とされる「ゲルニカ」という絵を知っている人も
多いと思いますが、あれは何でも戦争の惨禍を表現したものだそうです。
説明されて見るとそれらしく見えてきますが
「あれは、お化け屋敷を表現したものだ」
といわれたら、お化け屋敷にもみえます。
戦争の惨禍とお化け屋敷、どちらに見えるかと聞かれたら
凡人の私はすかさず「お化け屋敷」と答えます。

ピカソははたして天才なのでしょうか
あなたはどう思いますか?、ご意見をお寄せください。

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Author:極楽トンビ
カテゴリーは哲学のつもりですが、過去の哲学の知識など持ち合わせていません。
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